戦国BASARA
□人と駒と
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昔から、人というものがどうにも嫌いでならなかった。
特別何があったというわけではない。ただ私が、敏感すぎるほどに人間観察に優れていて、自己意識の高い人間であるからだと思う。
例えば誰かと話していて、相手が親しい口調で和やかに笑っていたとしても、その目の底の闇が私には見えた。この人は表面上では見事な笑みを浮かべてはいるが、内心はちっとも面白くなんてないのだ。ひと度そう思ってしまうと、その瞳に恐怖を覚えた。口ではいくら嘘をついても、目だけは真を語るのだと思い知った。
以来私は、人の目を見るのが怖くてたまらないのである。
目だけではない。
話すときの間、言葉、対面した際のなんでもないちょっとした仕草ですら、人の行動すべてが気になってしかたがないのだ。
私に対してどれだけ気持ちよく接してくれたとしても、何か少しでも目につくことがあると、それは私への嫌悪ゆえなのではないかと思ってしまう。
――自分でも思い込みが過ぎるとは思う。そんなものはほとんど気のせいで、人はそれほど自分のことを気にかけてなどいない。
わかっている。わかってはいても、どうしても気になってしかたがない。
私はそういう性分だった。
――だからだろうか、自分が他人にどう思われているかも気になってしかたがなかった。
私が自覚している私と、周囲が認識している私と、その間には確かな格差がある。
誰だって周囲の環境に合わせた種々色々の自分を持っていると思うのだが、それは私においても例外ではなく、家族の中での私、仲間内での私、好いた女子の前での私……何人もの私がいても、どれも私が自覚している私ではなかった。
幼少の頃よりあまりにも他人の評価を気にしてきたからだろうか、真の自分をさらけ出すことに底知れぬ恐怖があった。
何度も何度も試みてはみたのだ。
だが、もうすっかり癖になっているのか、人前では自然と嘘偽りの私が顔を出す。人当たりのよさそうな微笑を浮かべ、これっぽっちも思っていない世辞を、まるで真のようにすらすらと言ってのける。
自分でも吐き気がするほどの嫌悪。
こんなものは私ではないと思いながらも、長年続けてきたものを今更変えられもしない。事実、この私は家族想いで仲間の信頼も厚く、誠実で仕事熱心な好青年という高評価を得ている。
真の私は、誰よりも嘘つきで臆病で脆弱な小心者だというのに。
こんなようなものだから、だんだんと人と関わるのが億劫になっていった。
嫌悪を向けられぬように、私の底を気取られぬように、あっちにもこっちにも最善の注意を敷き、気を遣って生活するのが面倒になっていった。私は孤独になりたかった。
孤独、などとかっこつけて言ってはみるものの、結局、完璧な孤独にはなりきれないのもわかっている。
この小さな町で自分の居場所をなくすなど不可能に近く、また、そうしたくないと思う自分もいた。
孤独になりたいと思いつつも、人との関わりを完全には断ち切れない。まだ繋がっていたいと心のどこかでは思っている。我ながらなんという勝手だろうか。
こんな矛盾を抱く自分を、私は激しく嫌悪する。きっと、こんな風に私が私を嫌うからこそ、人をも嫌ってしまうのだろう。
人というものはどうしてこんなに厄介な生き物なのだろうか。
いっそのこと、今までのすべてをなかったことにして消えてしまいたいとすら思う。誰も彼もから私の存在を抹消したい。
だが、私には自ら死ぬほどの情熱も勇気も覚悟もないのだ。
本当に、私以上に弱く情けない人間は他にいないのではないか。
そうしてひとり鬱々と悩んでいたある日。村の真ん中に、お侍様が触れ書きを立てていった。
みな何事かと集まって、あっという間に人だかりができた。
「あれはなんです?」
人だかりにあまり近づきたくない私は、近くにいた、気のよさそうな柔和な顔つきの男に話しかけた。
人を嫌い、避けようとするのに、こういうところは本当に上手くできるのである。我ながら、まったくもって辟易する。
「ああ、あれですか。なんでも近々戦があるらしく、毛利様が兵を募っていらっしゃるんだとか。身分や年齢は関係ないそうですよ」
「戦ですか……兵を……そうですか、ありがとうございます」
軽く微笑み、互いに会釈をして別れた。
戦のための徴兵か……。
この国の国主であらせられる毛利元就様は、大層な策略家として名高く、その知略のおかげで、安芸の国はこの乱世においても平穏を遂げられているのだと聞く。
大抵のことに対しては、自分には関わりのないことだとすぐに頭から消し去ってしまう私だが、なぜか今回の件ばかりは気になってしかたなかった。
……もし、もしも、一兵士として偉大な毛利様にお仕えすることができたなら、私のこのつまらない人生も何か変わるのだろうか。
決して私に自害の勇気がないからといって、戦場で死ねればこれ幸いなどと思っているわけではない。
自分の現状をなんとかして変えたい、変えられるのではないかと、このときほど強く思ったことはなかった。
早速家に戻り、両親に、徴兵の触れ書きのこと、毛利様にお仕えしたい旨を告げた。あまりにもいきなりだったため、当然二人とも驚いていた。
我が家は小さな商家で、家から少し離れた畑で育てた野菜や、母が内職で作った小間物などを売って生計を立てている。食べるのに苦労はしないが、決して裕福とはいえなかった。私には一人、年の離れた兄がいるから、私が家を出てどこかで野垂れ死んだとしても跡継ぎについては心配ないだろう。
それに、食いぶちが一人減ればその分家族の生活にも余裕が出る。ここにたどり着くまでに考えていたことを、驚きのあまり口を開けたままでいた両親に早口で述べた。父は戸惑ってはいたが、うまく出世できれば武士になれるのではないか、などと冗談めかして、心配そうに笑いながら背中を押してくれた。
一方、母には猛反対された。戦に出るなんて死ぬかもしれないのよ、家は大切な息子を外に出すほど生活に困ってなんかないわ、などと散々説教され、挙句の果てには泣かれてしまった。さすがの私も母の涙を見て揺らぎはしたが、それでも意志は固く、なんとか許してもらえるようにと、やれお国のために働きたいだの、やれ毛利様のお役に立ちたいだの、あれやこれやともっともらしい理由を並べて説得した。そのどれもが嘘っぱちであったが、口からでまかせはお手のもの。いつも通り誰も気づくはずもない。
最後には父も説得に協力してくれたが、結局母の口から許しの言葉を得ることはできなかった。
そして夜、町の会合に行っていた兄が帰ってきた。
兄には家のことを押し付けてしまう申し訳なさがあったため、幾分か話しづらかった。それでも嫌な顔ひとつせず、二つ返事で快く引き受けてくれた兄に、きっと私は一生頭が上がらない。
おまけに、頑張れよ、無理はするな、と励ましの言葉をかけてくれた。私は涙が出そうな思いだった。こんなにも自分のことを思ってくれる人たちがいることに、ただひたすらに感激した。
だが、父が、母が、兄が思う私もまた、偽りの私なのだと思うと、息が止まりそうなほどに胸が苦しかった。打ち明けてこなかったのは自分なのだが、今更になって、せめて家族にくらいは真を見せてもよかったのではないか、と少しだけ後悔しながらその夜は眠りについた。
――それから幾日が過ぎ、いよいよお城へ向かう日が訪れた。
父と兄は玄関先まで見送りに出てくれたが、母は部屋にこもったきりで姿を見せてはくれなかった。
それだけが心残りになってしまったが、これが一生の別れになるわけでもないだろうと思い直し、いつもの私を繕って父と兄に手を振った。