めいこい 中編

□その水面に映るのは/切甘
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音二郎さんと一緒に鹿鳴館の晩餐会に来ていた。
日比谷公園での散歩の帰りに木村屋の前で声をかけられたのだ。



「よう。あれから元気にしてるか」

「音二郎さん…、お久しぶりです」

「相変わらずあんぱんが好きなんだなぁ?
…また5つ買ってるのか。
そういや、訳ありの相手とはちゃんと仲直りできたのか?」

「訳あり?なんですか、それ?」

「おいおい、今更とぼけるんじゃねぇぞ?
ついこの間、神妙な顔して『あんぱんが一つ余ったんです〜』なんて言ってたじゃねぇか」

「余らせた事はありませんよ?
五つ買うのは、三時のおやつにフミさんと半分こするためです」

「サンジノオヤツ?おやつはおやつだろうが。
じゃなくて………本当に覚えて無いのか?」

「音二郎さんと会ったのは覚えていますよ?」

どうしたんだろう?
ついこの間会った事くらいは私だって流石に忘れない。
でもからかっている様にも見えない。
…そう言えば先日、鴎外さん達にも妙な事を言われた。



……………………………………………



"もう師匠の所へは行かなくて良いのかい?"


師匠って?
いつも公園で遊んでいる三毛猫の事?
まぁ、師匠と呼びたくなる様な立派な風格があるけど、そんな話したっけ?


などと考えていると、鴎外さんはふと我に返った様に
「日課の散歩の時間ではないか?」
と言い出した。
師匠って何のことだったんですかと聞いてみると、今度は鴎外さんが不思議そうな顔をした。
公園にお前のお師匠さんでもいるのかい?と真面目な顔をして言うから、結局分からないままになってしまった。



……………………………………………



そして今も、音二郎さんに誰か分からない人の事を聞かれている。

訳あり?
全く思い当たらない。
鏡花さんにはよく怒られるし、藤田さんは少し怖いけど"訳あり"という程の関係ではない。
………もしかして1度記憶を失うと同じ様な事が続いてしまうのだろうか?
自分で思い至ったその可能性に背筋が冷たくなった。
ただでさえ、自分が何者か分からなくて不安で仕方ないのに、これから記憶を重ねて行く事すらも出来ないとなったら、私はどうすれば良いのだろう。
鴎外さんに助けて貰ったおかげで今はなんとかなっているけど…。
最近は保護をされた時の記憶まで曖昧になっている。
恩人達との、今に繋がる記憶の始まりなのに……。





「どうした?」

「あ、いえ……」

「………………。
よし。お前、暇なら今日は俺に付き合え」

「なんですか?」

「いや実はな、鹿鳴館で晩餐会のお声がかかってんだけどよ、今夜は少しばかり面倒な相手がいてな、
気乗りしねえんだ。
可愛らしいお嬢ちゃんが一緒に来てくれるなら行ってやっても良いかと思ったんだけどよ」

「か、可愛い……って!」

「はは。ほら、膨れっ面が子供みたいで可愛いじゃねえか」

「こど……。
…子供じゃお役に立てないと思いますケド」

「あはは、子供ってのは冗談に決まってんだろう?
可愛い連れがいた方が逃げ易いんだよ。
お前は豪勢なご馳走でも好きに食ってれば良いからよ」

ご馳走と聞いて、行っても良いかと思った。

「じゃあ……」

「ありがとよ。
お前の気晴らしにもなると思うぜ?」

………………あぁ、そういう事か。
音二郎さんにはいつも心配ばかりして貰ってるなぁ。
………いつも。





そういう訳で晩餐会に来ていたのだけど結局、音二郎さんは「面倒な相手」らしい人達に連れて行かれて話し込んでいる。
たまに気にかける様に視線を投げてくれるから、こちらもちゃんと楽しんでいるから大丈夫、というつもりで視線を返す。
それに予想通りと言うか鴎外さんも来ていて、我ながらそれなりに溶け込めているのではないかと思う。

……でも溶け込んだのは良いけれど食べ過ぎてしまった様で、夜風に当たろうとバルコニーに出た。


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