無限の現代神話

□十九話
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*


「宗近。よく見ておきなさい」

母、雪乃は幼い俺の前で手首を小さなナイフで切って見せた。
五歳にもなろうとしている当時の俺には衝撃だった。蝋のように白い腕に唇のように赤い血が溢れ出る。
あっと声を上げる幼い俺に母は何も慌てずにそっともう片方の手を当てる。すると手品のように緑のきめ細かな煙がその手から出てきた。そして細い傷口が徐々に塞がって何事もなかったかのように傷跡も残さず消えた。
唖然とする俺に母は笑って見せる。しかしすぐに真剣な眼差して語り掛け始めた。

「宗近。この力をむやみに使ってはいけません。人に見られてもいけない」

「なぜ使ってはいけないの?僕にもできるの?」

母は深く頷く。

「どうして?これで世界中の人を救えるよ!」

母は苦笑して首を横に振った。

「本当に大変な時だけにしなさい。軽い傷口を治すくらいならなんともないのです。でもきっとそんなことを容易く引き受けていたらきっと大きな力を使うことを何とも思わなくなります。この力はしようとすることが大きければその代償も大きくなります」

幼いながらに俺はショックを受けていた。
魔女の力にも、難しい言葉で語られる代償の話にも。理解しようとすればするほどそれは不可解なことで。成長し、学校の授業で魔女の歴史を垣間見る度に重大なことを抱えているんだという意識が強くなった。


やがて俺は中学生になり…。

「魔女についての本?爺ちゃんの古い書物ならたくさんあるけど…急にどうした?」

寺の息子の嘉地は珍しく俺から話しかけたことに少し驚いていた。
家柄に反して気崩した学ランに腕まくり。地毛の明るい髪に誰にでも話しかけるその人柄。俗にいうヤンキーに見えるが中学生にしては俺に似て渋い趣味をしていたりする。古い本を好み、本の貸し借りはよくするし、家に招かれたときは俺と同様に畳の部屋に文机のある質素な部屋に住んでいた。

「貸してもいいけど埃っぽいしきっと蔵の中を探すのに時間がかかるだろうな。…来いよ。今日は一緒に帰ろう」

嘉地は机の上に無造作に置いていた教科書やノートなんかを雑に机の中に突っ込んで所謂置き勉をしていく。
いつも通り機嫌がよさそうに口笛を吹いて歩いていく彼。俺はその隣を歩く。不釣り合いだと思うが優しい彼は俺の顔を見ると少し笑ってちょっかいを出す。

「そうだ。魔女の本のことだっけか。貸してやるけど一日待ってくれ。それにしても急に魔女のことなんてどうしたんだ?」

俺は嘉地の疑問に答える。嘉地は丁寧に相槌を打って聞いてくれた。

「母さんが魔女なのか。そうなのか。ああ、いや、誰にも言わないから安心しろ」

二人でこそこそと小声で話してアーケードの商店街を足早に通る。

「魔女の力は遺伝することもあるんだっけか。と言ってもお前は男だから魔女なわけないか」

教科書だけの知識では語り合うには到底足りなかった。
教科書で学べる魔女のことは少ない。まるで腫れものを扱うようである。
・妖力とは違った力、治癒能力があるがそれ相応の代償として寿命を払う。
・人を蘇らせることができるが代償に自らの命を払わなければならない。
・大病を治したり人を蘇らせることは本来の人間の道に反している。
・人知を超えた治癒は命を与えた神に対する冒涜だと反対する声があり、気味悪がられていた。
教科書に載っているのは大方こんなものだった。

無言になった嘉地は真面目な顔になり何かを考え出した。そして電化製品を扱う店の前に置かれているテレビに映ったニュースに足を止める。

『…過激派組織を名乗る団体は神への冒涜を続ける魔女の存在はあってはならないと声明を出しています。こうした過激派の活動は年々激化していて…』

ニュースは続けて過激派組織のことを報道していく。嘉地は眉間に皺を寄せ始めた。それとともに哀れみを帯びた眼差しをしている。嘉地はクラスで争いが起きたり、喧嘩を見ると悲しそうな顔をして道化のように笑って止めに入ることが多々あった。
そこに彼の育ちを垣間見る。

「母さんのこと守ってやれよな」

寂しく、悲しく、それでも力強く嘉地は俺に言った。
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