番外編

□音速の無駄遣い
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「おれ、もしかしたら幽霊見たのかもしれない……」


夕食も済んだダイニングで、両肘を突いて顔の下半分を隠したシャチが、神妙な様子で打ち明けた。
ペンギンは「へー」と適当に流した。


「何だよ『へー』って!さてはお前信じてないな!」

「うん」

「!!おっお前……!!なんて友達甲斐のない奴…!!」


ショックで突っ伏するシャチに、周りが「信じてやれよー」だの「話だけでも聞いてやれよ」囃し立てる。


「お前ら他人事にすんなよ。なあシャチ」

「そうだぜペンギン!皆も聞いてくれよ!おれここ2日で2回も見たんだぜ!」



シャチの語る幽霊(仮)との邂逅、まずは1度目の話。
それは、洗濯当番をこなしていた時のことであった。

元より雑な男所帯の洗濯係りで、その大雑把さが一番出るのは干す時である。
取り込んでもたたむ、なんてことはしない。
洗濯が終わったら、服の種類ごとにまとめて籠に入れ、それで終わりだ。
唯一例外は、ローの物、それと医者であるローが何より気を使っている医療室の備品だけだ。
それらに細心の注意を払うかわりに、クルーの洗濯物はほぼ適当なのである。
干す前に、洗濯物を伸ばすことすら稀だ。
洗濯バサミも、物が飛ばなきゃそれでいいというのが丸分かりの付け方。
それが日常だった。
なのに昨日、シャチがいつも通り洗濯物を干した後、洗濯室に残っていた分を持って戻ってみると、何故だか景色がキレイだった。
最初は違和感に気づけなかったシャチだが、残りを干していくうちにわかった。
ピンと伸びた裾や袖、キチンと端と端に止められた洗濯バサミ――――の隣に増えていく、今しがたシャチが干し始めた歪で皺が寄った服。
そのとき彼は、こう思った。
とうとう自分たちの粗雑さにブチ切れた我らがキャプテンが、比較的マトモ(丁寧)な奴らに命じてやり直させたのではないかと。
となると、今日運悪く当番であるシャチが、最もお叱りを受ける確率が高い。
それは嫌だ。
だって他の奴らもいつもそうじゃん!と、内心己の不運を嘆いていると、洗濯物に紛れて、何か動くものが見えた。
シャチは瞬間的に、それがこのキレイな洗濯物の犯人であると考え、とにかく状況を把握しようと手を伸ばす。
誰がやったのか知らないが、キャプテンにバラされるのは遠慮したい。
もしかしたらキャプテンが命じたわけじゃないかもしれないし!


「……え」


僅かな希望を携え伸ばした手は、呆気なく空を切った。
たしかにそこに、人影がいたはずなのに。





「そーいや昨日の分、いつもより皺が少なかったもんな!」

「シャチなのにな」

「お前ら無礼だな!事実だけど!!そっちじゃねーよ!大事なのは人影の方だ!!!」



肝心の不気味な人影を差し置いて、水を差されたシャチは気を取り直し「じゃあ次だが」と続ける。


2度目は今日、ついさっきのことだ。
潜水中は、海の大型生物を避けて進むこともあるので、予告なしに船体が揺れることもしばしばある。
さっきも、追ってくる海獣を振り切る際に大きくカーブした直後、うっかり足を滑らせたシャチは案の定、壁に頭からぶつかろうとしていた。
痛いだろうな、と痛みを覚悟した一瞬の後、感じたのは痛みではなく、頭を鷲掴む締め付けだった。


「……え」


シャチは不思議と、先日の幽霊っぽい人影のことを思い出していた。
何故なら、シャチが歩いていた廊下には、人の気配がまるっきりなかったのである。
まさか本当に幽霊…?とビビリそうになる自分と、いやいやオレが背後をとられても気づかないだろう実力者は、実は結構船の中にいたりするじゃん!とちょっと悲しい事実を思い出させる自分とが今、脳内でせめぎあっている。
時間にすると僅か数秒、勝敗は、後者に軍配が上がった。


