鬼灯の冷徹

□母様
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私は死んだ。
まだ地獄のないこの時代、彷徨う魂に行き場はない。
私は山をあてもなく歩き回った。
そうこうしているうちに私は妖怪となり、人々から山姫と噂されるようになった。
山姫とは山に住む女の妖怪で、旅人に笑いかけ血をすするらしい。
私は血など興味もないが、白い肌に映える赤い唇が血の色にみえたのかもしれない。
何百年たった頃だろうか、私は山姥に会った。

「お前さんは不思議な色をしているね。白い肌に白い髪に赤い瞳とは白蛇のようだ」

「私は生まれつきこうなのです。村を抜け出し大切なものを遺したままの未練から私は妖怪になりました」

「そうか、辛い思いも沢山しただろう。その目立つ容姿ではいつ人間に殺されてもおかしくない。どうだ、私の小屋にこないか?」

山姥は片足を悪くし、満足に生活できないところだったらしい。
匿う代わりに私は身の回りの世話をすることになった。
私達は山姥を婆さま、私をアケビと呼び、二人協力して暮らすようになった。

そしてある日、私の前に鬼灯と名乗る鬼が現れた。



「わぁ鬼灯さま!白髪のお姉さんがいるよ!」

元気な声に振り向くと白いフワフワした犬と長身の鬼が立っていた。
犬に笑いかけると、振っていた尻尾を止め怪訝な顔をした。

「山で白髪の女の人に会って笑いかけられる……わ!血を吸われちゃう……あれ高熱で倒れるんだっけ?」

確かに山姫の言い伝えには血やら高熱やらが出てくる。
しかし私は血には興味もなく熱を出させるほどの力もない。

「貴女は……山姫ですか?」

白い肌に黒い髪に黒い瞳の鬼は私の正体を直ぐに言い当てた。

「はい、人間にはそう呼ばれています。血をすすったことも旅人を襲ったこともありませんが、この容姿を不気味に思った誰かがそう名付けたのでしょう」

鬼灯さんは現世に視察で来た際、山姥の噂を聞きつけ会いに来たらしい。
随分変わった方のようだ。

「婆さまに会いに来たのですね、ご案内します」

鬼灯さん達を小屋に案内し婆さまに合わせた。
囲炉裏を中心にして、婆さまの生い立ちや年齢、趣味など様々なことを話していた。
私はその間、さっきの犬……シロちゃんと遊んでいた。

「山姥さんの話はこれくらいにしましょう、次は山姫さん貴女の話を聞いてもよろしいですか?」

「私の……ですか?」

「アケビ、誰かが訪ねてくるなんてそうあるもんじゃない。これも何かの縁だ、何でも話すといい」

婆さまに促され、私は私が死ぬまでの話を始めた。



「長を呼んで……!祟り……祟りだ‼」

私はこの世に生まれ落ちた時から全てを記憶していた。
慌ただしく動き回るたくさんの人。
その中に、産声を上げる私を優しく抱く人は誰もいない。
母親は私を見たショックでそのまま死んでしまったらしい。
私は独りぼっちだ。

私が泣き疲れてまどろむ頃には人の出入りが落ち着いてきた。
私を取り囲む人達の姿はどれも一様に黄色い肌に黒い髪に黒い瞳。
対する私は白い肌に白い髪に赤い瞳。
どうやら色の違う私を祟りだと恐れているらしい。
何を恐がる必要があるのだ、私は同じ人間だ。
そして私は誰にも抱かれぬまま生まれて初めての眠りについた。



寒さを感じ、そっと目を開いた。
さっきまでとは景色が違う。
寝ている間に移動したらしい。
四角い鳥籠のような部屋で目を覚ました私は空腹と居心地の悪さから大声で泣き出した。
すると何処からともなく人がとんできて私をあやし始めた。
顔を布で隠し白い衣を着たこの人は、私に母乳を与え、背中をさすり、ずっと抱きしめてくれた。
私はこの温もりを離したくない一心で衣にしがみついた。

「可愛い子、貴女はなにも悪くないのよ、さぁ安心しておやすみなさい」

この人は自分をキュウと名乗った。
私の世話を申し付けられたららしい。
乳母というものだろうか。
キュウは色の違う私を恐れることなく一人の人間として接してくれた。



私が乳飲み子ではなくなった頃、キュウは私の元に現れなくなった。
私は再び独りぼっちになった。
ご飯は毎日決まった時間に与えられる。
私の部屋の前を通る人の声から言葉も覚えた。
初めは言葉を使えることが嬉しくて給仕係の人に話しかけたこともあるが、教えた覚えのない言葉を使う私を恐れて逃げ出したのを目の当たりにしてからは何も喋らなくなった。



ある日、私の部屋に侵入者がきた。
産まれて十数年で初めてのことだ。
男は仲間内で度胸試しと称してこの部屋に忍び込む計画をたてたらしい。
私はこの祠で祀られていて、一部の人しか出入りできない場所にいるらしい。

