story

□想い、やがて始まる
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足元に散らばる不用になった楽譜を集め、机に当てて整えると、それがトンと鳴る音が大きく響いた。

そんな気がしただけで実際は大した物音ではないだろう。
だが長い時間ヘッドホンを付けっ放しで作業していた耳は、それを外してからも暫くは音が籠ったようになる。そのせいでやけに静かに感じる部屋は、短い物音がかえって強く主張した。

息を潜めて──既に音をたてた後では何の意味もないのだが、とにかくなるべく静かに、紙の束を平積みにした。
改めて見た紙の量に軽く息を吐き、それから部屋をぐるりと見回していると、視界に入った壁時計に目を見張る。


「徹夜か……」

通りで頭が重い筈だと、もう一度、今度はさっきよりも深く息を吸い込み、それをゆっくり吐き出して部屋の隅へ目を向けた。

視線の先、仮眠用のソファーベッドに眠っている凪紗は、拳にした両手と折り曲げた膝を身体にぴったりとつけた横向きで、肩まで掛けたブランケットを寝息で小さく揺らす。

どんな夢を見てるのか、笑っているようにも見える口元。目覚めかけて瞼に少し力が入った様子に、その無邪気さに、こっちは逆に力が抜ける。

首に掛けたヘッドホンを外して近付き、すぐ傍の床に座ると、凪紗の纏う柔らかな気配を胸に吸い込んだ。
作業部屋のソファーは、一人でいた頃は殆ど使わなかった。それが今では、二人で選んだクッションや俺が用意したブランケットが短期間ですっかり馴染み、生活感たっぷりだ。


俺に重くのし掛かっていた、数々の事情──世間に知られていなかった父親の存在とその会社とのしがらみ。父の在籍する会社のために、その父は知ることのないまま、名前を伏せてただ機械のように曲を作り、メンバーには作曲をすること自体を隠し続けていた。
誤解が誤解を生みすれ違い続けた父との関係。
そんなものに縛られていた年月で、いつしか諦めていた感情、それから目を逸らしてきた自分自身。

その何もかも全部ひっくるめて閉じ込めた、階段上の作業部屋。
誰も中に入れたことはない、ここはそういう閉鎖的な空間だった。


“だった” と過去形を使えるのは、間違いなく、凪紗の影響だ。


その凪紗が、当たり前のように、ここにいる。

ただそれだけでこれ程気持ちが凪いでいることに、我ながら呆れるやら笑えてくるやらで──


「アンタはすごいな」

そんな言葉が自然に口をつき、それもまた、妙にはっきりと部屋に響いたように感じた。


寝顔を隠す凪紗の長い髪を指ですくって耳に掛け、こめかみに唇で触れる。
くすぐったそうにすぼめた唇の端を指で軽く撫でてから、テレビのリモコンに手を伸ばした。


小さな起動音。
それと同時に、ソファーで眠っていた凪紗が薄く目を開いた。
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