小説

□■三年後
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まだ俺が答えを出す前に、ジュビアがいつも口にしていたのは俺の名前の入った紅茶なんだと教えてくれたのは、ルーシィだった。
俺の名が入っているから、好んで飲み始めたのだと。
ただそれだけの理由だなんて笑っちまうよな。
けど、そんな小さな事からだって、ジュビアの健気な想いが滲み出ている様で、今の俺には愛しくてたまらない。
全身全霊で愛されていた。
疑う余地など無いほどに、きっと世界中が俺の敵に回っても、あいつだけは最後まで俺を信じて俺の味方でいてくれるって言いきれるくらい、ジュビアに関わる全ての事に対する理由は俺だった。
それなのに俺は、全てを踏みにじってしまった。
戻れるなら、三年前に戻りたい。


***************


ギルドに居れば必ず隣に来て、紅茶の香りをさせていたジュビアは、今はもう傍に居ない。
俺達の間には数席分の間が空いて、飴色の中身が揺れていたティーカップには、今はコーヒーが注がれている。
けれどいつもジュビアは、それをひと口ふた口飲むと、すぐにテーブルに置いてしまう。

いつだったか、俺が普段よりも早くギルドに着いた時、俺が来る少し前にギルドへ来ていたジュビアから、懐かしい紅茶の香りがした。
律儀な彼女は、俺が「応えられないから、もう追いかけるのは止めてくれ」と言った日から、紅茶を飲むことは無くなっていたのに。
おはよう、と声をかけようとしたが、ジュビアは俺の姿を見るなり、スッとカウンターへ行き、ティーセットを手に持って戻って来た。
中身はいつものコーヒー。
仲間内で談笑しながら、ティースプーンでかき混ぜて、柔らかな動作で口を付けた。
ジュビアの細い指が円を描くごとに、広がっていくコーヒーの香り。
ジュビアの吐く息からほのかにしていた淡い香りが見る間に消えて、上書きされて初めて俺は気が付いた。
本当は、自分の部屋や、ギルド以外の俺が居ない所では、ジュビアはまだアールグレイの紅茶を飲んでいるのだと。
その事を俺に気付かれない様に、痕跡を消すために、口に合わないけれど香りの強いコーヒーを飲む様になったんだろう。

誤魔化しきれない心を必死で隠そうとする程、ジュビアは本当に律儀だった。
どれだけ拒絶しても付きまとって離れなかったのに、次の日から驚く位ピタリと俺の周囲は静かになって、正直俺は拍子抜けしてしまったほどだ。
けれどだからといって関係が気まずくなったかと言われればそうでもなく。
それまでと同じように会話し、呼ばれれば一緒に仕事もして、危険なクエストで魔力が足りない時は、ユニゾンレイドも発動出来た。

ただ、呼び方までは変えられなかったらしく、相変わらず『様』を付けて俺を呼ぶ。

そうして月日が過ぎた。
その間も何度かジュビアから紅茶の香りがした事があったけれど、今ではそれすらも無くなった。
代わりに、いつからかジュビアから男物の香水の香りがする様になった。
近くに居なければ気が付かないくらい、ほんの微かに鼻をかすめる。
隣に立つと、フッと足元から香る、俺以外の誰かの香りがする度、俺の胸はざわついた。
突然の答えを突きつけた日から、どうかジュビアが幸せになりますようにと願っていたけれど、心が離れていくのを肌で感じれば、身勝手にも寂しさと苛立ちが湧いて来る。

もう昔の様には想ってくれないのか。
俺への感情は忘れたのか。

恋愛だとか男女の仲だとかに興味は無いし、そんなことに気を取られるより魔導士としての腕を上げたいと、宣言したのは俺だったけど。
自分からジュビアの想いを振り払ったのに、俺はついジュビアの蒼い瞳の中に俺への情愛の色を探してしまう。
そんなに簡単に諦めんのかよ、と怒りにも似た執着が、今の俺の中に渦巻いている。



ある日の午後。
何気なく裏の倉庫の前を通りかった時、開いている扉からジュビアの姿が見え、俺は声をかけた。

「何やってんだ?ジュビア」
「グレイ様!この間、ミラさんに頼まれたんです。時間がある時でいいから、中の在庫を調べて欲しいって」

棚の一番上にある荷物を取ろうとしているところのようで、棚に脚立を立てかけていた。

「あ、おい、気を付けろよ。グラついてんぞ」

古くなって建てつけが悪いのか、昇る度にギイギイと鳴く脚立を押さえてやる。
俺の目線より上から、ジュビアが落ちる水色の髪を指で避けながら「あ、ありがとうございます」と、肩越しに振り返った。
柔らかく細めた深海色の瞳に、俺の顔が映り込む。
ジュビアの瞳の中に俺は居るのに、もうその心には俺は居ない。
二人きりで、人気の無い部屋で、元々は想い想われていた関係なのに、何事も無かったかのように、いつもどおりのジュビアの笑顔が胸を締め付ける。
手を伸ばせば、その体に届いてしまうのに、俺にはもうジュビアに触れる権利が無くて。
3年前と変わらない彼女の全て。
俺の心だけが3年前に置いて行かれて、どこか遠くで軋んでいる。

