過去作品ブック

□甘い夢
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 ひんやりと冷えた廊下を進み、リーは病室の前で足を止めた。
 ドアの横に書かれたチームメイトの名を、静かに見つめる、その顔は憂いを帯びていた。
 嘗て、己も闘病生活を送った其処は、変わらず清潔で、偶にツンとした、薬品臭が鼻につく。
 忍里の木ノ葉随一、否、その名は火ノ国全土にまで轟くほどの、優秀なホスピタル。里長である、綱手の影響か、医療忍術に長けた彼女が五代目に就任してから、年々来院者が増え、新たな診療科目が設置されたりと、その発展は目覚ましい。それ故、どうしても常時混雑してしまうのだが、木ノ葉に住まう人々については、優先して診てくれる。取り分け、里の為に身を粉にして働く、忍ならば、満床を理由に受け入れを断ることは、先ずない。元より、忍とそれ以外の里の人々では、入り口を分けているので、此方側が治療を待たされることもなかった。
 リーが受付に行き、案内されたのは、内科の病棟であった。直ぐ側にステーションがあり、内科医も常駐しているので、急な容体の変化にも対応してくれる。只、ネジの場合、利用することはないと思ったが。
 忍を生業としていると、骨折などの外傷で、圧倒的に外科的治療を必要とすることが多い。それを考えれば、負傷したネジは外科に回されるのが一般的で妥当なのだが、考えずとも、病院が極度の繁忙状態でやっと回しているのが、見て取れる。
“日向ネジ”と書かれたプレートから、視線を外して、リーはそっとドアノブを回す。此処に来るまでに、テンテンに会い、ネジは今、薬で眠っているからと、言われた。状態は、と尋ねると、大丈夫と、彼女は花のように微笑んだ。それに少しばかり、不安が退いた。だが一目見なくては、心の底から安堵は出来なかった。
 室内は、柔らかな白い光が差し込んでいた。それでもベッドに横たわるネジの眠りを、妨げることはなく、カーテンが半分閉められている。
 いつもの装束よりも、もっと白い病院着を着て、ネジは眠っていた。そっと近付いて、顔を覗き込む。果たしてこんなに、青白かったか、精巧な作りの人形のようなネジの寝顔は、心なしか疲れが滲んでいる。微かに、微かに上下する胸を、認めて、生きていることを確認すると、リーは側の椅子を引き腰掛ける。
 ゆるりと、心地良い風が入り込み、半分閉めたカーテンが、視界の隅で揺れる。揃えた前髪を、揺らされながら、リーは日差しの方に顔を向ける。窓辺に飾られた花は、多分、先に見舞いに訪れたテンテンのものだろう。薄い青と紫の、まるでネジに似せて作られたような、繊細な花束は、きっと山中花店の看板娘が仕立てたもの。それは彼の瞳の色に、見事に嵌っていたが、反面不吉で、この病的な顔色の悪さを、象徴しているようにも見えた。
 荷物の中から、リーは文庫本を取り出すと、傍の机に置いた。入院中、時間を持て余すと思って、彼の暇潰しの為に持って来たのだが、このように今は寝入っているので、必要ない。野戦中に、倒れたと聞いたが、ネジの身形は綺麗に整っていた。顔と同じくらいに、白い着衣であったので、沈み込んだ枕に散らばった、彼の長い黒髪が映える。傷も、見たところそれ程深くないと思える。肘の内側に、小さなテープが貼ってあり、点滴の痕が窺えたが、他には何も。体の横に置かれた腕や、白い顔に、少々の擦り傷があるくらいだ。ネジが外傷の為ではなく、運ばれたのだと、思い至った。思えばネジは、実力で敵に追い詰められるような者ではない。悔しいが、自分よりも、余程強い。
―――“眼”だ。

「……無理をしたら、駄目と言ったでしょう……」

 決して眠りを妨げない程度に、だがそれはしっかりと言葉となって、ネジへと向けられた。変わらずにネジは、生きているのか死んでいるのか、判別出来ない程の、静かな寝息を繰り返す。
 いつものようではない、今は血管の浮いてはいない滑らかな目元に、リーは触れる。彼のこの能力には、散々助けられた。やれライバルだの何だのと、普段から彼に突っ掛かってばかりいるが、味方にすれば、とても頼もしいと思った。少々のことで、へたってしまう彼ではない。だから尚更、心配だった。
 染み一つない白い肌を、指先で撫で、頬を包み込む。伏せた睫毛が目元に影を作り、何だか寠れて見える。触れてみても、繊細な睫毛は下ろされたまま、起きる気配はない。余程深く、眠っているのだろう。いつもは熟睡する時間もないから、今は薬の力を借りて休んでいるだけ。
――無理しないでくださいね。
 ネジが任務に行く前に、投げ掛けた言葉を、思い起こす。真剣に言っているリーに、あっけらかんとして、心配するな、とネジは微笑った。――その結果が、これだ。
 今は滑らかなネジの目元を、リーは撫でる。ここに、幾つもの血管を浮かばせ、限界を超えて、彼が眼を酷使していたと、思うと、どうしようもない気持ちになる。自分やテンテンがいれば、こんなに倒れるまで、働かせることはなかった。ネジは、自分では言えないから、常に此方が気遣ってやらねばならない――そんな、不器用な男だった。限界を超えても、周囲の期待に応えようとする。上忍ともなれば、その信頼は生まれ持った彼の性格も相まってか、益々揺るぎないものとなった。班の中で、誰よりも早く、上忍に昇格したのは、妥当だと思った。先を越され、悔しいというより、素直に、ネジの驚異的な早さの昇進を、リーは喜んでいた。しかし……こんなことならば。ネジに触れていた指先が、拳を作り震える。

 こんなことならば、こんな仕打ちを受けるのならば、送り出さなければ良かった。ネジを引き留めて、ずっと自分達の元に置いて、一緒に任務を熟して、過ごしていれば良かったのだ。自分とテンテンならば、ネジを苦しめない。荒んだ忍の世界での、彼の心の拠り所になると、自負する。
 ガイと綱手に頼んで、引き抜かれた特殊部隊から、ネジを除籍して貰おう。また、戻って来れば良い。幸い班の彼の席は、まだ空いているし、テンテンもきっと歓迎する。また、戻って来れば、良い。
 拳を開き、眠るネジの頬を包み込む。この綺麗な顔に、もう何も“刻ませない”。どんな辛苦も痛みからも、ネジを守って見せる。だから只、ネジは美しく安らかに、微笑っていれば良い。薄紫の瞳を細め、自分を映して欲しい。彼の心安らぐ平穏な世界が、自分に、繋がっているように。この人は幸せを齎してくれると、心から安堵するように。誰にも、邪魔をさせない。自分から奪うことは、許さない。
―――ネジは、ボクのモノだ。

 ネジの睫毛が、ふるりと震えた。
 リーの心の叫びに、まるで呼応するかのように。
 変わらず寝息を立てる唇に、リーは顔を寄せ、それを塞いだ。
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