※バブ屁要素あり











「よぉ」





無礼にもノックもせずに引き戸をガラリと開けて入ってきたのは、先日パーティに加わったばかりの茶髪の少年だった。目上の者に対して…と言うより誰に対しても言葉を選ばないこの少年を、ヘッポコ丸はあまり快く思っていなかった。先日の別れ際に思いきり重傷の腹を蹴られたことも、好ましく思っていない要因に含まれていた。






少年──ナメ郎の姿を捉え、ヘッポコ丸は読んでいた文庫本をパタンと閉じた。そして「何しに来たんだよ」と冷たく言い放った。ヘッポコ丸の冷淡な対応に、ナメ郎は別段気にした風でもなくぶっきらぼうに答えた。





「別に。ただの暇潰しだ」
「暇潰し?」
「名古屋城に向かうのが明日になったんだよ。しっかり休息を取ってから、とかなんとか言ってよ」
「へぇ」





ナメ郎はボーボボの決定にあからさまな不満を抱いているらしいが、ヘッポコ丸はボーボボの判断には賛成だった。









ヘッポコ丸との戦闘、そして続けざまに三天王のバブウとも熾烈な戦闘を繰り広げたのだ。その疲労はボーボボだけでなく、ビュティ達も同様に感じているはずだ。それに、これからボーボボ達が相手取るのは真の隊長格。いくらボーボボと言えど、十分な休息も無いまま戦うのは厳しいだろう。だからこそ、名古屋城行きを先延ばしにしたのだ。





ナメ郎は、便宜上ボーボボ達と行動を共にしているが、退屈と共に同じ空間に居続ける理由も義理も無いから、宿から出て来たのだろう。ヘッポコ丸の元にやって来たのは、暇潰し以上の理由など無いのだろう。彼に他に行く宛など、無いだろうし。





「で、俺の所でどう暇潰しするつもりだ? 俺と楽しくお喋りでもしたいわけ?」





暇潰しの相手に自分が選ばれた理由がいまいち理解出来ないまま、ヘッポコ丸は問い掛けた。他に行く宛が無いのは分かるが、ここに来たって有益な話をしてやれる自信など無い。他愛ない世間話を望んでいる…というわけでも無さそうだし。もしそれを望んでいるなら、別にここに来ずともボーボボ達としていればいいだけの話であるし。





「楽しく、ね…アンタにとってはどうだか知らねぇけど、話したいことはあるぜ」
「………?」





ナメ郎の要領を得ない口振りに、ヘッポコ丸は首を傾げる。そんなことはお構いなしに、ナメ郎はヘッポコ丸のベッドまで近付いてきた。間近に立たれ、見下ろされる気まずさに少々たじろぐヘッポコ丸。何が楽しくて、年下に見下ろされなければならないのだろう。






ヘッポコ丸の訝しげな視線を受け流し、ナメ郎はヘッポコ丸の首筋を指差しながら言った。





「そのキスマーク、バブウに付けられたのか?」
「っ…!!」





バッと指摘された箇所を押さえるヘッポコ丸。動揺に揺れる目は、ナメ郎を捉えて離さない。どうして気付いたんだ、とでも言い出しそうな雰囲気だ。それを瞬時に読み取ったナメ郎が、律儀に答えた。





「首輪で隠してたつもりらしいけど、角度によっちゃ丸見えだぜ。ボボ八達も、気付いてたんじゃねぇの?」
「…確かに、楽しくない話だな」





バレているなら隠す必要も無いと考えたのか、ヘッポコ丸は手を下ろした。ナメ郎の指摘通り、首輪の際に一つの赤い鬱血痕が認められた。ナメ郎の言葉を否定しなかったところを見ると、バブウに付けられたものなのだろう。たった一つのその痕で、この一年ヘッポコ丸がどんな扱いを受けてきたのかが窺える。










動揺を押し殺し、ヘッポコ丸は鋭くナメ郎を睨み付ける。だが、それはナメ郎の目には脆い虚勢にしか映らない。図星を突かれ、開かされたその傷を、これ以上抉られないように必死に隠しているようにしか見えない。





「お前、俺のことはカカシにしか見えないんじゃなかったのか?」
「確かに最初はそうだった。けどなんでか、途中からアンタはカカシじゃなくなった。その理由はオレにも分からない。まぁそのお陰で、その痕に気付けたんだけどな」
「はっ、それでわざわざ人の傷を抉りに来たのか?」
「別に。オレは聞きたいことを聞いてるだけだ。それでアンタが勝手に傷付くだけだろ」