「その仲間とやらはお前と同じ人間か?」

「あぁもちろんだ」

「人間は沢山いるのか?」

「あぁ、人間はこの村だけじゃない、隣の村にだってもっと遠くの村にだって沢山いる」

なんということだろう。
私はまだ人間の一部しか知らなかったらしい。
男は自分をマウと名乗った。
マウは外の世界について様々な話をした。
朝に上り夜に沈む太陽。
何処からともなくやってきて木の葉をちらす風。
天から降り草木を濡らす雨。
地をかけ空を羽ばたく獣や鳥。
四角い部屋と毎日のご飯、たまに聞こえる人の会話が私の全てだった私にとって男の話は魅力的で惹かれる話だった。
私が外に出たいと思うのにそう時間はかからなかった。
外に出てみたいというとマウは、近いうちに私を生贄として捧げる儀式があるから、その隙に逃げ出そうと提案した。
ここ最近、村の若者がいきなり死ぬことが増えたため祟りだと噂になっているらしい。
私は二つ返事で了承した。
儀式の当日、必ず助けるからとマウは約束してくれた。



儀式当日。
産まれて初めてみる太陽は神々しく、同時に畏怖の念を覚えた。
私は祭壇に上り、ひざまづいた。
後ろの扉は閉められ私は再び独りになった。
その夜、あの時と同じようにマウは突然私の前に現れた。

「遅くなってしまったね、怒っているかい?」

「いや、貴方は必ず来ると思っていた」

私が微笑めばマウも笑いかけてくれる。
私は幸せを実感した。
今日はもう遅いから出発は明朝にするらしい。
この日、産まれて初めて他者と共に寝た。
そして、産まれて初めて男の人と交わった。



翌日。
朝日も上らぬうちに村を抜けだし、マウと二人で何処までも歩いた。
マウがいれば何も怖くなかったし、なんでも出来ると思っていた。

村から出てしばらくすると、私のお腹が膨れてきた。
肥えたわけではない。
お腹だけが大きくなっていった。
マウはこれを、子供ができたと言った。
どうやら私は身篭ったようだ。
正直、嬉しかった。
私が今日まで生きてた意味があったのだと思えたし、なによりマウの喜ぶ顔が嬉しかった。
しかし、村から出た人間ができることなど限りなく少なく、満足のいく食事ができない私は日に日に弱っていった。
今思えば、なんとしても我が子に会いたいという気力だけで生きながらえていたのかもしれない。



赤子は無事に産まれた。
白い肌に黒い髪に黒い瞳。
可愛い男の子だ。
私達はこの子にテイと名付けた。
そして、テイを真ん中にして三人で寝転び色々な話をした。

「テイ、お前は母様に似て綺麗な顔立ちをしているな」

「将来は立派な男になるだろう。」

「母様は見た目が変わっているからと酷い扱いを受けたんだ。テイは人の姿形に捉われず、人の中身をみる人になるんだぞ」

「母様と父様はずっとテイを愛しているぞ」

そして私達はテイを遺して息絶えた。
極度の緊張状態と栄養不足で身体がもたなかったのだ。
遠くなる意識の中、最後に残ったのはテイを抱える見知らぬ女の姿だった。
私は瞳から涙を流し、必死に口を動かした。

「その子をお願いします」

女の頷くのを確認して私は意識を手放した。

あの子は本当の親を知らずに育ち、悲しい思いをするかもしれない。
でも魂となった私にはどうしようもできない。
愛しいテイ。
私達の息子。
せめて幸せに暮らしてほしい。
私はずっとテイの味方だから。
しかし私には母親の資格はない。
テイのことは全て任してしまった。
それ以来、私は二度とテイに会うことはなかった。



ここまで話すと鬼灯さんは難しい顔をして黙り込んだ。

「鬼灯さん?何かありましたか」

「実は私も生前は人の子だったのです」

鬼灯さんは孤児として山奥の村で育ち、雨乞いの生贄としてその生涯を終えたらしい。
幼子になんとも酷な話だ。

「親の話は直接された事はありませんが、一度だけ盗み聞いたことがあるのです」

そして鬼灯さんは口を閉ざした。
沈黙が訪れる。
私は変な胸騒ぎを覚えて鬼灯さんを見つめた。
彼は話そうか迷っているようにみえた。

「……一度だけ、育ての親と長が「あれの親は白いカガチのように白い髪と赤い瞳の女だった」と話していたのです。だから、貴女が私の……」

「おやめなさい」

私は鬼灯さんの言葉を遮った。
二人の視線が私に刺さる。
私は目を伏せ、静かに話し始めた。

「もし……本当にそうだとしても、私には親と名乗る資格はありません。それに今となっては何が真実だか分かりません」

鬼灯さんは黙って私の話を聞いている。

「今更、母が現れても戸惑うことの方が多いでしょう。だから……一つだけお願いを聞いてくれますか」

そっと目を向けると鬼灯さんは静かに頷いていた。
そのことにひどく安堵し、再び口を開いた。

「一度だけ、私をかかさまと呼んでいただけませんか」

これは私の叶わない望みだった。
もう諦めていた願いだった。
母親の資格がない私でも一度でいいからそう呼ばれてみたかった。

「……母様」

鬼灯さんは呟くように優しい声色で私を呼んでくれた。
その声が耳に届いた時、私の目からは涙が流れた。
枯れたと思っていた涙は止まることなく流れ続けた。

「はい……ありがとう鬼灯さん」



鬼灯さんはシロちゃんを連れて帰っていった。
地獄に住むかと聞かれたが、婆さまがいるので断った。
鬼灯さんは現世に視察に来た時は、土産話を持ってまた家に来ると言ってくれた。
生き甲斐のできた私は、この不思議な縁をくれた神に感謝した。

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