駄文帳

□ニャンコ先生のバスタイム
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ばしゃん。

「にゃ!」

飛んでいく虫を追ったニャンコ先生の足が、水溜まりを勢いよく踏む。
跳ねた泥水はでっぷりした腹はもちろん顔や背中まで飛び散り、まるで泥のシャワーを浴びたような状態。

動きを止めた先生が、ゆっくりと振り返る。

それを見る俺も、ゆっくりと微笑んでみせる。

「…………………」

「…………………」

しばしそのまま見つめ合ったのち、おもむろに丸い体を抱き上げた。

「お風呂、入ろうね」

「いやだぁぁぁ!」

先生の悲痛な叫び声は、秋の夕暮れの空に溶けていった。



風呂くらい一人で入れる、と叫ぶ先生をしっかりと抱いて浴室に入る。びちぴちくねくねと暴れる先生に、ゲンコツをひとつ。
「ダメだってば!どうせちょろっと湯船で泳いで終わりだろ?先生の風呂嫌いは知ってんだからな!」
「風呂が嫌いなわけじゃない!おまえに洗われるのが嫌いなんだ!それにこれくらいの汚れ、わざわざ洗わなくても雨が降ればきれいに」
「天然シャワーを待ってたら、家の中が泥手形だらけになっちゃうだろ!」
洗面器にお湯を汲み、先生を乱暴に突っ込んで、頭からシャワーを浴びせる。ぎにゃー、ていう感じの妙な悲鳴が浴室に響き渡った。


先生は風呂があんまり好きじゃない。
この家に来るまでは、生まれてこのかた一度も入ったことがないと言っていた。だからだろう、初めて洗った日は泡なんかまったくたたなくて、何度汲み替えても洗面器のお湯は真っ黒になった。暴れる先生を足で押さえて洗濯洗剤をまぶしかけ、両手で力いっぱい洗う。それを幾度か繰り返し、ようやくきれいになったのだったが。
踏まれてもみくちゃにされて洗濯された上、シャワーの雨で溺れかけたことは、先生の中でトラウマになったようで。

それでも、やらなくてはならない。俺を受け入れてくれただけじゃなく、ある日突然なんの相談もなく連れて帰った不細工な豚猫まで歓迎してくれた、優しい二人の家を、泥まみれにするわけにはいかないんだ。

「待て夏目、不細工な豚猫とは誰のことだ!」
洗面器で溺れそうになりながら、先生が文句を言う。誰のことって、わかってるから文句言ってるんじゃないのか。
「今は不細工な上に汚いがつくけどね」
「貴様、この私に向かってそんな口を……ぷは!いやちょっと!いきなり湯をかけるな、死ぬかと思ったぞ!」
「シャンプー中に上向いてしゃべるほうが悪いんだってば」
「ぐわ!痛い、痛いって!毛!ひっぱってる、毛!」
「じっとしてなきゃ、円形にむしるからな」
「今!今むしってるだろう、貴様!痛いってば!ちょ、マジで!」
がしがし擦りまくり、揉みまくる。指に絡んだ毛がまとめて抜けたりしたけど、そんなのに構って隙を見せたらすぐ逃げられてしまう。服を着たままの自分が濡れるのも放って、俺は洗うことに専念した。

数十分後。

息を切らせた俺と、虫の息の先生が、今度は俺の部屋で睨み合う。
俺の手にある武器は、ドライヤー。
濡れ鼠な先生はそれを睨み、じりじりと後退を始める。だが何度も溺れたおかげで、足に力が入らないらしい。動きは鈍く、肩で息をしている。
「先生、いい加減観念しておとなしくしろ」
「貴様こそそれを捨てろ。でなきゃ喉笛を喰い千切るぞ」
「喰い千切るなら側に来なきゃできないよな?だったらほら、こっち来てみろよ」
「………ぬ」
「ほら、早く」
ドライヤーをかざす俺。
さらに後退する先生。
しかし、俺の部屋は無限ではない。先生はすぐに壁に突き当たり、それ以上下がれなくなった。
「もらった!」
ひらりと跳躍しドライヤーを突きつける。動けなくなった先生ににやりと笑い、引き金に指をかけて。

ぶおー、と吹き出す熱風と、猫の悲鳴。

俺はようやく捕まえた先生を膝に乗せ、濡れた毛を乾かし始めた。



「熱いってば!同じとこにばかり熱風をかけるな!」
「うるさいなーもう。最初の頃焦がしちゃったからって、いつまでも根に持たないでよ」
「あれを根に持たずに何を持てと言うんだ!毛が焦げる音と匂い、まだ頭にこびりついて離れんぞ!」
「慣れてなくて下手くそだったからだよ。今はもう大丈夫だから」
「根拠のない自信ほど怖いものはないぞ」
「大丈夫。焦げるの俺じゃないし」
「いやいやいや!今なんか言ったな!?言っただろ、聞き捨てならんことをさらっと!」
「気のせいだって。はい、背中は乾いたよ」
「うわ!」
先生の体をくるりと反転する。突然のことに驚いた先生が目を真ん丸にして天井を見上げている間に、ふよふよの腹にドライヤーをあてた。
「あっちぃ!近づけすぎだと言ってるだろ!もっと離せアホ!」
短い手足をばたばたさせる先生を見ていたら、なんとなく意地悪がしたくなる。
なので手を押さえつけて、ドライヤーを顔へ。
「ぎにゃぁぁぁ!」
今日一番の悲鳴に、なぜだかすごく満足した。




