駄文帳

□忘れないよ
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「む。その本……」
「知ってるのか?」
ダルマは少しの間考えていたけど、すぐに諦めた。
「ダメだ、全然思い出せん。それはおまえのものなのか?」
「わかんないけど、多分……」
これを置いて行くわけにはいかない。どうしても、そんな気がする。
俺は本を握りしめ、割れたガラスが散らばる窓のほうを見た。朽ちた木枠はぼろぼろで、押せばすぐにでも外れそうな雰囲気だけど。
「よし、あそこから出るぞ!」
ダルマが走って、窓に向かって跳ぶ。
がん、と固そうな音。
窓枠に頭突きをかましたダルマは、下に落ちて踞った。
「大丈夫か!?」
慌てて駆け寄ると、ゆっくり起き上がるダルマ。額にたんこぶがついている。
「くそ、やっぱり結界があったか……」
「ぷ」
「笑うな!」
涙目のダルマが怒鳴る。笑いながら謝って、ふと足を見る。
「……あ、」
ダルマの足に、傷が。
「ん?ああ、落ちたときガラスで切ったんだろう。気をつけろよ、そこら中にガラスが落ちてるからな」
赤い血を舐め取ったダルマが俺を見て、そう注意する。
「ダメだよ、消毒しなきゃ……」
なんで、自分が怪我をしたのに俺の心配なんかするんだ。
「こんなとこに置いてある薬なんぞ使えるか。なにが入っているかわかったもんじゃない」
額のこぶを触り、顔をしかめるダルマ。
「そういやおまえ、まさかここのものを食ったりしてないだろうな?」
「………え。いや、多分食べてない……」
なにかを口にした記憶は、そういえばなかった。
そうだ。暮らしているなら食事だってするはず。なのに、さっきの夕食も的場さんたちの分だけ出して自分は食べなかった。それで言えば的場さんから饅頭を勧められたときも。俺は確か饅頭は好きだったような気がするのに、躊躇った。口に入れちゃいけないような、そんな気がして。
「それならいい。水一滴でも口にしたら、おまえはもうここから出られないからな」
頷いたダルマが、立ち上がって廊下へと歩く。
「来い、ガキ。結界が薄くなってるとこを探すぞ」
「あ、うん」
先を歩くダルマの足から、また血が流れ始めていた。結構深い傷のようだ。
俺はダルマに追いついて、その真ん丸な体を抱き上げた。
「うわ、重……」
ずっしりくるダルマを腕に抱え、しっかり抱きこむ。驚いて身を固くしたダルマも、すぐに落ち着いて俺の肩に頭を乗せた。
「怪我なら、別に大丈夫だぞ?」
耳元で聞こえる声に、なぜか懐かしさを感じてしまう。
「まだ、ガラスが落ちてるかもしれないから」
返事をして、丸い背中を撫でる。つるっとしてるくせにふかふかのもふもふで、妙に気持ちいい。

そのまま、屋敷の中を歩き回った。広い屋敷はどこもぼろぼろで、月明かりしか照明がないからひたすら暗い。廃屋探検でもしてるみたいだ、と思った。

「………ここ、かな」
「そうだな」
ようやく立ち止まったのは、玄関。
「ここだけ、結界が薄い」
ダルマが目を細めた。
「おまえを見張る妖が出入りしやすくするためだろう。外にいるぞ」
「………うん」
なぜわかるのか、なんてわからない。けれど、わかるんだ。玄関の引き戸には細工はされてない。引けば簡単に開くはず。引き戸についた磨りガラスに、影が揺らめいて映っていた。
「………おまえ、大丈夫なのか」
腕の中のダルマを見る。たんこぶは治まったようだけど、足からはまだ血が出ていた。
「私のことより、自分の心配をしろ」
ふんぞり返って言うダルマ。
「月が西に傾いている。あまり時間はない、強行突破だ」
「だけど、」
影が襲ってきたら、どう戦えばいい?武器はなんにも持ってない。
「いいから、そこを開けろ。外へ出ればなんとかなる」
緊張感を根こそぎ削ぎとるような顔をしているくせに、ダルマは自信満々だ。

