駄文帳

□あなたがいないと、
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朝から、最悪。

「バカニャンコ!もう知らないからな!」

「うるさいぞガキ!めんどくさいことばかり言うなら喰っちまうぞ!」

いつものごとく朝帰りした私に、いつもの通り文句を言う夏目。だけど、今朝は少しだけ様子が違った。
私は深酒が過ぎて二日酔いで、がんがんする頭に夏目の声が突き刺さるような状態。夏目は夏目で、なんか知らんが機嫌が悪くて、小言のはずが説教となり、やがて罵声となって。

「先生なんか大嫌いだ!」
「こっちこそおまえの守りなんぞもうまっぴらだ!」

売り言葉に買い言葉、とはまさにこのこと。




藤原家を飛び出した私は、どこへというあてもなくふらふらと飛び回った。元の姿に戻って空を駆けていたら、冷たい風で頭も冷えていく。
ようやく頭痛も治ってきた頃には、私はぼんやりと草原の真ん中に寝転んで、咲き乱れる秋の草花が風に揺れるのを眺めていた。

時刻は夕暮れに近い。
茜に染まる空に、学校も終わる頃か、と考えてから、いやいやと首を振る。
知らんぞ。もうあんな奴なんか知らん。今まで守ってやった恩も忘れて、この私に言いたい三昧だったアホガキのことなんか。

けれど。

ため息をついて、考える。
朝帰りなんていつものことで、あいつも慣れているはずだ。楽しい酒宴の終わりが惜しくて、気の知れた仲間と杯をかわすのが心地よくて、それで結局潰れて野宿。そんな毎度の恒例行事みたいなものに、今まで眉を寄せられたことはあっても罵声など飛んできたことはなかった。

昨夜、なにかあったのだろうか。
帰ったときに見た結界も無事だったし、家も庭も荒らされた気配はなかった。妖の匂いもどこにもなかった。
一人だったなんてこともない。滋も塔子もいつも通り家にいたし、夕食時にはどこかへ行くなんて話もしてなかったはずだ。

なんで、どうしてあんなに機嫌が悪かったんだろう。

暮れていく陽を眺めながら、考えこんでいたとき。

「人間だ」
「人間が来たぞ」
「旨そうな匂いだ」
「喰ってしまうか」

小さな妖たちの密やかな声が耳に届き、思わず振り向いた。もしかして、夏目が私を探しに来たのかと。

「あら、ニャン吉くん」
だが、そこにいたのは塔子だった。一人で、買い物袋を手に下げて、私を見てにこにこ笑っている。
「そんなところにいたのね。お昼にも帰って来ないから心配したのよ」
塔子はそう言いながら、草花をいくつか摘んで束ねた。
「ちょっとした飾りになるかなって。ニャン吉くんも手伝ってくれる?」
あたりに漂う不穏な気配を感じとれぬとは、人間とは不憫なものだ。私は周囲をぐるりと見回し、視線で妖どもを牽制した。人を喰うことしかできない弱い妖どもが、散り散りにどこかへ逃げていく。
塔子になにかあれば、私の食生活が貧しくなるからな。別に夏目が泣こうが喚こうが全然関係ないんだ。塔子を守るのは、私のためだ。うん、そうだ。そうに違いない。
うんうん頷いてから、買い物袋に鼻を寄せる。魚の匂い。肉もある。今夜のおかずはなんだろう。
「お腹すいてるの?」
塔子が花を摘むのをやめて、私へ笑顔を向けた。
「もう帰りましょうか。ごはんの支度をしなくちゃね」
「にゃあ」
大賛成なので返事をする。塔子は作った花束を大事そうに握り、買い物袋を抱え直して歩き出した。
「今朝は派手にケンカしてたわねぇ」
家路を辿りながら言われた言葉に、つんとそっぽを向いた。
「帰ったら、仲直りしなさいね?」
「……………」
それはあいつの出方次第。いくら機嫌が悪かったからって、あんなに怒ることはないだろう。だいたい私は酒を呑んでも朝帰りしても咎められるような年ではない。女房じゃあるまいし、こんなことでいちいち目くじら立てられていては同居もし辛くなるではないか。
返事をしないでいると、塔子がくすくす笑い始めた。
「貴志くんは、もう今朝のことは気にしてないみたいよ」
なに?
顔を上げたら、目が合った。嘘を言っているような目ではない。
「学校から帰って、先生帰ってきましたか?って。開口一番それだもの、笑っちゃったわ」
なんと。あいつは今朝の私に対する罵詈雑言を勝手にきれいに水に流して、忘れていると言うのか。
それはダメだ。あいつには、目上に対する態度や物言いについて反省してもらう必要があるのだ。そんなきれいさっぱり流してしまうとか、夏目の頭は水洗トイレか。