「…キャ、キャプテンっスか…?」


恐る恐る振り返ったシャチが見たのは、誰もいない壁だけだったのは言うまでもない。





「ぶっ!!シャチお前マジまぬけだな!!」

「ぶははははっ!!!」

「お前らだから何でそっち!?そこはおれの頭を掴んだ奴に恐れおののけよ!!」

「キャプテンじゃね?」

「それかお前じゃねーの?」

「いや」


ペンギンは首を横に振る。
1度目はともかく、2度目はローも自分も関わっていないと言い切れる。
ローはその時間自室の船長室にいたはずだし、シャチを助けたとしても、そんなまわりくどい立ち去り方はしない。

ペンギンの頭に、侵入者がいるのでは、と僅かに過ぎる。
いや、侵入者なら、それこそ洗濯物なんて手を出すか?と考えを捨てた。

そして大笑いしていた奴らの中で、あまり笑っていなかった奴が1人「実は…」と話し出す。
すると他にも次々に「もしかして…」「それなら」などと、心当たりありそうな奴らが出てきたのだ。


1人は整備士。
シャチのように船体が揺れた時、誤って工具箱を倒して中身をぶちまけた。
しかし、彼が中身を集めている最中、誰かが工具箱に落ちた工具を戻していた。
手伝ってくれた礼を言おうと顔を上げると、その人物は姿を消していた。


1人はコック。
彼は食事時の最も忙しい時間帯を終えて、気が緩んでいた時だった。
小さな女の子の声で「…おいしいごはん…ありがとう……」近くで囁くようにそう、響いたというのだ。
あたりを見回したが、やはりそこには誰もいなかったという。


そして最後はベポ。
何だか一番、幽霊とは縁のなさそうな人物…じゃなくて、熊。
彼は人間より少し読み取りづらい毛むくじゃらの顔を傾げ「それなら」ともう一度口を開いた。



「多分、全部シノじゃないかな」

「はぁ?」

「たしかに女の子の声っつったらシノしかいねーしな」

「でもよ、すぐ隣で囁かれたような感じだったんだぞ?いくらなんでも…」

「あ!そーいやあいつの能力って音を操るんだっけか」

「なーんだ」

「でででででもよ!じゃあおれの頭掴んだり、洗濯物とか!工具拾ったのは誰なんだよ!」

「それもシノだよ。昨日、洗濯物直してるの、おれ見たし」

「見てたのかよ!」


頷くベポ曰く、シノは音波になれるので、そうなるとまるで瞬間移動みたいなのだそうだ。
風で飛ばないよう干し直した後、甲板へ続くドアの向こうから見ていたベポのところまで瞬時に現れたらしい。


ともあれ、幽霊(仮)事件は、これであっさり幕を下ろしそうである。
シャチは、あんな小さな少女に自分の背後を許してしまったことに微妙にブルーになりつつ、まあ能力なら仕方ないか、と思いなおした。
シノは不意をついたとはいえ、あのローとクルー達から逃げおおせたことすらあるのだ。
充分あり得る。
それよりシャチは、先日無事クルーの一員となった少女がこっそりクルー達の手助けをしていたことにジーンとしていた。
あれでいて、馴染もうとする努力はしていたのだ。


「そうか…あいつ、能力使ってこっそり手伝ってくれて」


いい奴じゃないか、という雰囲気が漂う。
ベポはふるふると首を横に振った。
音波は物を掴めない。


「いいや、使ったのは音速で逃げるときだけ」

「なんでだよ!?そこは使うなよ!!」

「どんだけ逃げてーんだ!?」

「だって人見知りだから」

「「「「あー」」」」


人見知り少女が素直に礼を言わせてくれるのは、まだ先の話のようだった。

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