そう言い放ったナメ郎に殴り掛かりたい衝動に駆られたが、現在ヘッポコ丸は重傷を負っていて絶対安静の身。そもそも痛みで今はロクに体を動かせない。だから何を言われても、その口を無理矢理閉じさせることは出来ない。それが歯痒くてならなかった。












ヘッポコ丸にとって、帝国に居た一年間はじゅくじゅくに膿んだ傷口のようなもので、決して触れてほしくない部分だ。望まない悪の道に身を投じ、最も忌み嫌う帝国の圧政に加担したのだから。善滅丸などという怪しげな薬の成功にも貢献する羽目になった。妹を救うためとはいえ、ヘッポコ丸が行ってきたことは決して許されることではない。



それに加えて──





「バブウって機械だったんだろ? アンタ、機械仕掛けの奴に抱かれてたわけ?」
「…答える気は無い」
「けど、バブウにその痕を付けられたってことは否定しないんだな」
「………」





フイ、と視線がナメ郎から外れた。それが、紛れもない肯定の証だった。













そう、ナメ郎の言う通り…ヘッポコ丸は、バブウに抱かれていた。ネオAブロック隊長としての任務、そして善滅丸の実験体としての傍ら、バブウの慰みものにもされていたのだ。だが、アンドロイドであるバブウには性的欲求は皆無だ。バブウがヘッポコ丸に性行為を強要したのは、ヘッポコ丸を心身共に追い詰めるために過ぎない。最中に囁かれた睦言も、キスマークも、それを助長させるためのスパイスでしかなかった。







温もりを持たない機械の体に抱かれている時、ヘッポコ丸はただただ惨めだった。良いように身体を弄ばれ、昂らされ、快楽に溺れていく自分を、惨めと言わずなんと言うのだろう。どうしてこんなことまで、と問い掛けた数は知れない。その問い掛けこそ、ヘッポコ丸が追い詰められている証拠であり、それにバブウが幾度も口角を歪ませていたことを、ヘッポコ丸は知っていた。そんなバブウの笑みを見る度、ヘッポコ丸の心は暗く沈んでいった。










用済みと宣告され、こうして解放された今も、あちこちに刻まれたバブウの痕跡が忌々しい。首筋の痕もそうだし、腹の傷もそうだ。無理矢理飲まされていた善滅丸の副作用によってガタついた四肢だって、元に戻るまで時間を要するだろう。…何より、傷付いた心が、癒える日が来るとは思えない。





その心の傷を無神経に抉るのが、目の前の少年なのだ。





「攫われた妹のため、だったっけ? 泣ける話だな。妹のためだったら、アンドロイドに抱かれるのも吝かじゃねぇって? …まぁそんなことしたって、妹が喜ぶとは思えねぇけどな」





あぁ、その通りだな、とヘッポコ丸は心の中で頷いた。あんなこと、あの子が喜ぶとは到底思えない。そんなことしなくていい、私のためにそんなことしないで──と、逆に泣いて縋られるだろう。考えなくとも分かる。記憶の中の幼い妹は、兄とは違う青色を赤くして、涙をいっぱいに溜めた目でヘッポコ丸を見ていた。そんな妹の姿を思い浮かべるだけで胸が痛んだ。







けれど…従うしかなかった。逆らえば、妹の身が危険に晒される。その事実がいつもヘッポコ丸を縛り付けた。妹が同じ目に、いやそれ以上の目に遭うかもしれないと思うと、身動きが取れなくなった。結局、どれだけ抗いたくとも出来なかった。妹の安否が確認出来ない以上、ヘッポコ丸に選択肢は無かった。バブウにその身を明け渡すことが、ヘッポコ丸が出来る唯一の選択だった。





「よくもまぁ、あんな野郎に簡単に足を開けたもんだな」
「…なら、どうすればよかったんだ」






ベッドに横たわり、柔らかい枕に頭を埋めた。腕を瞼に乗せてナメ郎を視界から追い出したヘッポコ丸は、か細い声で尚も問い掛ける。





「あの時俺は、どうすればよかったと言うんだ…」
「さぁな。そんなのオレの知ったこっちゃねぇ。けど、そうやってアンタが徐々にバブウに侵食されてったのは事実だろ?」
「侵食、か…そんなもんじゃないよ…」





視界を塞いだまま、ヘッポコ丸は口角を歪ませた。一年前は決して浮かべることのなかった、自虐的な笑み。そして──腕の隙間から零れ落ちる、一筋の涙。





「俺は蹂躙されたんだ…アイツに、何もかもを…」
「蹂躙、ね…なるほどな」





ギシ、とベッドが軋む音と、微かな揺れ。ナメ郎がベッドに腰掛けながら、ヘッポコ丸の言葉を反芻し、そして納得したように目を伏せた。確かに、『侵食』なんて言葉では生温い。バブウがヘッポコ丸に行った全てを指すには、『蹂躙』という言葉が相応しいように思えた。それ程に、心身共にヘッポコ丸は打ちのめされた。体に残された傷や痕よりも、頬に伝う一筋の涙が何よりの証拠だった。









