駄文帳

□猫に嫁入り
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「………先生、おはよ」
ぼんやりする頭をなんとか切り替えて階下へ降りてみたら、先生が朝ごはんにがっついていた。
あ、そうだ。洗ってやらなきゃならないんだった。
そう思って先生をよく見たけど、どこも汚れた様子はない。顔を近づけてみても、特に臭いはしないようだ。
「やらんぞ」
小声で言った先生が、自分の皿を手で隠す仕草をする。
「いや、いらないから」
なんで朝っぱらから猫とごはんの奪い合いをしなきゃならないんだ。
「先生、もう大丈夫なのか?」
「昨夜ありったけ吐いたからな。貴様の冷酷な仕打ち、絶対に忘れんぞ」
根に持ってんのか。しつこい猫だな。
「持たいでか!気分が優れぬと訴えた私を、あろうことか窓から捨てるなどと!」
優れぬ、なんて優雅な感じじゃなかっただろ。今にも栓が開きそうな、振りまくったコーラ状態だったじゃんか。
なおもなにか文句を言いたそうな先生だったけど、塔子さんが入ってきたから黙った。
「おはよう、貴志くん。朝ごはんは?」
「おはようございます、いただきます」
笑顔を作って答えて、また先生を見る。ごはんの皿、味噌汁の皿、おかずの皿。三枚も並べてごはんを食べる猫って、どう考えても不自然なんだけど。塔子さんは気にならないんだろうか。



部屋に戻って、改めて先生を検分する。背中、腹、顎や手。なんにもついてない。
「ちゃんと川で水浴びしてきたから、きれいだぞ」
全身をもさもさ探られるのが気持ちいいのか、先生はされるがままになっている。
「洗う手間が省けたな」
ほっとして抱き直し、窓の外を見る。庭は大丈夫なのか。
「ったく、貴様のおかげでこの寒空に二度も水浴びするはめになったんだぞ。風邪でもひいたらどうしてくれる」
膝に丸まっていても、口調だけは偉そうな先生。ちょっとイラッとくる。
「なんだよ、二度って。そんなに吐いたの?」
「アホ、そんだけ吐いたらもう脱け殻になっとるわ。おまえが、酒の匂いをさせて帰るなと言ったんじゃないか」
「………ああ、だから……」
そういえば、昨夜毛が濡れていたっけ。あんなに酔っぱらっていたのに家では普通にしてたとこみると、水を浴びて頭もすっきりしたのかもしれない。
ていうか、先生が飛んでった方向って、川があるあたり……。
「………………あ」
「なんだ?」
思わず呟いてしまい、先生が顔をあげた。
「なんでも、」
首を振って誤魔化すと、怪訝な顔をされる。
「昨日からおかしいぞ、おまえ。そんなにフライの数が気になってるんなら、次は私のをひとつ分けてやるから有り難く思え」
「いらないってば」
なんで猫におかずを分けてもらわなきゃなんないんだよ。

そうじゃなくて。

あれから酒気が消えるまで水浴びしてから帰ったんなら、もしかしてまだ誰にも告白してないんじゃないか。外に放り投げてからだって、とてもじゃないがそんなことができそうな状態じゃなかったし。

先生はまだ、誰にもなんにも言ってないんじゃないか。

だったら、まだ俺と一緒にここにいてくれるんじゃ。

「……熱、計るか?」
とうとう先生がそんなこと言い出した。
先生のせいじゃないか、と言えたら楽なのに。
黙った俺を見て、先生も黙る。
なんともいえない沈黙が、部屋に訪れた。

「……………昨日、また飲み会だったの?」
なんて言えばいいかわからなくて、話題を探す。けれど口から出てきたのは、ずっと気になっていたことで。
「原っぱに探しに行ったけど、いないから帰ってきたら先に帰ってるし」
「……あー、うん。飲んでたんだが、塔子がご馳走を作ると言っていたのを思い出して」
目を逸らして答える先生。違うだろ?罰ゲームのために飲み会から抜けたんだろ?

まっすぐ帰ったのは、相手が留守だったのか。

それとも、言う必要のない相手だった、とか?

付き合ってるとか、そんな相手だから、告白なんか要らなかった?

さっきちょっとだけ浮かんだ気分が、また沈んでくる。そんな自分がわからなくて、それが嫌で、ため息をつきたくなった。
そのとき。
「………そういえば、夏目。ちょっと話があるんだが」
なにげないふりをして、先生がちらりと俺を見る。
どきん。
嫌な予感に、めまいがした。
「……………出かけてくる」
「は?おい、どこへ」
「先生は来なくていい。ご老体なんだから寝てれば?」
「なんだとこら!誰が年寄りだ!」
立ち上がった俺に落っことされた状態になって、先生が怒る。

