HIT企画
□いつかたくさんの季節を
1ページ/2ページ
およそ1年ぶりに木之本家に訪れたその人に、桜は階段を軽やかに、だが性急に駆け下りていった。
「シノお姉ちゃん!!」
ケルベロスことケロちゃんはというと、玄関先の来客に飛びつこうとして桃矢に首根っこ掴まれている桜を階段の上からこっそり見ていた。
家政婦ばりに覗き見るケルベロスは、兄妹の他愛ない喧しさを知世のようにまあまあと見守る客人の笑みに、こりゃまたどっかのお嬢さんかいな、とあたりをつけた。
休みで家にいた藤隆もゆっくりとやって来て「いらっしゃい」と声をかけた。
手には、スーツケースを拭う布も準備済みという、さすがのお手前だ。
「お邪魔します叔父様。桜ちゃんもまたお姉さんになりましたね」
「本当!?」
「社交辞令だ。本当のお姉さんはいきなり客に飛びついたりしないんだよ」
「うう〜〜!!」
「桃矢君は毎日見ているから実感がないのですよ」
「さあさあ上がってください」
事前に桜から教えられた情報によれば、彼女は桜の父方の従姉妹にあたるらしく、夏休みを利用して遊びに来たのだそうだ。
その間は桜の部屋で一緒に寝泊りをするらしく、ケルベロスはそう間をおかずしてやって来た知世によって、彼女の家へと入れ替わりにあちらへ泊まる事になっている。
リビングでお茶をしている大人達から一時抜け出してきた桜は、知世の前で手を合わせると「本当にありがとう!!ケロちゃんいい子に大人しくしてるんだよ!」と余計な一言付きで彼を知世に託した。
桜の部屋とは比べるでもなく、広く美しい彼女の部屋でお菓子のお持て成しを受けつつ、知世は思い出したように微笑んだ。
「ふふふ…桜ちゃん、本当に嬉しそうでしたわね。まるで雪兎さんにお会いになる時のようにはしゃいでおいででしたわ」
「もっぐほももも…っごくん!
そやなー。えらい懐きようやったで」
「何でもあちらの…シノさんのお家は数年前までとても大変だったようで…それまで桜ちゃんは小さい頃に会ったきりだったそうですわ。毎年夏にお会いになれるようになったのも、ほんのここ2年程のようです」
「そーいえば、なんやえらい久しぶりで喜んどったもんなあ」
やっぱ金持ちのいいとこの家には、何や面倒な事情があんねんなあ、とは、さすがに知世の前では言わなかったケルベロス。
口にお菓子を詰め込んで、頬をもごもご膨らますケルベロスに、知世はまたふふ、と笑みを零す。
「私もご挨拶程度にしかお顔を合わせてはおりませんが、きっと桜ちゃんの好みのタイプというやつですわ〜」
「?」
「雪兎さんや、桜ちゃんのご両親のような、お優しくてぽかぽかと穏やかなご気性のようにお見受け致しましたわ」
ハンディカムを構える時と同じテンションになりつつある知世の前で、お菓子を紅茶で流し込んだケルベロスは、これまた「ぷはー!」と行儀もなにもあったもんじゃない男らしさを見せていた。
「たしかになぁ」
「またとない機会ですからお邪魔するわけには参りませんが、私も是非またお会いしてみたいですわ〜出来れば桜ちゃんとセットで!ああお揃いのお洋服もきっとお似合いでしょうね!」
「そ、そやなぁ…」
ところがどっこい。
知世が邪魔をしようと思わずとも、騒動の方からやってくるのは最早、逃れられない運命というやつで。
先生も言っていたではないか。
この世に偶然はなく、あるのは必然のみである、と。
―――それはシノにとっても言えることだった。
幼い時分より、家が没落したり返り咲いたり、異世界トリップなんて経験もしたりして、ある意味桜よりも必然に振り回される運命にあったシノは、夜中に家を抜け出した小さな従姉妹を追いかけた。
何かを感じてふと目覚めたのは桜だけではなかったのだ。
誰にも気づかれぬよう、こっそり家を出たつもりの桜は、普段は優等生といえる良い子である。
