駄文帳

□きみの笑顔が見たいから
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「先生?」
「……………」
「先生ってば」
「……………」
「………もー」
ため息をひとつついて、夏目が私から離れていく。
それでも、返事はしない。
なぜなら、私は今とても機嫌が悪いからだ。



いつものようにパトロール中、畦道にいた小物が声をかけてきた。
「すいません、あの。夏目様はどちらにいらっしゃいますか」
「ん?」
見たことのない妖だったので、首を傾げた。よそ者のようなのに、なぜ私が夏目と知り合いだとわかったんだろう。
「何者だ?夏目になんの用がある?」
「相談したいことがあって、山向こうから来たんです」
「ふん。夏目の噂はずいぶん遠くまで響いているとみえるな」
「はい!ヒトの子でありながら私たちの姿を見、声を聞き、必要ならば助けてくださるとか。大変な妖力をお持ちで、どんな大妖もあっという間に退治してしまう、と、そりゃもう大評判でございます!」
小さな妖は、身振り手振りを加えて一生懸命に訴えた。だから来たのだ、夏目様ならきっと力を貸してくれると信じて、等々を力一杯私に語る。
「…………ふむ」
こういうことに夏目が首を突っ込むと、必然的に私もそれへ突っ込んでいかなくてはならない。でかい妖でも絡んでいるなら面白そうではあるが、こいつのこの雰囲気ではそんな切迫した事態にも見えないし。
面倒だな。
そう考えて、妖に向かって首を振った。
「夏目は忙しい身だ。小さなことに関わっている暇はない。無駄足だったな」
「そんな!」
妖はぴょんぴょん跳び跳ねて、私の足にすがりついた。
「あなたは斑様ですよね!?斑様なら、夏目様に取り次いでいただけると聞いて探して来たのに!」
私の名を知っているとは、見所のある奴。だが、会わせたら絶対夏目は協力するとか言い出すに違いない。面倒臭いことはごめんだ。
「悪いな。夏目はおまえのような小物に付き合っている暇はないんだ」
「そんなぁ」
妖はしょんぼりと肩を落とした。
「斑様に言えば、夏目様に会えると聞いてきたのに……」
「さっきから気になっていたのだが」
そう、とても気になっていた。その、私が夏目の窓口係みたいな言い方。
「なぜ私に言えば夏目に会える、なんて思ったのだ?」
「だって、」
妖が私を袖で指す。
「斑様は、夏目様の一の子分とお聞きしたので」
…………はぁ?
「夏目様を守護する子分だと、皆が教えてくれました。夏目様に用があるときは、まず斑様に、って」
………なん、だと?
「誰が子分だー!」
「わぁ!」
妖が驚いてひっくり返ったが、構う余裕なんぞない。
「どこの誰だ、そんなでたらめを吹聴してるのは!」
「えっ……えーと、この先の原っぱで会った二人組の妖が、そう言って」
あとは聞かない。
私は原っぱに向かって駆け出した。このあたりでそんなことを言う二人組なんて、中級たちくらいしかいないだろう。喰えば夏目が怒るから喰えないが、思い切りきつい仕置きくらいはしなきゃ治まらない。

誰が子分だ。私は用心棒で、夏目を守ってやっているだけだ。それも、友人帳があるから仕方なくだ。
順調に薄くなっていってるあれがなくなれば、もう夏目なんぞに用はないんだ。美味そうな妖力を振り撒いている夏目を喰ってしまってもいいし、夏目のことなんか忘れてどんちゃん騒ぎでもして遊び暮らしてもいい。とにかく、それだけの付き合いなんだ。子分になんぞ、なった覚えはない。

覚えは、ないが。

足を止めて、考えた。
子分にはなってない。だが、どうなんだろう。友人帳の最後の一枚がなくなったとき、私は夏目の側から離れていくのだろうか。
離れることが、できるのだろうか。

側の茂みががさりと揺れて、そこから中級たちが顔を出した。
「わ!斑様………」
慌てて逃げ出す中級たちを追って、頭や尻尾に思い切り噛みつく。悲鳴をあげて逃げ惑う二人を追い回していたら、少しだけ気が晴れた。

けれど心には、重いなにかが乗ったまま。

帰ってみたら、夏目はいつものように部屋にいて、机に本やノートを広げていた。そういえばテストとやらが近いとか、言ってた気がする。
「おかえり、先生。待ってたんだぞ」
言いながら夏目が差し出してきたのは、肉まん。
「今日帰りに皆でコンビニ寄ってさ。先生のぶんも買ってきたんだ」
冷めちゃってるけど、温めて来ようか?と、笑顔で聞いてくる夏目。

なんか、イライラしてきた。

私が子分だなんて言われるのは、こいつがこんな態度だからだ。大妖である私に対して、怖れるどころか常にタメ口。ときにゲンコツまでくれる。こんなふうに餌など寄越して、私を懐柔しようとして。妖に笑顔を向けるなんて、変人を通り越して頭がおかしいのかと言ってやりたい。

「食べないのか?」
怪訝な顔になる夏目から、ふいと目を逸らした。そのまま座布団に座りこみ、だんまりを決め込む。
「先生?」
「………………」
「先生ってば」
「………………」



