ヒカルの碁

□Next 第1章
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 事務室でお茶菓子をつまみながら、ふと、小波は手帳を広げてスケジュールを確認した。

 明日の予定の欄に赤い丸がついている。
この日は好きな作家の新刊が出る日だ。

 お昼休みに……いや、お仕事が終わった後にでも本屋さんに行こう。
休憩中に買ったら気になってすぐ本を開きたくなっちゃうもの。

 その他の、今週の予定を確認して手帳を鞄にしまうと、外からプロの3人が戻ってきた。

「おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
「それではお部屋にお飲物をお持ちしますね。
 ご希望はございますか?」
「あ、俺麦茶お願いします」
「俺いらねー。
 そこの自販機のコーラにする」
「進藤、お前炭酸ばっかり飲んでいると、糖分取りすぎるぞ」
「僕は緑茶をお願いします」
「はい、すぐにお持ちしますね」

 明朗で、素直な子たちで好感が持てる。
……自分の学生時代を思い出す。
あの時はこんな風に、友人と色々な掛け合いをしながら過ごしていたものだ。



 頼まれた飲み物を部屋に届けると、3人は早速囲碁を打ち始めていた。
この子たちにとっては、囲碁は仕事であり、趣味なんだなとちょっと微笑ましく感じる。
大好きなものを仕事にできるのは幸せな事だ。

「ありがとうございます。
 えーっと……藤城さん」
「あ、ごめんなさい自己紹介がまだでしたね。
 今年度から採用されました、藤城小波です。
 どうぞよろしくお願いします。
 先生方の事は存じ上げております」

 そのとき、三人のすぐ後ろに黒い碁石が落ちているのに気づく。
鈍い色を放っていて、少しツヤが無いように思えた。

「こんなところに碁石が……。」

 そっと手を伸ばす。
ポツンと一つだけ弾かれていた碁石に、なぜだか寂しさを覚える。
つまみ上げ、三人に顔を向けたとき。

「ーーっつ!!」

 一気に何かの衝撃が身体を駆け抜けた。
つまんだ指先から裂かれるような痛みが走る。

「どうかしたのですか?」

 塔矢が心配そうに小波に問いかける。

「あっ!!」

 ヒカルの声に慌ててそちらに小波が視線を送ると、あろう事か、碁盤の上に血が飛んでいる。
自分の手を見やると、明らかに出血をしていた。

「も、申し訳ございません!!」

 ポケットからハンカチを取り出し、碁盤の上をゴシゴシと拭き取る。

 ど、どうしよう。
 染みになってしまったら・・・!
 私のお給料じゃとても払えない。
 せっかく採用になったのに、こんな大失敗をするなんて・・・!

 ぐるぐると色々な考えが巡って、不安から涙で視界がにじむ。

「そんなの、どうでもいいから!
 早く止血した方がいいですよ!!」

 塔矢に強く諌められ、慌ててハンカチで指をくるむ。

「こっちは大丈夫だから、早く手当を」
「は、はい……。
 本当に申し訳ありません……」

 自分の不甲斐なさに唇を噛み締めながら、小波はその場を退席した。
バタバタと給湯室の水道へと向かっている間も、汚してしまった碁盤が気がかりだった。

 まずは、血を洗い流さなければ。

 レバーを引き上げ、右手を水流に浸すと鮮やかな血が排水溝へと吸い込まれていく。

「碁石で……切っちゃったのかな……」

 欠けている碁石は手を切ってしまうと聞いた事がある。
小波は意気消沈ながら血を洗い流し、指先を確認した。

「……。
 あ……れ……?」

 右手を表裏と何度も見返してみたものの、切り傷のようなものは見当たらない。
切ったとき特有のキリキリとした痛みも……感じない気がする。
しかしながら止血していたハンカチには、血の染みが広がっていて、明らかに出血していたと確認ができた。

「……」

 しばらくの間、薄気味悪く右手を眺めたものの、以降は血が流れる出る様子も無い。
念のため、救急箱にあったガーゼと包帯を人差し指に巻き付け、小波はその場を離れた。
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