企画

□自販機の彼
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困った。
非常に困った。
これも全て今日の占いが最下位だったからだ。

大会当日だっていうのに…
家を出ようとしたら、自転車はパンクしていて走る羽目になるし、慌てて乗り込んだ電車は遅延した。
会場についてからも、チームメイトとはぐれてしまった。
連絡を取ろうとしたらケータイの充電をし忘れていたようで、電源が落ちていた。

極め付けにはこれだ。
目の前に突きつけられた現実に、最早泣きなくなってきた。

自販機で飲み物を買おうとしたら、私の後ろを通った人にぶつかり小銭を落としてしまった。
落ちた小銭はなんと、自販機の下に転がっていった。

手を差し込むスペースは十分あるけど、あと一歩の所で、短い腕が仇となり、届かない。

床に這いつくばってる姿を 通り過ぎる人達に見られるのもそろそろ限界だ。

「最悪っ…」

もう諦めようかな…
そろそろアップもしなきゃいけない時間だし…
そう考えて立とうとした時、後ろから低い声がかかった。

「おい、そこどいてくれねぇか」

「え、あ…」

ジャージ姿の大柄な男の人。
どうやらこの自販機に用があるらしい。
ごめんなさい、と言って去ろうとした。
けれど、目の端に映ったそれに思わず振り向いていた。

「何、してるんですか…」

「小銭 落としたんだろ?」

大きな体が地面に引っ付いていた。
さっきまでの私みたいに。

「お、あったあった」

再び立ち上がった彼から、向けられた手のひらには、確かに私が落とした小銭。
受け取れと言うように碧く光る瞳に促され、おずおずと手を彼に向けて伸ばす。
手のひらに軽快な音をたてて小銭が落ちた。

再び自販機に体を向けた彼だったが、

「んだよ、売り切れかよ…」

と小さく呟いていた。
そのまま立ち去ろうとしている後ろ姿に、声を掛ける。

「ありがとう…ございました」

「ああ」

首だけで振り向いて、そう返事した彼の背中をを見えなくなるまで見つめていた。

「あ…」

はっと我に帰って、自販機に向き直ると、飛び込んできた売り切れの赤いランプ。
それはコーラにしか点灯してなかった。



その後、目的の飲み物を買った私はフラフラと歩いているところを、チームメイトに見つけてもらい、無事に競技にも出られた。

帰り道でも、家に着いてからも、ベッドに横になった時も、頭にあの自販機の人の姿が浮かんで離れない。

どうしてだろう。
消えて欲しいとは思わなかった。
ただ、疑問だった。





「それはなまえ、恋じゃない?」

「え?」

その言葉にピタリと箸が止まった。
休み明けの学校の昼休み、同じ水泳部の友達にその話をした所、返ってきたのがそれだった。

恋?
…恋?

「そんな訳ないよ。だって、それだけ…だったんだよ?」

「一目惚れなんてことも世の中にはあるからね〜おかしくはないと思うけど」

「そうなのかな…」

恋特有のドキドキ、とかがあった訳ではない。
ただ、気になる。
もう少し、どんな人なのか知りたい。

「その人も水泳部ってことでしょ?また大会で会えるんじゃない?」

その時 思い切って声かけてみなよ!そんなに気になるならさ、と彼女は続けた。






「嘘っ…」

本当に会えてしまった。
あのジャージ、あの大きな背中、間違いない。彼だ。
同じジャージを着た人達と連れ立って歩いている。

途端に彼女の声が頭の中で木霊した。

─────…思い切って声かけてみなよ!そんなに気になるならさ…─────

あの時私は恋じゃないと思った。
だけど、日が経つに連れて、会いたいって思うようになった。
今日、姿を見て、嬉しいと感じてしまった。
恋なのかもしれない、と信じてみたくなったんだ。




大会が終わった夕方、彼の姿を探す。
会場にはあのジャージの集団はもう居なかった。
間に合え、間に合え。

…いた!
駐車場に向かってる!
私の瞳には、もうその後ろ姿しか見えなかった。


「あのっ!」

彼は同じジャージの人と話している最中だった。
2人同時に振り返る。
彼の瞳が、私を捉える。
やっと…会えた。

「先乗ってるぞ」

「ああ」

赤髪の人が気を利かせてくれたようで、バスに乗り込んで行った。


「この間の大会の…だよな?」

覚えててくれたんだ…
きゅっと胸が締め付けられる感覚になる。

「あの、この間はありがとうございました!それで…お礼と言いますか…」

「それ…」

私の手にはあの日彼が買おうとしていたコーラ。
姿を見つけてから直ぐに買ったからまだ冷たいはずだ。
彼はそれをひょいと手にして、

「ありがとうな」

と微笑んでくれた。
笑顔を見たのは初めてだ。
先ほどとは比べものにならないくらい、胸が、苦しい。

「好きです」

気づいたら口からそんな言葉が出ていた。

「あの時、助けてくれた時に、好きになってしまいました」

「……」

「返事はいらないです。ただ…あなたのことをもっと、知りたい」

碧い瞳を真っ直ぐ見つめて、言った。
彼も見つめ返してくれた。
口を閉じた私を暫く見据えて、真剣な表情は一転、ふっと息をついた。

「じゃあ…友達にでもなるか?」

「え…いいんですか?」

「なんだ、嫌だったか?」

「う、ううん!嬉しい…」

慌てて大きな声を出した。
そして、お互いの顔を見合わせて吹き出した。

ひとしきり笑った後、名乗りあって、連絡先を交換した。

「じゃあ、もう乗るな」

「うん。ありがとう…宗介くん」

「またな、なまえ」

こちらに向けてくれた笑顔は、夕陽に染められて輝いて見えた。

私の顔が火照っているのも、きっと、夕陽の所為……






「おい、なまえ」

「いたっ、何すんの!」

「お前がボーッとしてるのが悪い」

デコピンを食らう。
容赦のないやつだ。

「ふふ、ちょっと昔のこと思い出してたの…」

「昔?」

「うん、宗介って自販機より大きいんだよね」

「悪りぃかよ」

「全然?」


あれから幾つも景色が変わって、私たちの関係も違うものになった。
これからもたくさんの季節を共にして、たくさんの思い出が出来るだろうけど、私は、あの出会った夏のことを忘れない。

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