霧崎第一高校バスケ部員、古橋康次郎は、左耳だけピアスを開けている。短髪故にいつも剥き出しになっている左耳には、赤、青、銀、黒──配色は日によって様々だが、付けているピアスのモチーフは一貫していて、巣を這う蜘蛛だ。それ以外のピアスを付けているところを、花宮も瀬戸も原も山崎も、他の霧崎第一バスケ部員達も、クラスメート達も、見たことが無かった。






「なんで片方しか開けてないんだ?」






ある日の昼休み。いつもの五人で屋上に上がり、昼食を摂っていた。食事を終えると、原と山崎はいつものようにバカ騒ぎを始め、瀬戸は愛用のアイマスクを装着して夢の中へ。フェンスに寄り掛かってジュースを飲んでいた古橋に、その隣に座っていた花宮が問い掛けた。しかし目線は手に持っている次の対戦校のデータ表に向いたままだ。特に興味があるわけでも無いのだろう。





唐突な話題に一瞬なんのことか分からなかった古橋だったが、すぐにピアスの話をしているんだと悟り、花宮の機嫌を損ねないよう円滑に答えた。






「左耳は、守る者の証なんだ」
「は?」






円滑に答えはしたが、それは花宮の優秀な頭脳を持ってしても上手く意味が飲み込めない物であった。花宮はデータ表から顔を上げて古橋を見た。古橋は指先で赤色の蜘蛛を弄りながら、淡々と言葉を紡ぐ。






「左は守る者、右は守られる者。片耳のピアスにはそんな意味がある。オレは、花宮を守るナイトである証として、片方しか開けてないんだ」






守る者として男性は利き腕のある右側をあけておくことで相手を守る。守るべき相手がいる左側=左耳のピアスにはその相手を守るための誓いが込められている──そんなことを書いている雑誌があり、古橋はそれに感化され、左側だけピアスを開けたらしい。確かに、古橋がピアスを開けたのはバスケ部に入部してしばらくしてからだった。何事にも無関心な古橋がそんな物を信じるなんて珍しいな…というのが、花宮の素直な感想だった。







蜘蛛のピアスだけしか付けないのは…花宮が作る『巣』によって齎される勝利が正しいと盲信しているからか。それとも単に、蜘蛛が霧崎第一バスケ部の象徴とも言えるからであろうか。どんな理由にすれ、意図的な選択であろう。守る者──ナイトであると謳いながらも、その根元には花宮への忠節が滲み出ている。『ナイト=騎士』ではなく、『ナイト=駒』と解釈する方が、この場合正しいのではないか。








花宮を守りたいと思っているのは事実だろう。ただでさえバスケ部はラフプレーを織り込んだプレイにより周りから反感を買いやすく、恨みがましい視線や野次を飛ばされることが多い。報復を企てる者だって中には少なからず存在する。その全てを害悪と見なし、報復の火の粉が花宮に振りかからないようにするのが役目だと…暗に古橋はそう言っているのである。






「ふはっ、下らねぇ」






古橋の思考を全て把握した花宮は、把握した上でその思考を鼻で笑い飛ばした。想定の範囲内だったのか、古橋は特に気分を害した様子も無い。花宮にとっては取るに足らない、言葉通り下らない理由であることは百も承知だったのだろう。それでも古橋は、ピアスを開けた。








自分が花宮の隣にいるための、正当な理由を必要として。






「康次郎、その守られる者ってのは、『女』として書かれてたんじゃないのか?」
「…勘が良いな。その通りだ」
「お前は俺を女扱いしたいのか?」
「まさか」






心外だ、と言いたげに肩を竦める古橋。






「花宮を女扱いするつもりは毛頭無い。オレは、花宮を守れればそれでいい」
「守る、ねぇ…おい康次郎」






グイ、と花宮が古橋のネクタイを引いてその体を引き寄せる。古橋は抵抗する素振りも見せず、されるがままに視界を花宮で埋める。ネクタイを握る花宮はとても楽しそうだ。見る人が見ればそれは人を嘲っている笑いに見えるだろうが、古橋から見れば、どこにでもいる十七歳の少年が、純粋に楽しそうな笑顔を浮かべているようにしか見えない。






ネクタイを握ったまま、花宮は古橋の黒水晶のような、光の無い瞳を覗き込む。古橋は目を逸らさない。真っ直ぐに、花宮を見据えている。そして、何も言わず花宮の言葉を待っている。それはさながら、『待て』をする犬のようだ。






「俺がお前に守られる程弱っちく見えんのか?」
「いいや。…それでも、守りたいと思うんだ。いけないか?」
「ふはっ、バァカ。俺は誰かに守られたいなんざこれっぽっちも思ってねぇんだよ。…いいか康次郎」






グイ、と更に引っ張られるネクタイ。二人の距離は一層縮まり、唇が触れる寸前だ。二人の吐息が混ざり合う。お互い視界をお互いで埋めたまま、二人の会話は続く。






「俺は誰に擁護されたいとも思わない。それはお前であっても例外じゃない。お前の助けなんか、俺は必要としていない」
「………」
「だから、守ろうと思わなくていい。堂々と俺の隣にいろ」
「………!」
「分かったか? 康次郎」
「…分かった。花宮が望むなら」
「ふはっ、イイコだ」






ご褒美だ──そう囁かれたと同時に、二人の唇が重なる。触れるだけの軽いキス。ほんの数秒間触れ合った後、二人はゆっくり離れた。花宮がネクタイを解放したので、多少乱れたそれをキッチリ直していると、不意に花宮の指が古橋の左耳に伸びた。





その指先が触れるのは、赤々と存在を主張する蜘蛛。耳朶と一緒に挟むようにされ、むず痒いのか古橋の肩がピクリと震えた。






「花宮?」
「守る守らないはどうでもいいが…俺はこの蜘蛛、嫌いじゃないぜ」
「…そうか。じゃあこれからも付けることにしよう」
「そうしろ。あぁ、なんなら右も開けたらどうだ? もう変なジンクスは必要ねぇだろ?」
「分かった。明日開けてくる」
「いや」






蜘蛛から指を離しながら、花宮は首を振って笑う。





「俺が開けてやる。道具だけ持って来い」
「花宮が…?」
「あぁ。別にいいだろ?」







お前に消えない傷を付けても──その時の花宮の表情は、『悪童』そのものだったという。























左に住む蜘蛛
(あの二人オレらがいるの分かってんのか…?)
(さぁ?)



ツイッターで流れてきて、うわー誰かでやりてーって思って、結果古橋に白羽の矢が立った。花宮のためならピアスホール開けるくらいなんでもないよ!





栞葉 朱那

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