けど、聞きたくない。
夢が本当になりそうで、聞きたくないんだ。

家から飛び出した俺は、適当な方向を適当に選んで走り出した。
夢が頭から離れない。あんなふうに、先生が誰かとどこかへ行ってしまったら。
そんなの嫌だ。先生は俺の先生なんだから、どこにも行っちゃダメなんだ。背中には、俺しか乗っちゃダメなんだ。

ようやく立ち止まって、そして気づく。

先生は大人なんだ。告白したら、そのまま結婚だってあり得る。

だから、嫌だったんだ。
ゲームでも、そんなことしてほしくなかった。

先生を、独占していたかった。

俺だけを見ていてほしかった、なんて。

どう考えたって、答えはひとつしかない。

俺は、先生が好きなんだ。


「どうしたんだい、ぼーっとして」
ぽんと肩を叩かれて、文字通り飛び上がった。振り向くと、ヒノエが目を丸くしている。
「そんな、おばけでも見たみたいな驚き方しなくてもいいだろうに」
いや、立派なおばけだと思うけど。
心の中でツッコんでいる間に、ヒノエがすぐ側に来た。俺の肩に手をかけて、くすりと笑う。
「なんだい、斑になにか言われたかい?」
「………………」
昨夜の原っぱを思い出した。ヒノエもそこにいて、先生をからかっていたはずだ。
「………あの、罰ゲームのこと?」
思いきって聞くと、ヒノエは不思議そうに首を傾げた。
「なんだい、罰ゲームって」
「昨日、飲み比べしてただろ?負けたら………言うこと、きくってやつ」
「ああ、あれ!へぇ、罰ゲームっていうのかい?」
……知らないでやってたのか。
「けどねぇ、ちょっと違うよ。負けたら言うことをきく、とかじゃなくてね」
ヒノエは煙を吐き出して、苦笑するみたいに笑った。
「あんまり斑がぐずぐずうだうだしてるから、はっきりさせろって言ったのさ」
「………はっきり?」
先生、なにか悩んでたのか?いつも何でももりもり食べてるから、わからなかった。
「好きなくせに、あーだこーだと理屈並べてため息ばっかりついてさ。斑らしくないったら」
くすくす笑うヒノエに、驚きすぎて返事をする余裕もない。
先生が、恋煩い?
らしくない以前に、想像できないんだけど。
でも、そうか。それなら、わかる。
「それで先生に、はっきり告白しろって言ったんだ?」
「そうそう。そしたらあいつ、往生際が悪くてねぇ。飲み比べして負けたら告白する、って言って」
そうだよな。先生が、そんなこと遊びでするわけなかったんだ。
「なぁんだ、あんた見てたのかい。だったら話は早い」
ヒノエがにやりとする。
「で?どうなったんだい?」
「え」
俺が、先生から話を聞いたと思ってるのか。
「いや、俺なんにも聞いてないよ?」
「え!なんにも!?」
「だって先生、昨夜はそれどころじゃなかったんだ。食べたり吐いたり、忙しくて」
「…………呆れたねぇ」
ため息をついたヒノエが、ちらりと後ろを見る。
「あんだけ大口叩いといて、結局それかい。たいしたことないね、斑の親分も」
「うるさいぞ」
聞き慣れた声にそっちを見ると、元の姿の先生が座っていた。
「余計なことをしゃべるな、ヒノエ」
「おや。あんたが用心棒の仕事をさぼってるようだから、代わりについててやったってのに」
ヒノエの言葉に、今さら周囲を見回した。そこは道から外れた森の奥。妖の領域だ。
「ごめん、ありがとうヒノエ。俺、こんなとこまで来てたって気づかなくて」
頭を下げる俺に、先生が嫌な顔をした。
「謝るなら私にじゃないのか、夏目。窓から投げ捨てられた次は膝から振り落とされたんだぞ」
「あっはっは!やるじゃないか夏目、ぐっじょぶだよ」
ヒノエが俺に向かって親指を立てる。
「しかし、罰ゲームねぇ。人間は面白いことを考えるもんだね。今度やってみようか」
本当に、知らなかったのか。
「王様ゲームなら知ってるけど、罰ゲームは知らなかったよ。負けたらなんでも、ねぇ。なにをやらせようかね」
罰ゲームは知らないのに、なんで王様ゲームは知ってるんだろう。しかもぐっじょぶて。どこで覚えたんだ、そんなの。
多くの気になる謎を残して、ヒノエはにこにこと手を振ってどこかへ行った。それを見送って、先生が改めて俺を見る。
「探したぞ、夏目。行こう、ここはヒトが長く居る場所じゃない」
「………うん」
姿勢を低くしてくれた先生の背中に乗って、白くて長い毛に掴まった。それを確かめてから、先生が空へと舞い上がる。

罰ゲームじゃなかった、とわかっても、心は晴れない。

夢の中でこの背に乗っていた誰かを思い出して、毛をぎゅっと握った。

他の誰にも、譲りたくないのに。

「………膝から落とした次は、ハゲでも作るつもりか」
握りしめすぎたらしい。
「きっと似合うよ」
そう言ったら、睨まれてしまった。





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