駄文帳

□猫に嫁入り
1ページ/3ページ




月がきれいな夜。
なかなか帰らない先生を、原っぱまで探しに来た。
普段なら帰るまでほっとくんだけど、今夜は塔子さんが先生の好物をたくさん作ったから。
食べさせてあげたいの、と言われてしまっては、探しに出るしかない。

「どうせここで飲んだくれてるに決まってんだ」
ぶつぶつ言いながら、草を踏み分けて奥へ進む。妖怪たちが宴会をする原っぱは山の奥の森の中で、そこに通じる道なんて当然ながら無い。木を避けて茂みを越えて、苦労して歩いていると不満が募ってくる。
「……まったく、あの中年ニャンコ。たまには家でおとなしくしてればいいのに」
けれど家にいさせたら、妖怪が集まってきてしまう。そうして俺の部屋が宴会場に変わり、俺は朝までうるさくて眠れないという悲しいことになってしまうから、行くなとは言えない。
「…………たまには、俺と一緒に…………」
言いかけて、はっとして黙る。なにを言おうとしてたんだ、俺。一緒に、なんなんだ。
誰もいないとわかってても、手を頬に当てて隠す努力をしてしまう。熱くなった顔を俯けて、先生のせいだ、と逆恨み。見つけたらゲンコツ10発だ。

やがて森の奥に、ぼんやり明かりが見えてきた。
少しずつ近くなる、ヒトには聞こえないはずの声。
「ちっくしょう、負けたー!」
先生の声がして、それからばたんとなにかが倒れるような音。木陰から覗くと、白い獣の妖が酒瓶と丼を放り出して地面に転がっていた。
「斑、約束は覚えているな?負けたら、」
「あー、くそ。ミスズ、貴様インチキしたんじゃないのか」
「私がそんなことするわけがないだろう。素直に負けを認めろ」
丼を片手に、ミスズが澄まして先生を諭す。先生の顔はもう真っ赤で、呂律が怪しい。かなり酔ってるみたいだ。まわりにいた妖怪たちが、ミスズ様の勝ちだと囃し立てている。
飲み比べか。
俺は納得して、先生を連れ帰るべく足を踏み出した。こんな酒臭い猫なんて連れて帰りたくないけど、塔子さんが待ってる。急がなくちゃ。
声をかけようとしたとき、ヒノエがミスズの向こうから出てきて先生の手をぽんと叩いた。
「ほらほら、負けたら告白するって約束だよ?」
……告白?
「うるさいな、わかってるって」
先生はヒノエの手を払い、起き上がった。座ってるだけなのに体がゆらゆらしている。
「そんなんで、ちゃんと言えるのかい?」
「あったり前だ!私を誰だと思ってる!」
言葉だけは威勢よく、先生が立ち上がる。ふらついてまた倒れそうになって、下敷きになる位置にいる妖怪たちが慌てて移動した。
「負けたら言う、と言ったのはおまえだぞ?きっちりやってきて貰わんとな」
くすくす笑うミスズも顔が赤い。
「ふん、言われなくてもわかっとる」
ふいと顔を背けた先生が、夜空へと地を蹴った。面白がって騒ぐ妖怪たちをちらりと見下ろし、そのままどこかへ飛んで行く。
それを見送って、みんなはまた座り直した。宴会の続きをするようだ。ミスズは限界だと言って丼を置き、そのままそこに寝転がる。
「なんだい、あんたもギリギリか。情けないねぇ」
ヒノエは肩を竦めて、自分の盃に手酌で酒を注いだ。

先生がいなくなったんなら、もうそこに用はない。俺は来た道を引き返した。

「………告白、かぁ」
人間がやるのを誰かが見ていたんだろうか。妖はよくヒトの真似をしたがるから。
けれど、先生が告白って。
あてがあるから飛んで行ったんだろうけど、どこへ行って誰に言う気なんだろう。真っ直ぐ飛ぶことすらできなくて蛇行していた姿を思い出して、複雑な気分になる。
罰ゲームであるからには、本気じゃないんだろう。けど、戯れ言でもそんなことを言うような相手がいる、それだけで充分びっくりだ。
今まで会ったことのある妖たちを思い浮かべてみたけど、どれも違う気がする。ヒノエはよく一緒にいるし仲がいいみたいだけど、飛んでったってことはヒノエじゃないってことだし。

罰ゲームで、酔っぱらって告白、なんて。

なんだかイライラしてきて、そんな気分になる自分に戸惑って。

帰った頃には、結構な時間が経ってしまっていた。





「貴志くん!遅かったわね、心配したわ」
玄関を開けるなり、塔子さんが飛び出してきた。
「猫ちゃんさっき帰ってきたのよ。ごめんなさい、無駄足になっちゃって」
「いえ」
先生、もう帰ってたんだ。
台所に行くと、先生は何事もなかったみたいにごはんを食べていた。酒の匂いはするけど、そこまでひどくない。よく見ると毛がしっとり濡れていて、匂いを消すために水でも浴びたのかもしれないと思った。
「……探したんだぞ、バカニャンコ」
言って頭を指でつつくと、先生が顔をあげた。
「にゃーん」
甘えるような声。そしてまたごはんに戻る。エビやイカ、魚のフライに塔子さん特製のタルタルソース。先生の大好物だからって大盛りにしてある。あんだけ飲んでこれだと、いくら好きでもちょっと厳しいんじゃないか。
先生をじっと観察すると、時々苦しげに喉を詰まらせているのがわかった。それでも食べるのは、塔子さんがにこにこして自分を見ているからだ。猫のふりをするのも、結構大変なんだな、と思ったりする。
いつもならここで、先生食べ過ぎだから残りは明日にしような、なんて言って助け船を出すところ。けど、今日はそんな気になれない。ふらふらの体で飛んで行った先生は、どこで誰に告白してきたんだろう。



