駄文帳

□約束だから、側にいて
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「寒くなったなぁ…」
マフラーを首に巻き直して、夏目が呟く。
「そうか?」
前を歩きながら振り向くと、夏目は肩を竦めて私を抱きあげた。
「先生は毛だらけだから平気なんだよ」
失礼な。
「あー、あったかい」
ぎゅ、と軽く抱きしめてくる夏目に、仕方なく黙る。頬を擦りつける仕草は、私がいつもしていること。今朝は逆だな、と笑いが漏れた。

初冬、早朝。
まだ寒さに慣れない人間たちが、体を縮こまらせながら歩いていく。学校へ、職場へ。行き先はそれぞれ、様々だ。見知った者を見つけては挨拶を交わしたり身を寄せ合ったり、朝っぱらから元気がよくてなによりだ。こちらは昨夜の酒が残って頭痛がするというのに。

「先生のは自業自得って言うんだよ」
愛くるしいペットである私を湯タンポがわりにするという暴挙に出る夏目は、気遣う素振りすらみえない。同じ学校の知り合いに声をかけられ、大きな声で挨拶を返したりする。
「頭に響くじゃないか」
文句を言っても無視。つんとして前を向くその顔は、昔見たあの女にそっくりだ。特に、怒っている今は。


先日、また一人、名を返してほしいという妖が訪ねてきたらしい。
らしい、というのは、私はそのとき留守だったからだ。貴重な酒が手に入ったと誘われて、妖たちの宴に参加していたのだった。
夏目に近づく妖の気配は知っていた。だが、弱い妖気に小物だと見当をつけ、それならば害はあるまいと放置していた。事実友人帳の用事で夏目を訪ねてくる妖はたいがいの奴が大人しくて、名を返せばすんなり消えることがほとんどだったから。
その日の妖も妖気に違わぬ弱そうなひょろりとした奴だったようだ。夏目はいつものように名を返し、笑顔で妖に別れを告げた。
だが、それがいけなかった。
夏目の容姿は、私から見てもなかなか美しい。それが自分に微笑んでくれるのを見て、その小物はすっかり舞い上がってしまったようで。
『嫁にきてくれ』
『無理』
それは夏目から聞いた妖との会話。
『決まった相手がいるのか』
『いやいや、俺男だし。嫁とか無理』
『妖にそんなものは関係ない』
『人間にはある』
『わしは人間ではないから大丈夫』
『俺が人間だから大丈夫じゃない』
聞いただけで面倒くさくなるような押し問答が続いたようだ。どうにかして追い返したあとで疲れて座り込んでいたら私がほろ酔いで帰宅したものだから、怒りが限界値まで到達したらしい。
『どうした夏目、暗いぞー?』
『どうせ俺は根暗だよ』
『いや誰もそんなことは言っておらんが。なんかあったのか?』
『…………………』
黙る夏目。だが目は私をしっかりと睨み、握った拳を震わせている。
だが、私は酔っぱらいだった。夏目がいくら睨んできても、頭も体もほわほわと宙を漂っているようで、まったく気にならない。
『ほら、夏目も飲め!』
手にした瓶には件の貴重な酒の残り。それを畳の上に置き、その場に大の字に寝転がった。
『飲んで騒げば嫌なことなど消し飛ぶぞー?』
にゃっはっは、と最近すっかり板についてしまった猫笑いをすると、夏目がゆらりと立ち上がった。
『ふぅん……お酒、飲んでたんだ………』
『ん?』
不穏な気配に、顔だけをそちらへ向ける。
『用心棒とか言っといて、俺を放置して酒盛りしてたんだ…?』
『あんな小物、私が気にするほどでもなかろう』
つるりと言ってしまった言葉に、夏目がぴくりと反応した。
『……妖、来てるの気づいてたんだ?』
不穏な気配が濃くなっていく。
『そりゃ、もちろん……ていうか夏目、どうしたんだおまえ。なんかおまえが妖みたいになってるが』
妖というか、地獄の悪鬼みたいな。なんで目光ってんだ。そしてなぜ机を探る。
『俺が大変な目にあってるの知ってて、酒盛り……?そりゃあいいや、さぞかし楽しかっただろうねぇ』
私は飛び起きた。
『ちょ、待て!話せばわかる!その手のハサミを離せ!』
『やかましい豚狸!そこ座れ、トラ刈りにしてやる!』
『いやいやいや!刈られたら私が私じゃなくなるじゃないか!』
『知るかそんなん!』