そのあと。

風呂から出た俺は、濡れた髪をタオルで拭きながら部屋の戸を開けた。
部屋の真ん中に敷いた布団の上には、全身をふかふかにされて今にも息を引き取りそうな猫。
ではなく、白くて大きな妖がいた。

「…………………」
恨みがましい目で睨まれるけど、無視。
布団に座ってタオルで髪を拭きながら、ドライヤーを探す。
「……あれ。さっきここに置いたのに」
畳の上をきょろきょろしていると、先生と目が合った。
ふいと目を逸らす様子に、なるほどと納得してゲンコツをふたたび。もんどり打って痛がる先生が退いた場所に、俺のドライヤーがあった。
「もー、隠したって無駄なのに。子供みたいなことするんだから」
元の姿になったのは、猫のままじゃドライヤーが隠せないからか。ほんと、子供みたいだ。
「うるさい。明日おまえがいない隙にどっかに捨てて来ようと思ってただけだ」
びっくりした。マジで子供だったんだ、この妖。
「探して見つからなかったら新しいの買っちゃうぞ?新しいドライヤーは風量も温度もはんぱないぞ?」
「な、なんだと………!」
「しかも毛をくるくるにしたりもできるんだって」
「く、くるくるに…」
ショックを隠しきれない先生。
「くそぅ人間め、私をどうするつもりなんだ……」
「いや先生のために開発されたわけじゃないから」
呆れてツッコみながら、自分に向かって温風をあてる。風呂あがりだから暑いけど、風邪をひいたら嫌だし。
それを黙って見ていた先生が、急ににやっと笑った。
「夏目、私がやってやろうか」
「やだよ。絶対わざと焦がすに決まってんだから」
「アホ、そんなもの使うのは人間だけだ。私にドライヤーなんぞ必要ない」
むく、と起きてこっちににじり寄る先生。嫌な予感にドライヤーを握りしめて後退する俺。
「ドライヤーなしでどうやって乾かすんだよ」
「私はもともと獣の妖。獣は体が濡れたら、毛づくろいをするものだ」
「……毛、づくろい……?」
道端とかで猫がよくやってる、アレ?
……いやいやちょっと。
「俺、そこまで毛深くない」
「遠慮するな。一滴残さず水気を舐め取ってやる」
「遠慮する!わ、やめろ!また風呂行かなきゃなんなくなるだろ!」
両手で俺を抱えこんだ先生が、頬といわず顎といわず舐めまくってくる。唾液でべとべとになりつつ睨むと、先生はとても楽しそうで。
「小さなものがばたばた暴れているのを見ると、もっと意地悪したくなるな」
目を細めて言う、その言葉には同意するけど。
とりあえず眉間に、抉り込むようなストレートを決める。漫画で研究しただけあって効果は抜群。先生はそのままぱたりと気絶してしまった。

「まったく、ほんと子供みたいなんだから」
ぶつぶつ言いつつもう一度シャワーを浴びて、布団に戻る。先生はまだ伸びていた。
側に行くと、シャンプーの香り。ふかふかでふわふわの毛並みは、触ると暖かい。
「ここで寝よっと」
毛布をかぶって、先生の胸元に潜り込んだ。気絶してるはずの先生の手が動き、俺を抱き込むような仕草をする。起きたのかと思って顔を見るけど、静かな寝息が聞こえるだけだった。
そのまま、目を閉じる。
暖かな毛皮と毛布に包まれて、すごく気持ちがいい。
寝返りを打って先生に抱きつくみたいな姿勢で、ふぅ、と息をつく。そうして意識がぼんやりしてきたとき。

こんこん。

窓を叩く音に、渋々目を開けた。
見るといつもの妖が一匹、酒瓶を掲げてにこにこしている。
「斑様、いい酒が手に入ったのでお誘いに来ました……って、お邪魔でしたか?」
先生を見たけど、無反応。なのでかわりに俺が返事をする。
「もう今日は寝てるから、またにしてくれ」
「わかりました」
妖は頷いて酒を引っ込めて、改めてこっちを見た。
「仲のよろしいことで。では、また」
違う、と首を振ろうとした俺に、妖がなにやら含んだ顔で笑う。
「今夜は邪魔をしないように皆にも言っておきますので、ごゆっくり」
「…………は?」
なんのことだと聞き返す前に、妖はいなくなった。

なんでそうなるの。

そういえば、俺は先生に抱きついて寝てたっけ。

先生は俺を抱き込んで寝てるし。

けど。

えええ。もしかして、なんかすっごい誤解された?

勝手に赤くなる顔をごしごし擦り、慌ててそこから抜け出そうとした。暖かい毛皮には未練が残るけど、そんな誤解を招くくらいなら普通に布団で寝たほうがいい。

だけど、抜け出せなかった。
先生の腕に力が入り、俺はまた元の位置。
ぎゅっと抱きしめられて、顔を上げたら先生と目が合った。

「……どこへ行く」

「起きてたんなら聞いただろ?なんか変な誤解されちゃって、だから」

「ほっとけ」

「………でも。先生だって、困るだろ」

「………………」

黙った先生の、俺を抱く手にまた力が入る。

「………おまえがいないと、寒いんだ」

「…………………」

うん。

俺も、先生がいないと、寒い。




結局そのまま、一緒に眠った。

シャンプーの香りのする、なんかすごく爽やかな夢を見たような気がする。



朝になって、また洗ってあげるね、と言ったら、先生は絶望的な顔をしたけど。

だからまた一緒に寝よう、と言うと、

「…………仕方ないな」

そっぽ向いた顔がちょっと赤くて、笑って先生を怒らせてしまった。






END,

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