ぶりーち

□そうして死んだ
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彼奴が死んだ。許可もなく死んだ。それはもう気高い死に様だったという。


そうして奴は死んだ


松本の泣き顔は美しかった。厚い唇に涙が伝った。それは彼女のはだけた胸元を濡らして光らせた。
市丸ギンは藍染を殺すためにあえてずっと懐に潜んでいた。それは見事に失敗したが、奴は最も「愛する」女を護ることができた。 松本が嗚咽混じりに語ったのは、そんな美談だった。
松本の濡れた瞳が揺れた。見たこともないような表情だった。しかしそれは自らに何の感動も与えなかった。俺は自分の目がガラス玉になってしまったのかと疑った。

日番谷隊長。
小さい隊長さん。
日番谷はん、日番谷くん、冬獅郎くん、冬獅郎。
冬獅郎。
冬獅郎。

京都訛りの澄んだ声が脳内で繰り返される。藍染の正体を知らぬ頃、剣を交えたあの夜から、市丸は俺に構ってくるようになった。俺は不快を隠しもせずに辛辣な返事をする。それでも崩れない、狐の笑顔。なにかと俺のサポートをするようになる。落とした書類を拾う。十番隊に回されるはずであった雑務を三番隊で引き受ける。俺が奴に礼を言う回数が増え、態度が次第に柔軟になると、それに合わせて奴の俺に対する呼称が変わっていった。それに気づいたのは、日番谷隊長が日番谷くんになった頃。そして、ああ。

「冬獅郎」

名前を呼ばれたとき、背骨が痺れたのを覚えている。深紅の瞳に吸い込まれそうになったのを、覚えている。それは市丸に初めての抱擁を許した夜だった。市丸を慈しむ自分を認めたその時に、奴は俺の名前を呼んだ。それは愛の囁きのようだった。
松本はまだ涙を止めることができていない。普段より幾分か痩けているように見える頬を、指でなぞる。松本は少し唇を開いて息を吸った。
俺は呼べなかった。
名前を呼び合うことは愛を囁き合うようだと思った。市丸は松本を愛していることを知っていた。この二人が互いを名前で呼んでいることを知っていた。市丸は俺に触れた。俺を愛していると言った。その理由は藍染が敵になったときに初めて知ることができた。つまりは人質を本当に大切な者から逸らしたのであろう。俺を松本の代わりに。市丸は松本を愛していた。

「ギン」

自分の声とは思えない、掠れた音がした。氷を踏むような音で俺は奴の名前を呼んだ。松本がえ、と小さく漏らした。

「ギンが、護ったお前を、俺は護る」

ギン。俺はお前を愛していた。お前が俺を選んだのは、無知だからか、幼かったせいか。俺はそんなに哀れな子供に見えたか。俺はお前を愛していたんだ。俺はお前の愛した女を大切にしよう。ギン。
身代わりは女であった方が藍染の目を逸らしやすいはずだ。なぜお前は俺を選んだ。ギン、ああ、俺は、 もうこの思いをどこにも溢すことはできない。

そうして市丸ギンは死んだのだ。







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