駄文帳

□きみが望むなら
1ページ/1ページ




散歩から帰って窓を開けようとした私に、室内から夏目の声が飛んだ。
「入らないでくれ!」
「…………は?」
窓には鍵がかかっていて、その向こうに夏目の背中がある。
「ふざけてないで開けろ。寒い」
だが夏目は振り向かない。
「入るなって言っただろ!」
「………………」
てっきりふざけているのかと思って、次にはなにかに怒っているのかと思って。
色々と声をかけてみたけれど、夏目の返事は変わらない。
「絶対入るな!」
理由もなくそれだけを繰り返す夏目に、私もムッときた。
「もうおまえなんか知らん!夏目のおたんちん!もやしヤロー!」
幼稚な捨て台詞を残してぷいっと横を向いたとき、ちらりと見えた。
はっとしたように振り向いた夏目の、泣きそうな顔が。

ムカムカしたまま屋根から飛び降りる。夏目があんな態度なら、もしかしたら塔子や滋も同じかもしれない。私を捨てて、よもや新しく猫を飼う気か。もしそうなら許せない。どんな猫が何匹来ようと片っ端から食ってやる。
とか沸騰した頭で考えながら台所に回ると、勝手口を開けた塔子が私を見た。
「あら、おかえりなさい。ごはんできてるわよ」
…………ん?
とりあえずにゃあと返事をしておいて、勝手口から中に入る。滋が飯を食っていて、テーブルの下には私の皿に飯が盛ってあった。
「ニャンゴロー、遅かったな。どこまで散歩に行ってたんだ?」
「ふふ、時々意外なくらい遠くで見かけたりするのよ。ニャン吉くんの縄張りって広いのねぇ」
笑顔で話しながら飯を食い始める二人。いつもと変わらない雰囲気に、首を傾げながらも私も飯を食うことにした。
「ニャンゴロー、ほら」
半分も食わないうちに、滋の手から私の皿にエビフライが追加される。
「にゃ?」
いつにない出来事に、顔をあげて滋を見る。
「いつも貴志からもらってるだろう。足らないかと思ってね」
「……………」
「大丈夫よ、今日はいつもよりたくさん入れたから。ね?ニャン吉くん」
「……………………」
確かに、今日の夕食のおかずは妙に量がある。
なんでか、って。
夏目が座るべき席に、食事がなにも出てないからだ。多分夏目の分のおかずが全部、私の皿に来ていると思う。
先に食い終わって、部屋へ上がったのかと思った。けれどこのおかずの量をみると、夏目は飯をまだ食ってないとしか思えない。
もそもそと続きを食いながら、台所の入り口をちらちらと窺う。だが、塔子が立ち上がって食器を片付け始めても、夏目は降りて来なかった。

その夜は、居間のこたつで丸くなった。
きっと夏目はどこかで飯をすませて帰ってきたんだろう。塔子はそれを知らなかったから、作りすぎてしまったんだ。
『入るな』
なにが気に入らないのか知らないが、突然締め出さなくてもいいじゃないか。あんなふうに、背中を向けたままで。言い訳もなにも、させてくれないまま。

なんで、泣きそうだったんだろう。




翌朝、塔子は滋の弁当だけを作った。朝食も、私と夫婦二人の三人分だけ。
夏目を起こさなくていいのか。もう登校する時間じゃないのか。けれど塔子は滋を送り出して、洗濯を始めた。

どうなってるんだ。
夏目はどうしたんだ。なんで部屋から出て来ないんだ。

最初のうちは、それでも意地を張っていた。散歩に行ったり、仲間と酒を飲みに行ったり。二階に近づくこともせず、帰ったらこたつに直行した。スイッチを切る頃に塔子が私のためにこたつの中に湯タンポを仕込んでくれていたので、暖かくて居心地がよくて、

…………夏目の布団は、もっと居心地がよかった。

二人でくっついて眠れば、それだけで暖かくて。

「ええいくそ。絶対、私から折れてなぞやるもんか。あいつから、帰ってきてくれと言って来ないうちは」

帰ってきて、と言ってほしい。
追い出すようなことをした理由を言ってほしい。

そうすれば、きっと私は許すだろう。どんな理不尽な理由でも、必要なら謝罪もする。夏目が言うならきっと。夏目と共にいられるなら、きっと。

だから、




一週間も経つ頃には、意地を張っていられなくなってきた。
なにしろ、あれから夏目を一度も見ていない。二階の窓はカーテンがかかったきりで、開く様子もなかった。階段の下でわざとらしく鳴いてみても、しんとした二階にはなんの気配もなく。

なんでなんだ。
学校に行くことは、夏目の日課だっただろう。飯だって、食わなきゃいられないはずだ。
なぜまったく姿を見せないのか。もしかして、私がいない隙に降りてきているのか?

そんなに、私が疎ましいのか?