夜明けまで追いかけられ続けた私は、明るくなり始めた頃ようやく疲れてハサミを投げた夏目から事情を聞いた。なんともアホらしい、つまらん事情だ。そんなことでなぜ私が刈り込まれねばならんのだ。
『そんなもん、ぶん殴ればよかっただろう』
『敵意もない相手に、そんなことできないよ』
夏目は相手が妖でも人間でも、傷つけることを恐れる。なのに私にはまったく遠慮をしないのはなぜなんだ。
『私は敵意はないのによく殴られてる気がするが?』
『……ねぇ先生。ああいうの、妖では普通なの?』
無視か。
『……ああいう、とは?』
仕方なく聞き返す。
『だから、ああいう……その、プロポーズ、みたいな』
言いにくそうな夏目。頬がちょっと赤い。
『まさかおまえ、ほだされたか?』
慌てて聞くと殴られた。ほらみろ、私には遠慮も手加減もなしじゃないか。
『違う!ったく、脳みそまで酒漬けになっちゃってんだからこのくそ狸は』
いつにも増して辛辣な言葉が胸を抉る。だがいまだ酒臭い私には返す言葉がない。
『……求婚、は人間でも普通の行為だろう』
かわりに渋々、さっきの疑問に答えることにした。
『つがいになるにはまず求婚をする。どんな生き物でも同じだと思うが?』
『いや、だってそれは子孫を残すためで……。同性とか、普通はしないだろ。あの妖はそんなこと関係ないって言ったけど、妖だって普通は……その。お、女の人っていうか妖に、求婚するもんなんじゃ……』
なるほど、赤くなっているのは照れているだけか。夏目はまだ子供で、こういう話題は苦手なのだろう。
ちょっと安心した私は、壁にもたれて座る夏目の膝の上に乗った。丸くなって座れば、優しい手が背中を撫でる。その感触に目を閉じて、続きをと口を開いた。
『妖はどの生き物とも違う、いわば幻。半永久的に生きる私たちに、子孫などという概念はない』
『え。じゃ、妖ってどうやって生まれるの』
『気づいたらそこにいる、という感じかな。生まれる、なんていう言葉もあまり相応しくないかもしれん』
『……じゃあなんで求婚すんのさ。必要ないんじゃないの?』
『……………ふむ』
もぞりと座りなおして、夏目の顔を見上げた。朝の光が射す中で、薄い色をした髪がきらきらと輝いている。
『人間も、年をとって子孫を生む必要がなくなっても、伴侶を失えばまた誰かに求婚するだろう。あれと同じだ』
『同じ…………』
『要は、寂しい、ということだ』
背を撫でる手が止まる。
『………あの妖は、寂しかったのか……?』
眉を寄せて考える夏目に、ため息をひとつ。
『誰しも一人で生きるのは寂しいと思うときがある。誰か一緒にいてくれたら、と思って求婚するんだろう。だがそれはおまえには関係ないことだ。気にする必要は全然まったく欠片もない』
『…………誰か、一緒に………かぁ……』
寂しいという感情は、夏目は誰よりもよく知っている。
だが、だからどうだというのだ。そんな小物が言った戯言を、こいつがいつまでも気にする理由になんかならない。
じっと見上げる私に、夏目が微笑んだ。
『いつか、あの妖にお嫁さんが来てくれたらいいね』
『………ふん』
私が考えていることを見通したような、宥めるような安心させるような笑顔。
私はふいと顔を背け、また丸くなった。
そんな顔は見たくない。
どこか悲しげな、その笑顔は嫌いなんだ。
『……じゃあさ、先生も誰かに求婚したことあるの?』
ふたたび伸びてきた手に頭を撫でられて気持ちよさに目を閉じたら、いきなり意外な質問をされて驚いた。
『なに?』
『だからさ、先生は誰かに一緒にいてほしいと思ったことはないのかなって』
『アホ。私ほどの妖が、そんな情けないことを考えるはずがなかろう』
『えー?ほんとに?』
『当たり前だ。求婚なんぞ、したことはない』
『そっか。まぁ、したことがあるのに今現在も一人っていうのは悲しいもんね。そういうことにしといてやるよ』
『だからないって言ってるんだ!信じてないな?』
真実を訴える私を見下ろして、夏目が笑う。こいつ絶対信じてない。この私が振られるなんぞ、あるわけがないだろう。