嗚咽も無く泣くヘッポコ丸の側、ナメ郎はしばらく何も言わなかった。彼自身、なんと言葉を掛けるべきか分からないのだろう。ナメ郎には、ヘッポコ丸を傷付けるつもりも傷口を抉るつもりも、本当に毛頭も無かった。聞きたいことを聞きたかっただけ…それでヘッポコ丸が勝手に傷付くことに配慮する気は無かった…ただそれだけ。







激昂すると思っていた。重傷の身を顧みず、殴り掛かられるのだと思っていた。そうされるだけの事を自分は問い掛けているのだという自覚は、ナメ郎の中にしっかりとあった。…でも、ヘッポコ丸はそうしなかった。不躾に過去を抉るナメ郎に、確かに怒りを抱いているはずなのに…ヘッポコ丸はただ泣くだけだ。怒って、それをナメ郎にぶつけても、自分が余計に惨めな思いをするだけだと、もしかしたら思っているのかもしれない…。バブウに『蹂躙』された一年間は、ヘッポコ丸の精神をどこまで衰弱させたのだろうか…。












おもむろに、ナメ郎はヘッポコ丸の腕を掴み、顔から退けさせた。涙に濡れた真紅の瞳が、驚いたように少し見開かれていた。腕を掴んだままで、首筋の赤い痕を一瞥する。バブウの下卑た笑い声が聞こえてきそうで、ナメ郎は小さく舌打ちした。ナメ郎にとっても、バブウは鼻持ちならない男だ。思い出すだけでも腹立たしい。いつかこの手で殺してやりたいと思う程度には。





「アンタ、オレに抱かれる気はあるか?」
「え…?」
「バブウじゃなくて、オレに抱かれる気はあるか?」
「………」





ヘッポコ丸は答えなかった。質問の意図が読み取れない…というわけでは無さそうだが。単に、どうしてそんなことを聞いてくるのか分からないだけだろう。そして、どう答えるべきか迷っているようにも見える。涙で濡れた瞳で、ジッとナメ郎を見上げている。





「なぁ、どうなんだよ」
「…なんで、そんなこと聞くんだ? 俺がお前とシて、どうなるって言うんだよ…」
「バブウの痕跡を消してやる」





思いがけない言葉に、ヘッポコ丸は瞠目する。そんなヘッポコ丸を後目に、ナメ郎はヘッポコ丸の体に覆いかぶさった。二人分の全体重を掛けられたベッドがギシリと軋む。交差する二人の瞳。ヘッポコ丸は動かない。抵抗する素振りも見せない。ただただナメ郎を見つめるだけだ。





ナメ郎は赤い痕をゆっくりなぞった。擽ったいのかヘッポコ丸が少し身を捩らせたが、それでも何も言わなかった。ナメ郎の好きなようにさせている。まるで言葉の真意を、測っているかのように。





「バブウに蹂躙されたってんなら、オレもアンタを蹂躙してやる。アンタの中に巣食うバブウを、一つ残らず消してやる」
「ナメ郎…」
「あいつからアンタを奪ってやる」





バブウからヘッポコ丸を奪い取る──それは果たして正鵠を射ているのだろうか。ヘッポコ丸はバブウの手を離れたからこそ、今ここにいるのだ。『奪う』と銘打つのは間違いであるような気がするが…だがその反面、未だバブウの呪縛から逃れられないでいるヘッポコ丸を抱くことで、バブウの痕跡を掻き消すことが出来ると言うのなら、『奪う』という表現は理にかなっているようにも思える。どちらも正しく、そして間違いでもあった。







ナメ郎にどんな意図があるのか…ヘッポコ丸にそれを悟る術は無い。ただ目の前の少年の言葉を反芻し、どうするか考えるだけだ。










抱かれるか──拒むか。





「嫌なら抵抗しろよ。この距離なら、傷が痛んでても殴れないことはないだろ」





そう言ってナメ郎はゆっくりと顔を近付けていく。どうやらナメ郎は本気で、ヘッポコ丸を抱くつもりであるらしい。性急に、そして強引に事を進めないのは、ヘッポコ丸に選択の余地を与えようとしているからだろう。無理矢理事を進めれば、バブウとなんら変わらない、同じ括りにされるのは嫌だと思っているのかもしれない。








