戦国BASARA

□初めての決断
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 眼下にひしめく無数の兵たちを、秀秋はただ茫然と見つめていた。
 天下分け目の関ヶ原、小早川軍は西軍として松尾山に布陣した。だが、開戦してから既に数時間は経つというのに、一向に動く気配を見せなかった。
「どうして僕が……」
 今にも泣きだしそうな情けない声で、秀秋は呟く。
 戦なんて嫌いだ。どうして僕が戦わなければならないんだ。僕は大将なんて器じゃない。僕はただ、美味しいものをまぐまぐしたいだけなのに――。
「金吾さん……まだ迷っているのですか」
 後ろを振り向くと、白い僧侶が目を細めてこちらを見下ろしていた。
「……うっ、天海様ぁぁ……」
 秀秋は子供のように天海の足元に擦り寄った。
「泣いていないで早くお決めなさい。西軍として戦うのか、はたまた東軍として裏切るのか――」
 口に当てた仮面越しに、にやりとした笑みが見えた気がした。
「そんなの僕には決められないよ……」
「では、このまま西軍として戦いますか? 成り行きはどうであれ、一度は西軍に与すると表明したわけですから」
「……でもそれは、家康さんを裏切って、三成君に味方するってことだよね」
「ええ」
「……家康さんは、豊臣の中でも唯一僕に優しくしてくれたんだ……僕を対等な武将として認めてくれたんだよ。それに、一緒に戦ってくれないかって、丁寧なお手紙までくれたんだ」
 秀秋は、袂から一通の手紙を取り出した。
 何度も読んだのであろうか、手紙はくしゃくしゃになっていた。
「では、東軍に加わりますか?」
「……でも、そんなことをしたら僕、今度こそ三成君に殺されちゃうよ……」
 三成の怖い顔を思い出したのか、秀秋はぶるぶると体を震わせた。
「金吾さん」
 この大事な局面ですら少しも変わらぬ秀秋に、天海は珍しく優しい声をかけた。
「な、なに?」
「今、あなたは生まれて初めて、自分で決断できる機会を得たのではありませんか」
「……え?」
「前に話してくださったでしょう。これまでのことを」
 そう言われて、以前に自分の過去を天海に語ったことを思い出した。

 秀秋は、今まで自分の人生を選択することができなかった。生まれてからこれまで、人にされるがままに生きてきた。いや、いいように生かされてきたのだ。
 若くして金吾中納言の官位を貰い、天下の豊臣に囲われ、人から見れば恵まれた人生なのかもしれなかった。だが、秀秋本人にとっては、ただ飼い殺しにされてきただけだった。誰も自分に期待などせず、ただそこにあればいいと見くびり、馬鹿にされ、何一つ自由になどさせてもらえなかった。だから食の快楽に逃げた。食だけは自由にできたからだ。
「……僕が……決める……?」
 右も左も決められない自分に、一体何を決断しろと言うのか。
「もちろん、天下の行く末を」
 天海は秀秋の心を読んだかのように続けた。
「天下を僕が決めるの?」
「ええ、この日ノ本はあなたにかかっていますよ、金吾さん」
「…………」
 天下、か。大きすぎてまるで実感の湧かない言葉だ。東軍か西軍か、どちらが勝つかでこの国の未来は大きく変わる。そのくらいのことは自分でもわかる。でも、自分がどちらの軍に味方するか、たったそれだけのことで、ここにいる人たちの未来が変わるだなんて思いもしなかった。
「……僕が決めていいのかな」
「……あなたしかいないのですよ」
 ずっと、自分が生きている意味がわからなかった。人に馬鹿にされるのも、見下されるのも、全部自分が弱いからだと諦めてきた。どうしてこんな怖い時代に生まれてきてしまったんだろう。しかも、武士なんて一番自分に合っていない身分に。自分が武士としてできることなんて何もない。戦うのは怖くて痛いから嫌だ。弱い自分には逃げることしかできないのに、逃げても逃げても、怖いものはいつまでも執拗に付き纏う。
 ――傀儡にしかなれない自分の運命を変えるなら、後にも先にも今しかないのかもしれない。
「……僕、やるよ。家康さんか三成君か、どっちに付くべきか僕が決めるよ。僕が、この国の未来を決めてやるんだ!」
 生まれて初めて自分で決断することを選んだ秀秋の体は、恐怖でがたがたと音を鳴らしていた。
 それでも、ふっくらした手できつく拳を握り、山麓の様子をしっかり見定めようとした。だが経験がないために、見ても戦況はよくわからなかった。不安になって天海を見上げても、彼はもう秀秋のことなど目もくれず、漂う血と硝煙と死の匂いに悦び浸っていた。
 
