この手はいつだって
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兄さんは基本、歩かない。いつも羽根を広げて浮いている。僕は礼拝堂の中で、埃一つない銀の杯を磨いていた。うん、銀も十字架も僕らには効かないんだ。本当に、僕らは悪魔と呼んでいいのか判らない。他の奴らは大ダメージなのにね。
「流石にさー、兄ちゃんわかんないやー。今回ばっかりは」
「?」
「いつもの気まぐれかと思ったけど違うんだもん。全然帰る気配ないし、ましてや神父ごっこ始めてるし」
「……………」
「そんなに、大好きだった?カラ松神父が」
「……は?」
「恋人だろ、お前の。まぁ、流石に天使に手を出すとは思わなかったけど……」
「彼奴は、カラ松は恋人じゃないよ。僕が気まぐれでした質問に、毎日真面目に応えてただけだ」
「そうか?ならなんでお前はアイツが死んでから、ずっと此処に留まってるんだ?そんな恰好やピアスまでしてさ」
「…………判らない」
愛が判らないから、彼奴――カラ松に聞いた。そうしたら、彼奴は嬉しそうに色んな愛について説いてくれた。
バカみたいに回りくどい言い方で。イタい台詞で、格好つけて。必ず裏の薔薇園で。時々ギターを弾きながら。
そんな彼奴の隣が、何故か居心地が良くて……意外に良い声で話すから、聞き入ってしまって……
でも、もう……どこにも、いない。
死んで百年経ってる。いや、そもそも塵になった。しんだって、いえるのか?
「…生まれ変わりでもいいから会いたいって、思って、ずっと此処に留まってるんだとばかり……俺は思ってたけど」
「……だから、僕も、愛が判らないってば……」
判らない。
此処に留まる理由も、この姿に拘る理由も……
ただ、離れたくなかった。
ただ、此処に居たかった。
他の奴に、この教会の神父をさせたくなかった。
『狂ってるか……褒め言葉だぜ――――Bang!!』
『愛とは何か、それはつまり他人を思いやる心さ。俺がお前を助けたのも慈愛という愛』
『愛については、一日二日じゃ説明はしきれないな。明日もまた、此処に来ると良い。迷える子羊を真実の愛に導くのが俺の宿命だからな、baby』
「…僕は、恋人なんかじゃ……ない」
でも、彼奴は――――
『…すまないな、一松。俺は、禁忌を犯してしまった……もう、お前に逢うことも、愛を説くことも……口説くことも出来ない』
『これは、俺の最初で最後のエゴだ。返事は要らない……いや、聞くことが出来ない』
『一松、お前に逢えてよかった』
『愛してる、一松……永遠に、お前だけを』
僕に愛を説きながら、確かに口説き文句を言っていた。僕はそれを聞き流していた。
カラ松は、たった一度だけ僕に向かって言った。愛してると。そして、僕の目の前で、雷に撃たれて塵になって消えた。
そう、消えたんだ。
「―――――――――――――――――――……っ……なに、これ」
「……一松、お前……」
彼奴が消えた瞬間を、思い出したことは何度もあった。夢にも見た。胸が苦しくなるから、思い出さない様に、寝ない様にしていた。思い出したくないから……
僕は、長い生の中で、今初めて涙を流した。初めは自分の目から何が出ているのかが判らなくて、それが、涙だと気づいたら……止まらなかった。
急に泣き出した僕を呆然と見つめた兄さんは、羽をしまって、床に足をつけると僕を抱き締めて、顔を肩に埋める様にしてくれた。僕は声を出さずに、兄さんの背中に縋りついた。涙が、止まらない。胸が痛い。彼奴に逢いたい。声が、聴きたい……
「……俺も今日から、此処に棲むよ。お前の大切な思い出、守ってこ?」
僕はおそ松兄さんの台詞に小さく頷きながら、「ああ、僕、彼奴との思い出を守りたかったんだ」と、やっと自覚することが出来た。
この教会に棲んで良いのは彼奴だけだ。
彼奴が好きなバラ園も、庭も、このステンドグラスも
この教会も。全て、彼奴のモノだから。
悪魔の僕が、教会を守るなんて、バカげてるけど……
彼奴が愛したこの世界を、彼奴がいないこの世界で
生きてゆこうと、そう思った。