仕方がない。どっちにしろ、出口はここしかないんだ。

覚悟を決めてダルマをぎゅっと抱きしめ、俺は引き戸を思い切り引き開けた。

風がざぁっと鳴り、影がゆらりとこちらを向く。庭は草や木が伸び放題の荒れ地で、門や塀も崩れて苔まみれになっていた。池もない。泳いでいた鯉はどこへ行ったんだろう。
「避けろ!」
ダルマの声にはっとして横へ跳ぶ。俺がいた場所に鎌を振り下ろした影が、またゆっくりとこちらに向き直った。
「ぼーっとするな!走れ!」
言われるままに門を目指す。その向こうは、なにもない。ただの、暗闇。
けれどそこへ走ることに、なんの疑問も浮かばなかった。ダルマが言うんだから、大丈夫。ダルマが教えてくれることに、間違いなんかないんだ。

だって、ダルマは俺の、

「…………先生」

いきなり。本当に突然、頭の霧が一気に晴れた。

「ニャンコ先生!」

「夏目、跳べ!」

崩れた門扉。その向こうの漆黒の闇に向かって、思い切り地を蹴る。

足が地から離れた瞬間、腕に抱いていた先生が消えた。

それから、閃光。




◆◆◆◆



ことの起こりは、数日前。
俺が帰らないことで大騒ぎとなり、警察や消防が総出で山狩りとかしたらしい。
それでも見つからない俺を、ニャンコ先生たちもあちこち駆け回って探してくれたそうで。
そのとき、小さな妖が言ったんだって。
『怪しい人間たちと、どこかへ行くのを見た。確か祓い屋とかいう連中だったような』
特徴を聞けば、それはまさしく的場さんのことで。先生たちは的場さんの屋敷に乗り込んで、暴れまくったらしい。
『私は知りませんよ。あちらには当分行ってませんし』
先生の手勢が半分に減り、屋敷が半壊した頃になって、ようやく的場さんと話をすることができた。
『……私が夏目くんを連れ去るのを、見た者がいる。………変ですね』
首を捻る的場さんに、先生は今にも噛みつかんばかりの興奮状態で話にならなくて。
『見た者の話じゃ、あんただけじゃなかったってさ。メガネかけた女がいた、って。あんたのことだろ?』
代わりにヒノエが、七瀬さんを煙管で指した。
『私がかい?』
驚いた七瀬さんが、的場さんと顔を見合わせる。
『ここんとこ忙しくて、夏目の坊やのことは正直忘れてたよ。的場と一緒にそっちへ行ったのはずいぶん前だし、それからあとは一度も』
首を振る二人に、思案するヒノエたちとじたばた暴れる先生。
『そんなことはどうでもいい!夏目はどこだ!夏目を返せ!』
火を吹きそうな勢いで吼える先生に、的場さんが頷いた。
『とにかく、行ってみましょう。夏目くんも心配だし、濡れ衣を着たままなのも我慢できません』
『……どうせ屋敷も、建て直さなきゃ寝る場所もないしね』
肩を竦めた七瀬さんが部下に指示を出し、車を出させた。

