戦国BASARA

□心だけでは
1ページ/1ページ


 山の向こうで、物騒な音がこだまする。
 馬のいななき、絶え間なく響く銃声、男たちの悲痛な叫び――。

 ――すぐそこで、戦が起きている。


 市は、目を細めてその山の向こうを見ようとした。
 けれど、遠く離れた織田の屋敷からは、どうやっても戦の様子を窺うことはできない。
 それでも市は、山の向こうを――夫、浅井長政が戦っているであろう戦場を見つめ続けた。

「お市様、あまり外にいられては体が冷えまする。中で共に飯炊きなど致しませぬか?」
 声をかけたのは、前田利家の妻、まつ。利家もまた、織田の一軍として出陣していた。
 信長の妻、濃姫の計らいにより、二人は比較的安全な織田の城で夫の帰りを待つこととなっていた。
「……まつ様……でも、長政様が……」
「浅井様はお強い御方です。心配なさらずとも、きっと無事に帰っていらっしゃいますよ」
 まつは励ますように優しく微笑んだ。
 けれど、市の顔は晴れず、ますます暗く影を落としていく。
「……まつ様は、寂しくないの? 利家様と離れ離れで……」
「……お市様はお寂しいのでございますか?」
 まつの問いに、市はこくりと小さく頷いた。
 そのまま俯く市の隣へ、そっと近づいたまつは自分の胸に手を当てて答えた。
「まつめは……寂しくはございませぬ。例え遠く離れていても、いつでもここに、犬千代様がおられます。――まつめの心は、如何なる時も犬千代様と共にありますれば」
「……ここに?」
 市は、まつを真似て自分の胸に両手を当てた。
 そうやって、ふと思い出すのは長政のことばかりだった。市の中には、長政との思い出が溢れんばかりに詰まっていた。
「長、政……様……」
 呟いた市の頬を、涙が伝った。ぽろぽろと落ちていく涙に、市は両手で顔を覆ってすすり泣いた。
 まつは市の肩を抱いて、泣きじゃくる子供にするように、優しく優しくさすってやった。


「……市は、だめ……」
 消え入りそうな声で市が零した一言を、まつは聞き逃さなかった。
「お市様?」
「市は……だめなの……」
 顔を覆ったまま、肩を震わせながら、市は途切れ途切れの声で続ける。
「市は……離れていても一緒なんて嫌……心だけなんて、嫌……市は……市は、長政様と一緒にいたい……心だけじゃなくて……長政様のお傍にいたいの……」
「……お市様……」
 涙の止まらない市に、まつがどう声をかけたものかと悩んでいると、突然、びりびりとした凄まじい轟音が地響きとともに辺りに鳴り響いた。
 落雷のようなその音は、山の向こう、今まさに織田の軍勢が戦っているであろう戦場の方から響いたものに違いなかった。
 周囲の女たちは悲鳴を上げながら屋敷の奥へと避難し、男たちは武器を手に取り警戒を強めた。


 混乱の中、市はまつの腕を抜けて、ふらふらとおぼつかない足で山の方へと近づいた。
「長政様……?」
 大きな振動のせいで、こちらの空気まで震えているような気がする。
 嫌な予感に襲われた市は、我に返り大急ぎで屋敷へと走った。
「お市様!?」
 まつも慌ててその後を追った。

 着いた先には二振りの薙刀が立てかけてあった。市とまつ、いざという時のために用意していた二人の武器。
 市は自分の薙刀を抱えて、来た道をまた駆けようとした。
 だが、後から来たまつに行く手を遮られてしまった。
「――お市様、それを持ってどちらへ行かれまするか」
「……長政様のところ」
「行ってどうなさるおつもりですか」
「……長政様と、一緒に戦うわ」
 その手に、ぎゅうと力が込もるのが見て取れる。
 まつはその様子を確認すると、諭すように話し始めた。
「――お家を守り、夫の帰りを待つこともまた、武家の妻の役目にございます。何より、浅井様がお市様をお連れにならなかったのは、危険な目に遭わせたくなかったからではありませぬか。お市様は、そのお心遣いを無下になさるおつもりですか」
「……そんなこと、わかってる……。わかっているけれど、それでも市は……!」
 形の良い小さな唇をぎゅっと噛んで、市はまつを睨み上げた。その気迫にまつが一瞬怯んだ隙に、槍を突くような素早さで、市は一気に駆け抜けた。
「あっ……お待ちください! お市様!」
 叫んだまつの声は、市の背にはもはや届いていなかった。










「――長政様、すぐに市が行くから……助けに行くから……だから、どうか無事でいて……!」

 深い山中、右も左もわからぬ山道。
 だが、市の目には確かに長政の姿が見えていた。
 暗闇を照らす一筋の光――市にとっての長政の姿。
 
 ただひたすらにその背を追って、市は駆けた。



「長政様……市ね、一つだけお願いがあるの……あのね……もうどこにも、市を置いて行かないで。市は、長政様と一緒なら、どこへ行っても怖くないよ。……だから……ずっと、どんな時も、お傍にいさせてくれる?」

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