片翼の天使たち

□片翼の天使
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どれくらい飛んでいたのか、不意に風切り音が止まった。

「マリア私です」

器用に空中で羽ばたきながら死神が何者かに声をかけた。

「少し開けてください」
『「もう良いの?」』

死神の声に答えるように女の声がして何もない筈の空にぽっかりと黒い空間が出来た。

『「そろそろヒューマン達が貴女の存在に気付き始めてるわ」』
「今頃ですか?」
『「あのね、撮影機器、私へのアクセスすべて消してても人の目だけはどうにもならないの。貴女、姿見せすぎよ。暫く自重することをお薦めするわ」』
「肝に命じましょう。ねえ、貴方」

蒼い目が彼を見る。

「最後の質問をします。ここを出れば貴方が想像もしていなかった世界が広がります。それは、まだここに居た方が良いと思えるような世界かもしれません。それでも行きますか?」
「行くに決まってんだろうが!」

間髪入れない彼の答えに蒼い目が丸くなった。

そしてクスリと小さく笑い、ゆっくりと羽ばたいた。

「では行きましょう」
「おう!」
『「じゃあ、またね」』
「はい。マリアもお元気で」

まるで空に開いた口のような穴に飛び込んだ瞬間、一気に視界が開けた。

夜だったはずなのに真昼のように明るくて、赤い大地がどこまでも続いている。

「な?!」
「とりあえず森に降りましょう。そろそろ翼が限界です」

地上には所々緑の固まりがあり、死神はその中の1つを目指しているらしい。
吹き付ける風を手で遮りながら視線を向けると、キラキラと輝く長い髪が見える。
そして大きな一対の黒い翼。

「あんた、まさか」
「はい?」

有翼人種はほとんどが捕らえられ研究所にいる。
そしてその個体数は激減してほぼ全滅したはずだ。
だから外の世界に居るはずがない。
研究所に居る者は徹底的に管理され、死んでからも外には出られない。

実験で誕生するのは翼を持たない者か、持っていても片翼のみ。
こんな一対のしかも空を飛べるほどの大きな翼を持つものは存在しない。

と言うのが公に出回っている話で、実はひとりだけ外の世界に逃げ出せた者が居るのだと囁かれていた。

彼ら実験の末産まれた『出来損ない』達にとってその噂は希望の象徴だったのだけど。

「あんた、まさか天使⁉」
「あぁ。そう呼ばれることもありますねぇ。死神よりは聞き慣れた名称です」

バサッと大きく翼をはためかさせると一瞬体がふわりと浮かぶ。
そして足が地面に付いた。

「お疲れ様でした」
「お?おぅ。やっぱ地面は良いなぁ、ほっとするぜ」
「それが大地に暮らす生き物の正直な感想ですよ」

ほんの少し、瞬きの間に死神の背にあったはずの翼が消失した。

「どうなってんだ?」
「何がです?」
「羽根だよ。どこにしまったんだ?」
「どこ、と言われましても」

言いながら背中に背負っていた大きな物を慎重に地面に下ろしている。

赤黒い布に包まれたそれは彼と同じくらいの大きさ。
長くて、まるで人間のような。

そこまで考えて、不意に思い出した。


『人2人抱えて飛ぶのは初めてだ』


「それ……」
「外に出られましたよ」

そっと布を解くと中から少女が現れた。
真っ黒の髪と対照的な白い顔。
うっすらと目を開けばそこには特徴的な赤い色がある。

それは彼にとって命より大切な者の姿だった。

「ねーちゃん‼」
「……クオン?あぁ、良かった…。探してくれたのね」
「約束は守ります」
「ありがとう」

力なく微笑んで目を閉じる。

「ねーちゃん!しっかりしろ‼」
「うるさいわね。少し疲れたのよ」

答える声にも力がない。
それ以前に命の輝きが感じられなかった。

彼、クオンが死神に目を向ける。

その首が小さく振られた瞬間、襟元を掴み上げていた。

「あんた天使だろ⁉奇跡の、何でも願いを叶える天使なんだろ⁉ねーちゃんを助けてくれ‼」

死神の蒼い目が細められる。

「奇跡を願うならそれ相応の代価が必要ですよ?」
「何でもする!ねーちゃんが助かるなら‼何でもするから言ってくれ!」
「馬鹿ねクオン……」

小さな声で少女が言う。
けれどクオンには聞こえない。

「大事な家族なんだ!助けてくれ」
「命を求めるなら命が必要です。怪我を治すのならその傷を写し取る依り代が必要。残念ながら私は万能ではないのですよ」
「じゃあ俺の命を使ってくれ‼」
「そうして彼女を救って、彼女が喜ぶと思いますか?」

