ヒカルの碁
□Next 第1章
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「……」
「……
聞こえるのですか?」
「私の声が——
聞こえるのですか?」
ふいに、そう呼びかけられた気がしてヒカルは立ち止まった。
国を代表しての囲碁の大会である北斗杯を終え、ヒカルたち一行は帰路につくべく空港のロビーでチェックを待っていた。
圧倒的な強さを見せた韓国勢に、自分たちはまだまだだと苦い思いをさせられ、なおかつ本因坊秀作を貶され、ヒカルは酷く複雑な思いで飛行機を待っていた。
江戸時代の囲碁の名手、本因坊秀作は・・・ヒカルの最も知る人物と関わりがあった。
藤原佐為。
本因坊秀作の代わりに碁を打ち、碁打ちの青年を最強の座に押し上げたのは、この人物の力があってこそだった。
そして……。
塔矢アキラとの初の手合いの場で彼を打ち負かしたのも、同様にヒカルに取り憑いていた佐為であった。
その後ヒカルは佐為の指導で、実力で囲碁のプロになることができた。
……佐為はヒカルの囲碁の師匠で、そして時を越えた友人でもあったのだった。
この騒がしい空港の中で、そのか細い声が聞こえてくるはずは無いのに、それでもヒカルは振り返らずにはいられなかった。
「……佐為……!」
嬉しそうなその視線の先には、ヒカルが求めていた姿は見当たらない。
見落としは無いかと空港の端から端まで目を配ってみたものの、見慣れた烏帽子と装束を見つける事はかなわなかった。
「……いるわけないか」
ヒカルは自嘲気味に息を吐くと、ぽつりと小さな声でつぶやいた。
佐為が消えて、なんとか立ち直ったと思っていたものの現実はそうではないらしい。
ヒカルは佐為が自分の中にいる事を、囲碁を打つ事で何度も確認してきた。
佐為は消えていない、俺の中にいる。
しかしながら、ヒカルの前から消えてしまって以来。
どうしてもその姿を探してしまう。
……何だよ、俺……情けねぇ。
いくら北斗杯で負けて弱気になってるからって。
幻影なんか追いかけて何になるんだよ・・・。
顔を上げて、歩いて行くってさっき決意したばかりじゃないか。
まだこの世界に強い奴はたくさんいるって、思い知ったばかりなくせに。
「おい、何をしてる進藤」
「あ、ああ悪ぃ、今行く」
荷物を詰め込んだリュックをを片方の肩にかけ、ヒカルは声の主との距離を詰めた。
「……そういやさ、塔矢はお土産とか何か買ったのか?」
「いや、まだだ。
手続きが済んでからの方がいいと思って」
「ふーん」
「父は引退したとは言え、まだお弟子さんたちがいらっしゃるからね。
それから碁会所の人たちに、協会の人たち……」
「げっ、そんなに買うのかよ」
「当たり前だ。
日頃お世話になっている人たちだぞ」
「えー……。
あっ、そうだ!
その協会とか碁会所の人たちへの土産、俺も連盟ってことにしといてよ!」
「はぁ?
進藤お前何を言っている」
「いいじゃん、俺手合いしてないから金ねーんだよ」
「だめだ」
「ケチ。
……あーもうしょうがねぇなぁ!
半額出すから!」
「……」
「な、頼むよ」
「……仕方が無いな」
「よし!」
「全く……お前のその調子の良さは昔から変わらないな」
少し困ったように眉をひそめ、それでもアキラは口の端に笑みを浮かべていた。
アキラが大人ぶらず、こんな風に言い争いができるのはヒカルや一部の人間の前だけである。
囲碁のライバルであるものの、同学年の友人が少なかったせいか、アキラはヒカルを親友のように思っている節もあった。
ヒカルを通して、他の囲碁棋士たちとも交流を持つようになってきた。
少しずつアキラに訪れる環境の変化は、戸惑いつつも居心地が良い。
父親の背中を追い続けていた昔とは違い、下からも追われる立場になりつつあるアキラは、上だけを見ている訳にはいかなかった。
ヒカルを始め強敵が自分の周りにいる事、幼い頃とは違いがむしゃらに碁を打つ事……。
アキラは自分がプロになった事を、本当に嬉しく思った。