 秀秋は必死に頭を働かせた。仮にこのまま西軍に付いたとして、僕は自分の人生を変えられるのだろうか。家康さんを倒して、三成君が天下を獲って、果たしてそこに僕の居場所はあるのだろうか。どうせまた、今まで通り虐められるに決まっている。西軍に入ったのだって、脅されて仕方がなかったに過ぎないのだから。
 では東軍はどうか。家康さんは僕に優しくしてくれた。領地も身分も安堵すると約束してくれた。家康さんは、僕を虐めたりなんかしない。――なんだ、家康さんに味方すれば何も怖いことなんてないじゃないか。
 決断しかけた秀秋だが、脳裏に焼き付いて離れない声がその判断を迷わせた。
「私を裏切るのか金吾」
「裏切れば、ぬしを呪い殺すぞ金吾」
「貴様如きが我の策を覆すというのか、金吾」
 ここにいるはずもない彼らの、憎悪と軽蔑を孕んだ恐ろしい声が頭に反響した。
 ――駄目だ。やっぱり怖い。僕には、あの人たちを裏切るなんて恐ろしい真似はできない。
「あ……あ……て、敵は……い、いえ、や」
 震える声で言いかけたその時。
 秀秋の足元で、一発の大砲が炸裂した。凄まじい音と爆風で、秀秋は背負った鍋ごとふっ飛ばされた。
「ぎゃあぁぁぁ!! な、なに!? だだだ誰!?」
 遠く彼方の空に、黒い塊が飛んでいるのが見えた。
 家康の重臣、戦国最強の本田忠勝だ。
「い、家康さん!? どうして……まさか、僕が早く決めないから怒ってる!?」
 忠勝の肩から覗く砲台は、まだこちらを狙い定めている。
 秀秋が慌てふためいている所に、もう一発二発と弾丸が撃ち込まれ、小早川軍本陣は大混乱に陥った。
「これ絶対家康さん怒ってるよぉぉ!!」
 泣き叫ぶ秀秋の横で、天海が高らかに笑い声を上げた。
「ちょっと天海様! 笑いごとじゃないよ助けてよ!」
「アハハハ! いえ、金吾さんの様子があまりにも滑稽だったものでつい。で、どうされるのですか?」
「…………」
 まだ決めかねているのか、秀秋は黙り込んだ。伏せた瞳から、大粒の涙が溢れ出る。
 次々に打ち込まれる弾丸を鍋で受け、身を守りながら考えた。怖い。家康さんも怖い人なんだ。僕を助けてくれる人なんて、もうどこにもいないのかもしれない。家康さんに付いても三成君に付いても、どのみち怖い思いをするのなら、僕は一体どっちに付けば――
 ひゅんっ、と風を切る音と共に、秀秋の頬を一発の銃弾が掠めた。白く柔らかな頬に赤い線が滲む。その痛みは、秀秋の今までの思考をすべて一瞬でかき消した。
「……う、うわぁぁぁ!! いいい家康さんごめんなさぃぃぃ! み、みんなぁ! て、て、敵は、三成君だよぉぉ!!」
 大将の言葉に、家臣たちは待ってましたと言わんばかりに、一気に松尾山を駆け下りていく。秀秋は泣きじゃくりながら、天海の嘲るような笑い声を聞いていた。
 

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