駄文帳

□雪
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座布団から動かない先生が、窓を閉めろと文句を言う。

でも、もったいないじゃないか。せっかく雪が降ってるのに。




夕方、ちらちらと舞い始めた雪は、夜になって本降りになった。この地方では珍しい降り方に、明日は積もるかもしれないと期待をこめて空を見る。
「先生、すごいよ。いっぱい降ってる」
「いいからそこ閉めろと言うのに。寒くないのか」
丸まったきりの先生は、いつにも増してふくよかに見える。
「寒いけどさ。でも、初雪だよ?」
「初雪だからどうしたというんだ。冬になれば雪が降るのは当たり前だろう」
自然の中で暮らしていた先生には当たり前かもしれないけど。

でも、今年の初雪は俺には特別なんだ。
だって、去年までみたいに毛布をかぶって震えていなくていいんだから。
部屋にあるストーブに火を入れてもいいし、居間にあるこたつに入りに行ってもいい。温かい飲み物を作りにキッチンに行っても咎める人はいない。防寒着なんて、たくさんありすぎてどれを着ようか迷うくらいだ。
こんなに暖かい冬は初めてなんだ。少しくらいテンションが上がったって、いいと思うんだけど。

「先生って、そんなに寒がりなのに今までどうしてたんだ?」
何気なく浮かんだ問いを口にしてから、ふと想像した。どこか深い洞窟かなんかで、白い獣の妖が丸まって眠る姿。
「……もしかして、冬眠でもしてた?」
洞窟なんかで寝てたら、寒いだろう。それでなくても夜になれば、先生は俺の布団に入ってくるのに。
………一人じゃなかった、とか。
誰かと、俺と一緒に寝るときみたいに、身を寄せて抱き合って。
そしたら、寒い冬も暖かく過ごせるだろう。
俺じゃない、誰かと一緒に。
ツキン、と胸が痛むのと、先生が口を開くのは同時だった。
「冬眠なんかするかアホ。熊じゃないんだぞ」
バカにしたように鼻を鳴らす先生。
「以前は寒いとか、感じたことはなかった。この姿になると、妙に寒さがこたえてな。体が猫の体質になってるのかもしれん」
ほっとする自分に、自分で驚いた。勝手な想像に胸が痛くなるなんて、なんなんだ俺。病気なのか。
「じゃあ、冬が寒いと思ったのは今年が初めてなんだ」
「そうだな」
「………誰かと一緒に冬を越すのも、初めてなんだ……」
「ん?なんて言った?」
小さな呟きは、聞こえなかったらしい。
「いや。年寄り臭いこと言うなぁ、って言ったんだよ」
「なんだと!おまえこそ、寒いとすぐ風邪をひくくせに!もっと太って体力をつけろ、もやしめ!」
ひとこと言えば三倍返ってくる。
でも、それは俺を心配している言葉で。
「……積もったら、雪合戦しようか」
嬉しくなって弛んでしまった顔を隠すために、また窓から空を見上げた。

先生がいるから、暖かい。

このままずっと、一緒にいられたら。

そしたらきっと、去年までみたいになにもない部屋で毛布をかぶるだけの冬でも、暖かい。

先生がいるだけで、俺の全部が暖かくなるんだ、なんて。

「……恥ずかしくて、言えない」
「なんか言ったか」
「な、なんも」
慌てて首を振り、押し入れから布団を引っ張り出した。
「もう寝ようかなって。先生、今日はどこにも行かないんだよね?」
「あー。雪見酒とか言って誘いに来た奴がいたが、断った。遭難して凍死するのは嫌なんでな」
「おおげさだなぁ。いつもの原っぱだろ?どうやったら遭難できるの」
自分の思考の恥ずかしさに、頬が熱くなる。それを誤魔化したくて、ことさら派手に布団をばたばたした。毎度俺の気持ちを鋭く見抜いてしまう先生に、気づかれてはいけない。気づかれたら俺はきっと恥ずかしさで死ぬ。
「空気を動かすな!寒いじゃないか!」
丸まったままの先生から文句がくる。空気を揺らさず布団を敷くってどうやるんだ。

窓の外はまだ雪。
敷き終えた布団に潜り込む先生を見て、また外に目を向けた。
冷えた空気が流れこんできて、正直寒い。
でも、もう少しだけ。もうちょっとだけ、見ていたい。
「先生、見てよ。庭や屋根が白くなったよ」
声はかけるけど、返事は期待してない。先生は布団の真ん中あたりに潜ったきりで、顔を出そうともしないんだから。
「木に雪の花が咲いたみたいになってるよ、先生」
きれいだよ、見てみなよ。反応がないことを知っていて、それでも言う。

