twitterであげていたおはなし。

□さらりと言わないで
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世の中には心を動かすものがたくさんある。

例えば、雨上がりの虹、飴細工のように繊細な旋律、豊かな色彩を放つ名画。
でもわたしが一番動かされたのは、紛れもなく彼のあの一言。


おろしたての夏服で座る、窓際の自分の席。
今日もそろそろ、あの時間だ。
来る。もうすぐ、来る…
予想通り訪れた、背中をつつく感触にどきりとする。

「さっきの授業のノート、見せて」

後ろの席の国見くんから、いつものお願い。

以前、プリントを後ろにまわそうとしたら、ぐっすりと眠りこけている彼を見た。
休み時間に聞くと、授業中起きているのがしんどいと言っていた。
なんとか耐えていることもあるようだけど、
特に苦手な古文になると、起きているのは困難だと。
おじいちゃん先生のゆったりとした口調も相まって、あっというまに夢の中に誘われてしまうらしい。
「人一倍、睡眠とらないといけないみたいなんだ、俺」
そう言っている間も、とろんとした目をしてた。

そんな彼の頼みで一度、授業のノートを見せてあげた時に
字がきれいで見やすいとお褒めの言葉をもらい、そのままこの役まわりを引き受けた。
褒められて、いい気になっていたかもしれない。
でも、そんなこと言ってもらわなくてもいくらでも見せるつもりだった。
だって…ずっと近づきたかったから。すきだったから。


ノートを差し出してから、すらすらと写し出す彼の手元を見つめた。
あ。手…おっきいんだな。
きれいに整えられた爪、長い指。
目玉がついていて見つめられているわけじゃないのに、
その手を見ているだけで、まるで熱く見つめ合ったかのように鼓動がずんと大きくなる。

ペンを持つ手が止まった。
目線を顔にやると、こちらを見ている。
そして、一言。

「…すきなんだけど」

こちらをじっと見据える彼に、何が?なんて聞けなかった。
見つめ合ったまま固まった時間は一体どれくらいだっただろうか。
彼を呼ぶクラスメイトの声で再び時間が流れ出した。
目の前から彼が去った後も、耳に強く残った声を何度も自分の頭の中で再生した。

すき。

短くてシンプルで、でもとっても素敵な言葉だ。
そして、彼にその言葉を向けられたら
人も、物も、風景も、何でもキラキラとまぶしく輝き始めるんだと思う。

あの時、彼の目に映っていたのは…わたしだった。
…思いあがってもいいのかな。
うぬぼれたくない。けど、期待したい。
そんな気持ちの狭間でぐらぐらと揺れているうちに
気づいたら一日が終わってしまっていた。
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