最初は部屋を出て何をするのだろうと思っていたシノも、玄関のドアが開いた音にギョッとして後を追ったのだ。
するとどうだろう。
まるでシノが知る異世界の魔法のような現象が起こったかと思うと、ややあって治まったそこには、獅子と一緒にほえほえ言っている桜の姿があった。
サッと顔を青くして桜を呼べば、桜も顔を青くして、獅子を背にしていた。
「桜ちゃん!!」
「シノお姉ちゃん!?」
「こりゃまた…」
大型動物を隠すように慌てる桜を見るうちに、どうやら危険はないものと判断したが、それでもシノは眉を釣り上げる。
「今何時だと思っているのですか!!」
「えっえっと…!えっと!!」
「それにこの子は?変な人には…怪我は?何かされたりしませんでしたか!?」
「…っだっ大丈夫…ごめんなさい」
俯き加減に謝ると、自分と同じようにパジャマに上着を引っ掛けてきただけのシノに抱き締められ、その首筋には髪が張り付いていた。
桜の目が潤み、ケルベロスも元のぬいぐるみサイズに戻った。
「無事で良かった…!!」
「しゃーないな」
桜の無事を確認したシノは、獅子の変化に目を丸くしていた。
「あら…?さっきの子?」
「せやで」
「ケロちゃん!」
「誤魔化してもしゃーないやろ」
「あ、あの…私はシノといいます…!あなたは…ケロちゃん?ですか?」
「お姉ちゃん!?」
「わいはケルベロス!ケロちゃんでええよ」
桜はこの不可思議な生き物を目の前にして自己紹介までしているシノに驚愕しているようだが、ケルベロスは落ち着いていた。
桜の親戚だからという納得や安心もあるが、彼から見ても、シノは軽はずみに言いふらしたり変に疑ったりする人物には思えなかった。
問題が起きそうなら、それはそれで対処するまでだ。
それから2人と1匹?でこっそり家に帰り、眠っていた為置いてきた知世にメールで連絡だけ入れて、説明はまた明日と就寝した。
ケルベロスの思ったとおり、シノは不思議に強い木之本家と知世並みの姫育ち故の大らかさで、クロウカードやらケルベロスの獅子verを受け入れた。
ただし、現象を受け入れる事と、事態を受け入れるかどうかは別の話である。
苦労した経験からくる、そこかしこに滲む思慮深さは良くも悪くも誤算だった。
「……それって危なくはないのですか?叔父様たちはご存知なのですか?」
「え!勿論知らないよ!言えないよ…!」
「勿論…が正しいとは思えませんが……夜中に突然飛び出す必要があるだなんて…」
「うっ…!……お願いお姉ちゃん!夜に出て行ったのは悪い事だってわかってる!でも皆には言えないよ…!こんなの…心配だってかけちゃうし……」
「当たり前です。叔父様たちにとっては、桜ちゃんが危ない目にあうかもしれないのに、知らない事の方が辛いですよ」
「うぅ…」
シノは、正座して小さくなる桜のつむじを見下ろし、厳しい表情を少しだけ緩めた。
危機感のなさ、軽率さは問題だが、カードによって引き起こされる超常現象は桜のせいではないだろうから。
そういった事情も鑑みて、今後は何が起ころうと門限以降の外出はしないと約束させる事で、シノも秘密を胸に仕舞う事を約束した。
「でも、危険な目にあうようなら話は別ですよ。桜ちゃんが怪我をしてもしなくても、そういう目にあいそうだと感じたら、すぐに叔父様たちにもバラしちゃいますし、そのカードに関わるのを全力で阻止しますから!」
「ほええええ!!?」
「ケロちゃんも、うちの桜ちゃんはまだ小学生なのですから、責任もって見ていてあげなくては駄目ですよ」
「わ、わかりましたわ…」
(何だか今日のシノお姉ちゃん怖い…!私が夜中に出て行ったのも悪いんだけど…!!)
ケルベロスも思わず敬語になってしまう、優しい従姉妹の初めて見た厳しい顔に、桜は涙を浮かべて頷くほかなかった。
この後、桜から聞き出した知世という事情通と仲良くなり、桜の近況などが把握されていく事など、桜は知らないのだった。