私は駆け出した。後ろで塔子が笑うのが聞こえたが、この際気にしないことにする。
なんだかんだ理由をつけても、隠せないくらいに足取りは軽い。

「夏目!」
玄関に飛び込むと、居間から夏目が顔を出した。
「おかえり、先生。待ってたんだよ」
笑顔。しかも全開の。
「寒かっただろ?こっち来なよ」
手招きされて入った居間には、こたつが鎮座していた。
「昨日の夜、滋さんと二人で納戸から出してきたんだ。ほら、入って。あったかいよ」
布団をめくって、なおも私に笑顔を向ける夏目。
なんだか心がふわりと浮いたような気分になる。夏目が優しい、それだけなのに。

こたつに近寄り、夏目を見上げる。布団をめくったままで、夏目が笑顔でどうぞと勧めてくれた。

ふ、と胸に不安がよぎる。

なぜこんなに機嫌がいいのか。今朝の今で、こうまで変わるものなのだろうか。
それに、なんでこんなにこたつを勧めるんだ。なにかあるのかと、勘繰ってしまう。

けれどめくられた布団からじわりと広がる温かい空気に、抗えるはずもなく。

私はそこに飛び込んだ。

そして飛び出た。

「ぐわぁぁぁ!」
目眩。吐き気。強烈な臭気が私を襲い、息もできない。鼻がつんとして、涙がぽろぽろ出てくる。ああ、もうダメだ。なんか過去の色んなことが頭の中をぐるぐるしてるんだが、これが噂に聞く走馬灯なのか。臭気で死ぬなんて想像すらしたことがなかったが、これは十分な科学兵器だろう。人間はなぜこれを法律で禁止しないんだ。

ぱたりと倒れた私を見下ろして、夏目がにやりと笑った。さっきまでとは違う、悪魔のような笑み。

「ふっふっふ、脱いだ靴下を仕込んでおいたんだ。効果は絶大なようだな」

くっ……もう冬が来るというのに、なぜこんなに靴下が臭いんだ貴様……。

「男子高生の足なめんな。春夏秋冬、いつだって靴の中は蒸れまくりなんだからな」

そんな、諸刃の剣みたいな攻撃をしてくるとは思わなかった。なんでおまえは平気なんだ。鼻が壊れてるんじゃないのか。修理したほうがいいと思うぞ。そして靴下は早く洗濯機に入れろ。

不覚すぎて身動きもできない私を、勝ち誇った夏目が抱き上げる。
なにをする気だ、と思っていると、そのまま膝の上へと載せられた。
遅れて入ってきた塔子が、それを見て微笑む。
「本当に仲良しねぇ」
どこを見て言ってるのか、問い詰めたい。しかし虫の息の私はぐったりしたままで、夏目はそんな私を抱えてこたつに座って、満足そうにミカンなんか剥いている。



機嫌なんて直ってないじゃないか。むしろ悪化してるじゃないか。

いったい私がなにをしたというんだ。こんな目に合わねばならないほどの、いったいなにを。



「………だって、寂しかったんだ」

「……………は?」

こたつに三人で入って、テレビを見て笑って。

なのにそれでも寂しかったんだ。先生がいないから。

「なのに先生、みんなと朝までお酒呑んで、帰ってきても楽しかったーって言うばっかりで。俺のことなんて忘れてたんだって思ったら、なんかめちゃくちゃ腹立ったんだ」

「………………………」

それは、私が悪いのか?





鍋を抱えてきた塔子が、私に肉をよそってくれる。
そこへ夏目が野菜を入れて、早く食えなんて急かされて。

誤魔化されたような、微妙な気分。

けれど悪くはない。
夏目が、寂しがってくれたから。
塔子も滋もいるのに。私がいないから。
だから寂しかったと、そう言ったから。



誤魔化されることにして、器から肉を選んで噛みついた。ちょっと熱いが、旨い。それにこの匂い。いまだ鼻についた靴下の悪臭が、祓われていくようだ。






「今度朝帰りしたら、次は滋さんの靴下も一緒に仕込むからな」

呟かれた言葉が頭から離れなくて、私はしばらくこたつに近寄ることができなかった。




END,

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