ジュビアが梯子を昇り、腰が俺の目の高さまで来た時、またあの香水の香りがした。
香りが移る位、その香水の持ち主の男と一緒に居るってことなのか。
脚立を支える手に力が入る。

「なあ、お前、さ…」

その存在の有無も、今のジュビアがどんな男と付き合っているのかも、俺には聞く権利などもう無いと言うのに、頭の中をそればかりが占めて。
つい問いただす言葉を、口から出しそうになった。

「はい?―――きゃあっ!」
「ジュビア!!?」

返事をしつつ、ジュビアが棚の荷物に手を伸ばそうと、脚立の中ほどでつま先立ちをした時、バキ、と木片が割れる音が響いた。
木材が中で腐っていたらしい。
ジュビアが足をかけていた脚立の足場が崩れ、俺は咄嗟に腕を広げ、地面に向かって落ちていく細身を受け止めた。
けれど落ちてきた重みで立っている事が出来なかった俺は、ジュビアを後ろから抱える形で、ドサリと床に尻もちを着いて倒れた。

「…っつ。大丈夫か?」
「ス、スイマセン!今どきますから!」

見た所ジュビアには怪我は無かったが、倒れた拍子にスカートのスリットが大きく捲れあがり、色の白い太腿が露わになっていた。
抱きしめた体の前面から伝わってくる体温が、やけに生々しくて。

身をよじった傍から何度も何度も、あの癪に障る香りが昇って来て、俺はもう、おかしくなりそうだった。
俺の腕に抱かれて、今もまだこんなにも顔を赤くしてうろたえるのに、その全てはもう他の男の物なのか?
俺は立ち上がろうとするジュビアの手を取ると、自分の方へ強引に引き寄せた。

「グレイ様っ?!」

小さく声を上げ、こちらに倒れ込んだジュビアの目には、戸惑いが滲んでいた。
それを無理やり振り向かせ、俺は唇を塞いだ。

「ン―ッ!!」

肩を押し返して抵抗する体を、棚と自分自身の体で挟み閉じ込め、暴れるジュビアを舌でねじ伏せる。

「ん――!!…やっ!止めて下さい、グレイ様!どうして…っ!」

顔を背け、嫌々と俺を拒むと、ジュビアは“何故?”“どうして?”と繰り返した。
俺はぼんやりとした頭の片隅でそれを聞きながら、自分でも考えていた。

どうして…。
どうして俺だけがこんなにも好きなんだ。

恐らく、あの頃のジュビアも、今の俺と同じことを思っていたに違いない。
ジュビアの気持ちを受け流し、アイツはその度に募る苦しさを抱えながら、それでも何年もの間俺だけを想ってくれた。
俺が発する言葉一つ一つに傷付きながら、いつか俺が振り向いてくれると信じて。

それが、今やどうだろう。
俺達の立場は昔と真逆。
届かないと分かっている想いを抱え、苦しむだけだと分かっているのに、それでもジュビアの近くに居たいと願う。

どうしてこの気持ちを、ジュビアが俺を好きだと言ってくれていた頃に気付けなかったんだ。
3年前のあの時に同じ気持ちを抱けていたなら、今の俺達はきっと、お互い好きという気持ちを伝えあって、確かめ合って、ありふれた男と女の様に恋人同士になれたかもしれないのに。
それが出来なかった自分が悲しい。
悔しくて、歯がゆくて、やりきれなくて。

気が付けば俺はそのままジュビアの服を剥がし、プライドの欠片も無いただの男になっていた。

「い…っ、ん!…あ……ああ」

欲望を突き立てる度、歪んでいくジュビアの眉。
痛みと恥辱を噛みしめる唇から漏れる息交じりのかすれた声が、俺を、理性などない目の眩む様な世界へ引きずり込んでいく。

「他の男のモンになるなんて、許さねえ…っ。お前はっ……俺、が、好きだったんじゃなかったのかよ…!」

身勝手な言い分が口をついた時、俺はジュビアの太腿に赤い筋が伝っている事に気が付いた。
そんな…付き合ってる男が居るって…――。
目の当たりにした事実に驚愕しながらも、俺には自分の衝動を止められなかった。
だってそうだろ。
今更、優しさを表に出したって、遅すぎる。
もう三年前にも戻れない。
三年間苦しさを伴いながら築き上げて来た元の関係にも戻れない。

ジュビアの蒼玉から流れる涙がどんな意味を持っているか分からないまま、俺はその腰を掻き抱いた。


〜続〜

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