ならば私は野に帰ろう。
夏目の望みが、私の望み。それが私と離れることなら、従うしかない。
帰って、そして時々里に降りてきて、遠くから夏目の姿を見ることができたら、それだけでいい。

だからその前に、理由を聞かせてくれ。




出掛けずにこたつに座って見ていると、塔子が時々二階にあがって行くのが見えた。食器を持ってあがって行って、しばらくしてまた降りてくる。ため息をつき、悲しそうな表情で食器に残った飯を見つめる塔子の様子に、ただならぬ気配を感じた。

そうして、夜。
眠ったふりをして窺っていると、塔子が二階から降りてきた。台所に座った滋がそれを見る。二人とも、顔色がよくない。
「貴志は、どうだ?」
「…………ダメ。熱が下がらなくて………」
首を振った塔子が、滋にしがみついた。
「あんなに高い熱を出して………どうしよう、貴志くんが死んじゃうわ」
そのまま泣き崩れる塔子を抱いて、滋がなにか慰めている。

が、そんなことは私の耳には届かなかった。

夏目が、死ぬ?

どういうことだ。病気、なのか。

呆然としたのも一瞬で、私はこたつから飛び出して階段を駆け上がった。

「夏目!」
障子を蹴破る勢いで部屋に飛び込んで、勢い余って元の姿になってしまった。窮屈な姿勢で、部屋の真ん中に敷かれた布団に近寄る。
「夏目、」
「……………………さ、む」
「夏目?」
夏目は布団の中で体を丸くして、震えていた。
「寒いのか?」
眠っているらしく、返事はない。うわごとのように繰り返す言葉は、
「寒…………せんせ、寒いよ…………」
「………………このバカ」
布団を退け、夏目の体を引き寄せる。寒がっているくせに、その体はひどく熱かった。
抱きしめて尻尾で包み、さらにその上から布団。しばらくすると、夏目は震えるのをやめた。
そして、ふと目を開ける。
「………先、生……」
入るなと言って鍵まで閉めたのは自分だろうに、夏目は手を伸ばして私の首にしがみついた。
「先生、ありがと………」
「……ありがと、じゃない。なぜ言わなかったんだ。言ってくれたら、薬草でもなんでも探してくるのに」
なんでもするのに。
なぜ、頼ってくれない。
なぜ閉め出して、遠ざけようとする。
そんな非難の意を込めて見つめると、夏目は困ったように瞳を揺らした。
「だって……うつったら、嫌だから………」
「アホ。妖にヒトの病がうつるわけなかろう」
「でも…………」
「いらぬ心配をしないで、寝てろ」
「どこにも、いかないよね?先生、ここにいるよね?」
熱に浮かされたのか、妙に素直に見つめてくる夏目に、心の奥が熱くなってくる。私にも、まだこんな感情が残っていたのか。
「どこにも行かん。おまえが居ろと言うなら、いつまでだって側にいる」
「よかった………俺、先生にひどいことしたから………」
嫌われたかも、て思ってた。
小さく呟いた夏目の体を、さらに強く抱き込んだ。

本当に、病がうつればいいのに。

それで夏目が元気になるなら、私は熱に焼かれて死んでも構わないのに。

「…………でも、先生。うつらないように、気をつけてくれよ?」
うとうとしながら、夏目が言う。
「うがいして、手を洗って。ほんとならマスクもしてほしいけど、先生に合うサイズはなさそうだから……」

いや待て。それはまるで風邪の予防のように聞こえるのだが。

「風邪じゃないよ。俺、インフルエンザなんだ…………」

インフル、エンザ。

新聞やテレビのニュースで流行ってるとか言ってた、あれか。

「…………塔子が、おまえが死ぬかもと言って泣いていたが」

「なかなか熱が下がらないからだと思うけど。俺、そんな簡単に死にそうに見えるのかな………」

「…………いや、あんまり」

夏目はそのまま眠ってしまった。




インフルエンザが妖にもうつる、と思ったから私を閉め出したのか。

ずっと学校を休んで二階にいたのも、それか。

なんだそうか、とほっとすると同時に、沸いてくる怒り。
なんで一言、そう言わない。なんで一人で耐えようとするんだ。寒ければ毛布をくれと言えばいいものを、遠慮して震えているとは。それでは、治るものも治らないじゃないか。

うわごとで私を呼ぶくらいなら、来てくれと言えばいい。閉め出したから、来るなと言ったから。そんな些細な理由で、なぜ諦めるんだ。私はおまえが呼べばいつでも、どんなにケンカをしていても飛んで来るのに。

悪い癖は、まだ治らないようだ。
周囲に迷惑をかけると、そればかり気にして。そんなこと、私もこの家の二人も全然気にしないのに。むしろ、もっと迷惑をかけてほしいと望んでいるくらいなのに。




起きたら文句を言ってやろう。

そう思いながら目を閉じたら、夏目が見ている夢が私にも流れ込んできて。

それが、私と一緒に野原を駆け回って笑っている夢だったものだから、言う気がすっかり失せてしまった。

翌日、熱が下がった夏目に塔子たちが大喜びしたのは言うまでもないが。

「………お花畑でうふふあははとか、どんな夢だよ俺………」

夏目は真っ赤な顔で布団に潜り込んだまま。

「大丈夫だ夏目。私もかなり恥ずかしかったぞ」

慰めるつもりで言った言葉は逆効果だったようで、夏目はしばらく布団から出て来れなかった。






END,

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