死神の言葉にクオンが言葉を詰まらせた。

「貴方にとって大切な家族ならば、彼女にとっても同じでしょう?現に彼女は私と会った時、自らの治癒よりも貴方の無事を願いました。貴方も同じでしょう?」

だから死神は少女の願いを聞いたのだ。

「だったら、依り代になる!ねーちゃんの傷を俺に移してくれ」
「同じことです。この傷では助かりません」
「んだよ‼あんた奇跡の天使なんだろ⁉実験の、成功例なんじゃないのか⁉」

有翼人種最大の禁忌である同族同士の交わりを何年も何代も続けたのは『奇跡を起こす天使』を産み出すためだ。
大勢の有翼人の命を奪い、挙げ句産まれたのは自分たち『出来損ないの失敗作』。そして自分たちの命すらゴミのように扱ってやっと産まれた成功例なのに。

「1つの願いも叶えられねーのかよ‼」
「馬鹿‼」

クオンの叫びに重なるように少女が叫んだ。

「馬鹿クオン‼願いはもう叶ってるのよ!」

動かないはずの体を起こして少女が言う。

「あんたの願いは何?」
「ねーちゃんを……」
「違う!あんたの願いは自由になること、でしょ?あそこから出て、自由を手に入れること。私も同じよ。まぁ、私の場合特別にもうひとつ叶えて貰えたけど」

深く息を吐いて真っ直ぐクオンを見る。

「テトラの言い伝えにあるわ。同族同士の交わりにより産まれるのは『大きな力を生む禍』ヒューマン達が言う『何でも願いを叶える奇跡の天使』なんかじゃないの。大きすぎる奇跡は禍でしかない。あんたの命を使って怪我を直してもろくな事にならないんでしょう?」
「権力とそれなりの地位を持つ者の最大の願いは『不老』と『不死』。永遠に若い体と無限の命を誰もが求めていましたよ。その為なら犠牲も厭わない。貴女の言う通り他人の命で生き長らえても人の道から外れます。まぁ、それでも構わないと仰る方ばかりでしたけれど」

少女に答えクオンを見る。

「人の道から外れた者は輪廻の環からも外れます。それはつまり魂の消滅を意味します。分かりますか?貴方がその命で彼女を救えば次に彼女の命が潰えた時、彼女は何も残さず消滅するんです。勿論子孫を遺すことも叶いません。それでも良いですか?」
「私はお断りよ」

即座に言い切ってにこりと笑った。

「クオンのいない世界で生きててもしょうがないし、先に死ぬんだとしてもまた会えると思えば怖くないわ。クオンは?」
「ねーちゃんには死んでほしくないけど、未来永劫2度と会えなくなるのは嫌だ」

拳を握りしめて絞り出すように言って、真っ直ぐ死神を見た。

「悪かった。命を救って貰った上、外にも連れ出して貰ったのに。ねーちゃんが言う通りだ。俺はあんたに願いを叶えてもらってた。これ以上は欲張りすぎだよな」
「それは元々彼女の頼みだったので気にせずとも良いですよ。私があの場にいたのは死を向かえる者の願いを聞き届けるためですから」

ふわりと笑って彼女の額に触れた。

「まだ、時間があります。私はあちらに居ますから」

バサリと一瞬の内に翼が現れて天使がゆっくりと浮かび上がる。

「逢えて良かったですね」

そしてそのまま翔んでいってしまった。

「出し入れ自由か。すげぇなあの翼」

ただただ感心するクオンに少女が小さく笑う。

「そこに感動するのはあんたぐらいよ」

言いながら体の変化に気付き、ため息を吐き出した。

「しんどいか?」
「大丈夫。あの天使が痛みを持って行ってくれたから。ずいぶん噂と違うのね」
「噂?つか、ねーちゃんはあいつを知ってたのか?」
「少しだけ。黒い翼の天使には優しい心が備わってなくて非情なんだ、って噂」
「非情……」

言われて思い出すのは願いを叶えて欲しいと詰め寄った時の蒼い瞳。
まるで氷のような天使の目だった。

でもそれは自分が身勝手な願いを口にしたからだ。
それ以外の時の天使は何を考えているのかわからないほどへらへら笑ってて、これで本当に奇跡の天使なのかと思ったくらいだった。

「全然優しいぞ?あいつ」
「そうだね。悲しいくらい優しい」

ゆっくりと少女が体を横たえる。

「私が受けた傷は致命傷だった。ほんとなら即死するくらいの。でもあの天使が時間をくれた」

致命傷には違いがない。
けれどいくつかの傷がいつの間にか塞がっている。
その上痛みまでも。

それでも流れる血の量がもう時間がないと告げていた。

「何して欲しい?」
「話し、して。それなりに楽しかった頃の」
「わかった。途中で寝るなよ?」


ゆっくりとクオンが語り始める。
幼い日の事から順を追ってゆっくりと。
楽しかったこと悲しかったこと辛かったこと。
時には身振り手振りを入れながら。
笑ったり怒ったり。


少女が眠ってしまってもずっと……。


その話し声は夜が明けるまで続いていた。





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