鬼人の叙事詩

□一章
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 これは人とか鬼とか、それ以外の某が繰り広げる物語である。

 もしこの物語に目的があるとするなら、それはきっと、



















(はてさてここはどこだろう?)
(とばされましたねわかります)

 既に常套句のようになっている台詞を心の中で唱えるレオンハルトが何かを殴り付けたい衝動を状況理解で抑え込んだのは、とても記憶に新しい。





 レオンハルトの居るこの店は、<豚の帽子>亭という移動酒場である。
 その名の通り豚の背に立てられた酒場で、恐らくその子供が、今店主に残飯処理の命を下された豚なのだろう、とレオンハルトは考える。
 その豚の名はホーク。
 曰く、残飯処理のエキスパートである。



「ほい、大ジョッキ一つ!」

「ああ。ありがとう、店主さん」


 目の前に置かれたバーニャエールにレオンハルトは、ほんの少し口角を上げて笑む。それこそ他人には見分けがつかないレベルの変化であるが、当の本人が一切気にしていないのだから、気にすることはないのだろう。
 当然ながら、店主にその違いは分からない。彼の知り合いでさえ、じいいいいい…と凝視して、ようやくぴくりと動いていることが分かるほどなのだ。
 エールに舌鼓を打つレオンハルトは、店主がきょとんとした顔でこちらを見ているのに気が付いた。


「僕になにか用でも?」


 いぶかしげに問い掛けるレオンハルトに、店主は首を捻る。


「んー……用っていうか、お前、俺が店主ってこと分かんのか?」

「分かる……? ああ、いえ、違います。分かったのではなく、知っていたのですよ。……全く、僕がどれだけ前からこの店を知っていると思って……ん、ん。まぁいいです。そういえば貴方、前に名乗ったことありましたよねぇ……ええと、確か、」


 メリオダス、でしたか。
 ふと、本人すら気付かないほど微かな笑みを浮かべたレオンハルトに、メリオダスの胸が波打った。
 自分でも理由がわからないその現象に、首をかしげそうになるメリオダス。そのせいか、表情は固い。
 それを『こちらだけが名を知っているのは不敬に値するのでは』と受け取ったレオンハルトが、言葉を続けた。


「僕はレオンハルト。好きに呼んでくれて構いませんよ」

「そーか? んじゃ、<豚の帽子>亭のマスター、メリオダスだ。よろしくな、レオンハルト!」


 にししと笑って、メリオダスは右手を差し出す。
 レオンハルトはにこにこと、自分には到底出来ないような笑顔を見せるメリオダスに、少し迷い、そして「こちらこそ」と、同じように右手を伸ばした。

(右手同士の握手は友好の印だという話を、どこかで聞いたような気がするけれど……んー……うん、まあいいや)

 コンマ数秒の間に思い出そうかと頭を働かせたが、やはりどちらでもよくなったのでその思考を迷いなくぶち切った。
 興味のない事柄にはとことん無頓着で無関心なレオンハルト。きっと数秒後には、思い出そうとしていたことすら忘れていることだろう。


「メリオダスさん、と呼べば良いですか?」

「いや、俺のことは敬意と親しみを込めてメリオダスと呼んでくれ」

「はあ、敬意と親しみですか……はい、ではメリオダスと」

「ああ!」


 にい、と満足げに笑うメリオダス。
 なぜ彼は笑っているのか、レオンハルトには分からなかった。
 普通に暮らす以上、それほど疑問に思わないようなことであっても、それは彼にとって、とても不思議なものだった。

(笑う必要も、要素も、……そんなもの、どこにもないのに)


 お前のことは親しみを込めてレオって呼んでやるよ!

 そう、笑顔で言ったメリオダスに、いつかの『影』が重なった。





『レオンハルト……? ふん、なんだその名は。うざい、おかしい、似合わねぇ。何より長くてめんどくせぇ』

『呼び掛ける度にそのレオなんとか……あーめんどくせぇ、いっそのことレオでいいだろいいよないいに決まってるはい決定はい決定!』

『……くはは。んな冷たいこと言うなよ、俺様が傷付いちまうだろ』

『レオ、レオ、レオ……俺様の大切なレオ』

『俺様が……いや、俺が、』







 仕事に戻るために足を進めるメリオダスの背に、レオンハルトは無意識に『彼』を呼んだ。






























  クローフィ


 呟いた本人にすら聞こえない音量で呼ばれたその名前に、反応する一つの影。
 黒い外套を身に纏い、フードを被ったまま木の枝で寝ていた『彼』は、鼓膜を通さず頭の中に響くその声に体を起こした。
 被っていたフードが落ち、隠れていた瞳に夜の景色が映り込む。
 立ち上がった振動で、首輪についている鎖が、ちゃり、と小さく音をたてた。

 月明かりに照らされ輝く黒髪に、血液を凝縮したかのように深い赤色の瞳。
 縦に伸びた瞳孔はぎらつき、それは敵を見据えているようでいて、何か大切なものを見つめるように愛しさで溢れていた。
 その姿は、今にも相手の喉元を食い千切らんとする獣のように獰猛、けれど気高く美しい。
 まるで完成された生命のように。


「……見つけた」


 ぶわ、と巻き上げるような風が吹き、それが今しがた寝床として使っていた木の葉が舞い散る。
 『彼』の感情に、風が左右されているようだ。

 なびく黒。細められる赤。上げられた口角。
 口内から覗く赤い舌が、時折ちろりと薄い唇を舐める。端麗な顔も手伝ってか、その姿はやけに官能的だ。


「呼ぶのが遅ぇんだよ馬鹿がッ……くっそ、堪んねェ……!」


 ふは。と熱い吐息が、彼の視界を白く染める。
 ぞくぞくと背筋を這い上がる、泣きそうになるほどの高揚感。
 どくどくと早まる鼓動に苦しくなり、堪らず心臓を抑える。
 ふらふらと足元が覚束無い感覚を覚えていながら、彼は『大切』を見続ける。

 興奮状態にある『彼』に、繋がれていない鎖など無意味。首輪が表すのは隷属だけではない。
 あらゆる衝動を、感情を、欲望を、それ以外の全てを制御することを意識させること。
 暴走させない、という意図もあって『首輪』という形に落ち着いたは良いが、しかし。
 どうやら、枷は意味を成さなくなってしまったようだ。


 鎖と鎖を繋いだ先は、過去幾百を振り返ろうと、ただ一人の『あいつ』のみ。

 見据えれば、居ると『解る』。
 『彼』にとっても、唯一無二の存在が。


 視線の先に、『あいつ』がいる。

 遠く離れた地にいながら呼ばれたと確信する『彼』は、体内から沸き上がる衝動に忠実に、歪んだ笑みを形作った。

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