風呂から出て部屋に戻ると、先生はぐったりと布団に横たわっていた。
「夏目ー、はみ出る」
そんなこと言われても。
「はみ出せば?」
そうとしか答えられない。
「アホ!せっかくのご馳走なんだぞ、もったいないことを言うな!」
お腹をぱんぱんにして、それでも首を振る先生。
「私の胃液をなめるな!絶対朝までに消化してやる!」
「なんで朝?」
「それまでに消化せんと、朝飯が食えんじゃないか」
「………頑張ってね」
この状態でまだ食べることを考えるなんて、すごすぎて呆れるレベルだ。

苦しそうに唸る先生をしばらく見ていたけど、いつもと変わった様子はない。それとも、俺にわからないだけだろうか。

先生、ゲームの結果はどうなった?

誰に、なんて言ったの?

ゲームだから、遊び?

先生、遊びでそういうの、できる奴だったんだ?

もやもやする気持ちは、口からは出て来ない。代わりに乱暴に布団をめくると、上にいた先生が畳をころころ転がった。
「なにをする!中身が出てしまうじゃないか!」
転がって止まったままで先生が文句を言う。
「ここで出すなよ、寝られなくなる」
明かりを消して布団をかぶる。なんだか、これじゃ八つ当たりしてるみたいだ。
「………なんだ、機嫌が悪いな」
のそりと起きた先生が、布団に入ってくる。
「なにかあったか?」
「…………眠いだけだよ」
いつもみたいに抱き寄せることもできなくて、背中を向けたまま答えた。
「嘘言うな。怒ってるのか?ああ、もしかして私を探しに出たのに入れ違いになったから、それでか?」
「………別に、そんなことで怒ったりしないよ」
「じゃあなんだ。拗ねてる、とかか?」

拗ねてる。
確かにそうだけど、もうちょっとこう、なんか。

ああ、そうか。

俺、多分ヤキモチ焼いてるんだ。

先生が、誰かに告白とかしたから。

飲み比べに負けて罰ゲーム、ていうなら、もっと違う罰だっていくらでもあるのに。

なのに、告白とか。

そんなの最低だ。
けど、もっと最低なのは。

その相手が自分じゃないことに怒って拗ねてる、俺だ。

「夏目?こら、なにに拗ねてるんだ?」
「………………別に」
「私の皿のエビがおまえのより大きかったからか?それともイカの数が私のほうが多かったからか」
「なんでそんなのチェックしてんの。違うけど」
「気になったからだ。しかし、他になにが……」
「だから、別に。もう寝る。おやすみ、先生」
ぎゅっと目を閉じて、無理やり寝ようとする。なのに先生は、俺の背中をたしたし叩いたりもぞもぞ動いたり。なんだか、寝かせたくないみたいに。
「………なんか用事?」
仕方なくそっちを向くと、先生は丸くなったまま難しい顔をしている。
「あのな、夏目………」
「………なに?」
言いにくそうに口を何度も開けては閉じる。目線は常に泳ぎっぱなし。
「…………」

なんか、これってなんか。

まるで、告白でもするみたいな雰囲気。

いやいや。先生が飛んで行ったのはうちとは違う方向だった。期待するな、俺。ってなんでなにを期待するっていうんだ。大丈夫なのか俺。しっかりしろ俺。

なぜだかどきどきしてきて焦った。そんなんじゃないのに。先生が俺にそんなん、言うわけないじゃんか。
これはきっとアレだ。告白じゃなくて、ほら。

「………………吐く」

そう、そんな感じのアレだ。

って、ええええ!

「ま、待て!ここで吐くな!外で、」
言い終わらないうちに、先生が青い顔の口元を手で押さえた。うぷ、とか聞こえる。冗談じゃない。

俺は飛び起きて先生を抱え、窓から外へ放り投げた。

咄嗟の判断としては、上出来だったと思う。布団も畳も俺も汚れなかった。うん、こんなときにこんな判断ができるなんて、俺ってすごい。

外からなにか怒鳴る声が聞こえてきていたけど、そのまま窓を閉めた。先生は明日洗ってやることにしよう。



そのまま寝てしまったからか、嫌な夢を見た。
先生がどこかへ行ってしまう夢。誰かを背に乗せて、俺なんか目に入らない様子で空を飛ぶ先生は、酔っぱらってるみたいにふらふらと蛇行していて。

目が覚めたら、頬が濡れていた。





,
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