求婚なんて、したことはない。けれど誰かの側にいたいと思ったことなら、一度だけある。
昔同じ顔をした女に会ったときには感じなかった、不可解な気持ち。

それがどういう感情なのか、わからなかったけれど。

それでも、離れたくないと思った。

だから今、ここにいる。

こいつにはそんなの、わからないだろうけど。

『とにかく先生、用心棒なんだから妖が来たらここにいてくれよな。また面倒なことになっても嫌だし、うっかり強い妖だったら困るからさ』
『わかったわかった』
『ほんとにわかってんの?』
『あー、はいはい。任せろ、どんな奴が来ても私が喰ってやる』
『喰わなくていい。でも、約束だよ?絶対だぞ?』

あの妖の求婚がよほどしつこかったのだろう、夏目は何度も念を押す。
私は眠気に負けてうとうとしながら、それへ頷いてみせた。



そして昨夜。

私がちょっと飲みに出ている間にまた別の妖が来たようで。

今度は何事もなかったらしいのに、私が約束を破ったというその事実だけで、夏目は怒ってしまって。



「じゃ、教室行くから」

そんなわけで、学校に着くなりぽいっと校庭に捨てられて、落ちたはずみに打った尻を撫でながら校舎に消えていく夏目を睨んでいるという理不尽な状況になるのだった。

「くそ、本当に遠慮というものを知らんのだから」
ぶつぶつ言いながら木陰に移動して座り込む。そこは夏目がいる教室がよく見える、私のお気に入りの場所だ。
丸くなって欠伸をする。昨夜も賑やかで、楽しい宴だった。知らない妖も何人も混ざっていて、それなりに盛り上がってつい飲みすぎてしまって。

その中にあの妖がいたことを、夏目は知らない。

夏目に振られたと嘆く妖に、皆が呆れた顔をしたことも。

『夏目様はもう決まった伴侶がいらっしゃる。求婚なんて無駄無駄』
首を振る妖に、あの妖がそれは誰だと食い下がる。
『相手はほら、そこにいる…』
『え、あれが?』
そんな会話に振り向くと、あの妖が私を見ていた。
『まさか。夏目様が、あんな狸と……』
あれならまだ自分のほうが、と呟く妖にかちんときて、そのまま元の姿に戻って見せた。月に輝く白い体を見上げて目を真ん丸にする妖に、にやりと笑う。
『夏目は私のものだ。それとも貴様、私に勝負を挑むか?』
『いいえ!めっそうもありません!』
『ならば消えろ。この先また夏目にちょっかいを出したら、私がどこまででも貴様を追って必ず喰ってやる』
『は、はい!』
申し訳ありません、と叫んでいなくなった妖のおかげで、酒がますます旨くなってしまって、つい。

「………ま、知らなくていいことだしな」
呟いて目を閉じて、暖かい日差しに四肢を伸ばして。

周囲になんの妖の気配もないことを確かめてから、私は改めて丸くなった。




END,

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