そうして、妖たちと山の中に来た的場さんたちは、捜索隊では入れない妖の山を探し回り、聞きつけた噂から、俺がよそから来た大妖に連れ去られたことを知って。

『満月の力を借りて、結界を破ります。そこから入って夏目くんを助け出すのですが』
的場さんの表情は、とても暗かったそうだ。
『この妖は記憶を吸い取るらしい。夏目くんは、もうなにも覚えていないかもしれません』
『え……じゃあ、助け出してもなんにもわからなくなってるかもしれないのかい?』
『いや』
青くなるヒノエに、七瀬さんが首を振る。
『まだそんなに日が経ってない。今なら、結界から出れば記憶が戻るかもしれないよ』
『記憶があるだのないだの、うるさいぞ』
先生は元の姿のままで、イライラと歩き回っていた。
『夏目が生きているなら、そんなのはどうだっていい』
だから早く結界を破れ、と急かす先生に、的場さんが矢を揃えて弓の点検を始める。
『今夜です。満月の光は妖の力を弱める。そこを突きます』
それを見て、封印の壺を出して札を確認する七瀬さん。
『私の姿に化けてひとさらいとは、舐めてくれる。もし人間の目撃者でもいたら、誘拐犯にされるところだよ。ったく、封じるくらいじゃ気が納まらないね』
『だったら、封じるなどと面倒なことをせずとも』
ミスズはじっと座っていたけど、やっぱり先生と同じくらいイライラした様子だったらしい。
『喰ってしまえばよいことだ。我が主を誘拐など、とても生かしてはおけん』
『なに言ってんだい。これは祓い屋に売られた喧嘩だよ。私らの流儀でやらせてもらう』
『主がさらわれたのだから、私たちの喧嘩だ。おまえたちには関係ない』
『家をぶっ壊しといて関係ないとはよく言った。なんならまず、あんたらを封印してやってもいいんだよ?』
『ふん』
ミスズが鼻で笑い、ヒノエもにやりとした。
『私たちが封印されたら、夏目が助けにきてくれるさ。だから大丈夫』
『…………………』
七瀬さんはしばらく黙って妖たちを見て、それからため息をついた。
『あの坊や、妖にはずいぶんと信頼されてるんだねぇ』
『我が主だからな、当然だ』
得意げに頷くミスズの尻尾を、先生が思い切り踏んだ。
『痛!なにをする斑!』
『あ?ああ、踏んでたか?気づかなかったな』
『貴様、ぬけぬけと!踏んだ上にぐりぐりしておいて、とぼけるな!』
先生はミスズが俺を自分のものみたいに言うのが気にいらなかったんだよ、ってヒノエが言ったから、ちょっと恥ずかしかった。

そして夜。
山奥の谷底、そのさらに奥に広がる結界の闇に向かって、的場さんが矢を放った。
けれど破れることはなく、できた隙間から影のような妖が溢れるみたいに出てきてしまい。
『くそ、あんな隙間では入れん』
悔しげに言うミスズの横から、先生が飛び出した。
『斑、気をつけろ!中へ入ったらあの妖の領域だ!おまえも記憶を吸われてしまうぞ!』
『大丈夫だ』
先生はぼんと変化して猫になり、隙間へと跳んだ。
『なにを忘れても、夏目のことは忘れない。絶対に連れて帰るから、宴の支度でもして待ってろ』
自信に溢れた先生の言葉に、的場さんも七瀬さんも苦笑してたそうで。






◆◆◆◆



「というわけでね」
目を開けると白い獣の姿の先生がいて、俺はそれを枕にして寝かされていた。側でヒノエが、なにがあったか教えてくれている。
「今、祓い屋たちとミスズたちが妖退治してるよ」
少し離れたところから、色んな音や声がしている。ミスズが暴れているらしく、地響きが背中に伝わってきた。
「あんたはもういいのかい、斑。犯人見つけたら絶対喰ってやるとか言ってたじゃないか」
ヒノエが見上げると、先生は俺をちらりと見てからふんとそっぽを向いた。
「………また、誰かにさらわれたら大変だからな」
こいつはぼんやりだから、と悪態をつくけど、尻尾は正直だ。俺の体を包んで、自分へと強く引き寄せてくる。
「…………ありがとう、先生」
ふさふさの尻尾を撫でて、それから手を伸ばして耳のあたりを撫でた。先生はなんにも言わず、頭を俺にすり寄せてくる。
「見せつけてくれるねぇ」
呆れたヒノエがため息をついたとき、大きな大きな音が山々に響いてこだました。なにか爆発でもしたような、すごい音。それを最後に、周囲が静かになった。
「……終わったようだね」
眉を寄せて、ヒノエが呟く。
「なんだかんだ言っても、やっぱり妖が封印されるのを見るのは嫌だね。ぞっとするよ」
「…………そうだね」
わかっていて、それでも俺を助けるために的場さんに協力してくれた。
なんて言えばいいんだろう。お礼を言ったくらいじゃ、とても足りない。
「夏目くん!大丈夫ですか?」
的場さんと七瀬さんが、こちらへ歩いてくる。妖が化けていた二人とは、やっぱり違う。この二人には不気味さも怖さも感じない。
「まったく、この坊やときたら。知らない人にはついて行っちゃいけないって、教わらなかったかい?」
側にしゃがんで、七瀬さんが俺の頭を撫でた。それを遮って、先生が自分の顎を俺の頭に乗せる。重い。
「触るな、って?独占欲の強い妖だねぇ」
呆れた七瀬さんの口調が、さっきのヒノエと似ていて。

つい笑って、そうして安心した。

戻って来れた。

ここが、俺の本当の世界なんだ。



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