果たして、ヘッポコ丸は最後まで抵抗しなかった。それどころか、その目を閉じて全身の力を抜いて、ナメ郎を完全に受け入れる態勢だった。ナメ郎がヘッポコ丸の唇を塞ぐと、その腕をナメ郎の首に回し、まるで求めるように縋り付いた。その行動にナメ郎は驚いていた。まさかこんなにも抵抗されないとは、彼も思っていなかったのだ。






触れるだけのキスはすぐに終わった。ナメ郎が離れると、ヘッポコ丸は新たな涙を瞳に滲ませながらも、笑っていた。そして、小さな声で、呟いた。





「あったかい…」





その言葉を聞いて、ナメ郎は初めて…ヘッポコ丸に同情した。再び貪るようにして唇を奪い、息をつかせぬ程にキスをした。荒々しく仕掛けられたキスにヘッポコ丸は自らも積極的に舌を差し出し、ナメ郎を…ナメ郎の体温を求めた。









頭が真っ白になりそうなキスに没頭しながら、ナメ郎はヘッポコ丸を哀れんだ。無機質な体に暴かれ続け、孤独に苛まれ続けた結果、ヘッポコ丸は他人の体温を忘れてしまったのだ。そして、強く焦がれてもいたのだ。今こうして、ナメ郎を求めているように。そんなヘッポコ丸に、ナメ郎は惻隠の情を抱いた。人をナメながら生きてきた自分よりも、他人の体温を忘却しきってしまったヘッポコ丸に。






ナメ郎がキスをしながら服の裾から手を入れ、体をまさぐり始めても、ヘッポコ丸は小さく体を震わせるだけで何も言わなかった。二人が繋がり、一つとなるまで、大した時間は掛からなかった。






















病室に備え付けてある洗面台で濡らしたタオルで、ナメ郎は気を失ってしまったヘッポコ丸の体を丁寧に清めてやった。幸い腹の傷口は開いておらず、包帯は綺麗なままだ。途中からケガを気遣う余裕も無くなってしまっていたナメ郎は、白さを保っている包帯を見てホッと胸を撫で下ろした。






汚れた体を拭ってやりながら、ナメ郎は思う。予想していた以上に、ヘッポコ丸の体を開くのは容易かったと。丹念に愛撫を施す必要も無く、ヘッポコ丸はナメ郎を受け入れた。痛みすらも快楽に変えている節があった。それは即ち…それ程に、バブウに仕込まれたということだ。…否、『開発された』と言うべきか。







体の至る所に、首筋と同じ赤い痕が刻まれていた。それら全てにナメ郎が上書きした。それで、バブウの痕跡はあらかた消すことが出来たという自負はある。…しかし、ヘッポコ丸の中に巣食うバブウは、ナメ郎が思った以上に粘着質だった。一朝一夕では、とてもヘッポコ丸の中からバブウを消し去ることは出来そうになかった。そのことをナメ郎は、とても口惜しく思っていた。





「くそ…」





毒づきながら、身を清めたヘッポコ丸の衣服を整える。ヘッポコ丸は眠ったままだ。ただ、その表情はとても柔らかいものとなっていた。鑑みるに、ナメ郎に抱かれたことで多少は過去に折り合いを付けられたのだろう。ナメ郎の体温を存分に感取したことで、内側に巣食うバブウを少なからず小削ぎ落とすことが出来たらしい。ナメ郎の目には、笑っているように見えた。









それでも、完全にバブウの手から奪還出来たとは言い難い。ヘッポコ丸の中にはまだバブウがいる──これはどうしようもない事実だった。ヘッポコ丸を完全に奪い取るには…救い出すには、ヘッポコ丸をまた抱く必要があるのかもしれない。何度も抱いて、少しずつでもバブウを消し去って、代わりに自分を刻み付けていけたなら…なんて、ナメ郎は思う。





「アンタが欲しい…カカシに見えないアンタが、オレは欲しいんだ」





それは、独占欲。ナメ郎が今まで一度も抱いた覚えの無い欲だ。何かを独り占めしたいなんて…誰にも渡したくないなんて…自分はこんなにも人間らしかったのかと、ナメ郎は少しだけ自分に感心した。どうしてこんなにもヘッポコ丸が欲しいのか…その理由だけは、まだ分からないけれど。






いや…敢えて目をそらし、知らないフリをしているのかもしれない。





「アンタはオレのだ」





この感情に名前を付けるなら、きっとそれは──












名前の無いココロ
(まだ知らなくていい)
(この感情の名前なんて)



常々書きたいと思っていたナメ屁! 書けて満足です。





栞葉 朱那

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