雪の降る夜、誰かと一緒にいる。
話しかける相手がいる。
一人じゃ、ないんだ。

「……わ」
風向きが変わったのか、雪が部屋の中にぱらぱら降り込んできた。
さすがに、閉めなきゃまずいかな。畳が濡れてしまう。
そう思ったとき、

「ほんとに、世話の焼ける奴だなおまえは」
背中に温かい気配を感じたと思ったら、窓がぱたんと閉められた。
「……先生」
「風邪をひくと何度言えばわかる。それとも寝込んで、私にお粥を食わせてほしいのか?」
「……………お粥?」
背中から抱きこんでくる白い獣の妖に、怪訝な顔を向ける。
「はい、あーん。って、やってほしいならそう言え。いくらでもしてやるから」
にや、と笑う先生に、顔が真っ赤になるのがわかる。
「そんなわけないだろ!子供扱いすんな!」
くすくす笑って、尻尾で俺を包んだ先生がそのまま布団に戻る。俺をそこに突っ込んでから、先生も猫の姿に戻って入ってきた。
「くだらんことを考えてる暇があったら、さっさと寝ろ。明日も学校なんだろう」
「………うん」

先生の丸くて温かい体を抱いて、枕に頭を載せる。じわじわと暖かくなる布団に、ほっとするような安心するような、感覚。

「先生、明日は雪で遊ぼうな」
「おまえ、子供扱いするなとさっき言わなかったか。それはまるきり子供のセリフだぞ」
「いいじゃん。雪が積もるなんて滅多にないんだし」
「そういう日は、猫はこたつで丸くなるものなんだ」
「猫じゃないって、いつも自分が言ってるくせに」
「猫らしくしろといつも言うのはおまえだろう」

ただ話しかけているだけで、それでもとても嬉しかったけど。

こうして、返事がちゃんと返ってくるのは、何倍も嬉しい。



とんとん。
「貴志くん、もう寝ちゃった?」
遠慮がちな塔子さんの声に、慌てて体を起こす。
「はい!いえ、まだ寝てません」
そっと開いた障子から、寝間着に半纏を着た塔子さんが覗いた。
「ごめんなさいね、雪が降ってることに気がつかなくて。寒いでしょう?」
これ、と差し出されたのは、湯タンポ。
「わぁ、ありがとうございます!」

嬉しい。
ほかほかの湯タンポもだけど、こうして気遣ってもらえることが。

すごく嬉しくて、泣きたくなる。

「あったかくして寝るのよ?」
「はい。塔子さんも」
「ふふ、ありがと。大丈夫よ、滋さんにくっついて寝るから」
ちょっとどきんとするセリフに、狼狽えたのは一瞬。
「………誰かと一緒に寝るの、暖かいですよね」
思わず浮かんだ笑みは、布団からこっちを見ている先生のせい。
塔子さんは微笑んで、俺と先生を見てからおやすみなさいと言って障子を閉めた。

「おお、湯タンポ!塔子の奴、気がきくな!」
はしゃいだ先生が、布団の足元に入れた湯タンポにくっついた。
「先生、爪たてたら切っちゃうからな」
言うと慌てて手を引っ込める先生。けれど湯タンポから離れることなく、お腹をくっつけてじっとしている。

そっちで寝ちゃうのかな。

ちょっと寂しいけど、仕方ない。俺より湯タンポのほうが暖かいのは当然だし。
って俺、湯タンポにヤキモチやいてどうすんだ。

はぁ、とため息をついて布団に潜ったら、足元にいた先生がもぞもぞと這い上がってきた。そのまま、俺の体にくっついてくる。
「先生、ものすごくあったかい」
「今蓄熱したからな」
「え。湯タンポにくっついてたの、そのため?」
てっきりそのまま寝るんだと思った、と言えば、鼻先にたしたしと肉球が当たる。
「足元なんかに寝ておまえに蹴り殺されたらたまらんだろうが。それに、暖かくない」
「……湯タンポ、あったかいよ?」
「……………おまえのほうが、暖かい」
「……………………」

口がきけなくなった俺を置き去りに、先生は早くも寝息をたて始めた。

ぷーぷーと規則正しくも奇妙で間抜けな寝息を聞きながら、俺も目を閉じる。




外は、降りしきる雪。

野にいる妖たちも、家で眠る人たちも。

みんなみんな、

暖かいといいな。




END,

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