そうして、今に至るわけだ。

腹が立つんだから仕方ない。理解できないから、どうしようもない。

友人帳があるから、それをもらう約束をしたから、ここにいるだけなのに。
あれは昔の友人の形見で、その思い出は私にとってとても大事なもの。それを持つ友人の孫を、ほんの気まぐれから手助けしようと考えただけなのに。

なんでなんだ。
友人帳がなくなったら、ここを出る。こいつから離れる。
それが、なんでこんなに心に重く感じるんだ。

私に背を向けて、また机に向き直る夏目。
妖に対して背中を見せるなんて、どんだけ無防備なんだ。

どんだけ、私を信頼しているんだ。

いつ裏切るか知れない妖の言葉を、なんでそこまで信じることができるんだ。今すぐにでもその背中に喰らいついて、友人帳を奪って逃げてもおかしくない私を、なんで。

イライラして、寝ようとしても眠れない。

どうせ、夏目だってそのつもりなんだ。友人帳がある間は妖に狙われやすくて、こいつは有り余る力を使う術を知らない。だから私がいると便利だから、私と一緒にいるだけなんだ。
いずれ、友人帳から名がなくなったら。
さよなら、今までありがとう。
そんな言葉だけ残して、私を追い出すに決まってる。
そう、夏目はきっとそうする。妖と一緒に暮らすなんて、ヒトにできるわけがないんだから。

胸の奥がちりちりしてきて、どうしようもなくムカついた。

「………先生?」

顔をあげると、夏目は机に向かったままだった。言葉だけを私に向けて、シャーペンの動きはとまってしまっている。

「言いたくないことなら言わなくていいけどさ……」

「……………」

「話すだけでも、気持ちが軽くなることってあるから。…………だから」

私に、おまえに話せと?
自分でもよくわからないことを、話してどうなると言うんだ。

「……おまえには関係ないことだ」

そう言ったら、なぜだか胸がひどく痛んだ。

「……関係、ないかもしれないけど………」

一瞬怯んだように黙った夏目が、またしゃべりだす。

「俺には、関係ないかも……でも、元気のない先生を見るの、なんか……辛くて、」

なんだそれ。私に同情か?ずいぶんと舐めてくれるじゃないか、ヒトの子のくせに。

「………先生が、なんも言ってくれないのが、………辛く、て…………」

夏目の肩が震えていることに気づいて、驚いた。

机の上に飛び乗って、見上げてみる。
急いで私から顔を背けた夏目の頬から、水滴がぽたりとノートに落ちた。

「………なぜ泣く?」

「泣いてない」

「泣いてるだろうが。ったく、私がどんな様子だろうが、おまえが気にすることではないだろうに」

夏目が気にすることじゃない。

それで言えば私も、夏目が泣いてようが気にする必要なんぞないんだ。
わざわざ机の上まで、様子を見にくる必要なんて、どこにも。

泣き止ませたくて言葉を探す必要なんて、どこにも。

「……夏、」

「俺、」

声をかけようとした私を遮って、夏目が私を見た。薄い色をした瞳から、涙がぼろぼろ落ちてくる。

「俺は、先生が好きだから!だから……何でそんなに機嫌悪いのか知らないけど、………なんにも、言ってくれないのが……」

「……………………」

「無、視………されるのが、……………嫌なんだ…………」

涙はたくさん流すくせに、声は出さない。

そうして私を見つめる夏目に、

「……………悪かった」

降参、するしかなかった。



夏目の膝に乗って、冷めきった肉まんをもぐもぐする。これはこれでなかなか旨い。
「……それで先生、結局何で機嫌悪かったの?」
「いや、もういい」
「なんでさ」
「もう治った」
「…………よくわからないけど、」
それなら、よかった。
そう言ってようやく笑顔になる夏目の頬を、ぺろりと舐める。まだ水気が残っていて、しょっぱかった。



私が好きだ、と言った。

話してくれないのが辛い、と言った。

私がなにも言わない、そのことだけで涙を流すこの愚かな子供に、また胸が痛む。




友人帳から最後の一枚が消えたとしても。

夏目は、さよならとは言わないだろう。
私も、どこにも行かないだろう。

ここで、このまま。

それも悪くはない、と思えるから。



やっとすっきりした私は、勉強を再開した夏目の手元を見た。シャーペンの先が、誘うように揺れている。
「あ!先生、邪魔するなよ!字が書けないじゃないか」
「そんなもん無駄だぞ。一夜漬けなんぞなんの役にもたたん。それより私を構え」
「もー、元気になったとたんにこれだから」
ぶつぶつ言いながら猫じゃらしを持ってきた夏目は、それを足の指に挟んだ。そんな適当な姿勢で私との遊びに挑もうとは、なんたる無礼。けれど猫の習性には逆らえず、それへじゃれてしまう私。くそ、情けない。

「夏目。さっきの言葉、一生忘れんぞ」
「さっき?」
「私を好きだと言ったろう」
夏目の顔が赤くなる。これは、そういう意味に取っていいということか。
「………………忘れてくれ」
「無理だな。ヒトの子から告白を受けるのは初めてなんだ、忘れようにも忘れられん」
「告白って…………」
一瞬さらに赤くなった夏目が、次にじろっと睨んでくる。
「妖には告白されたことがあるんだ?」
「ん?なんだ、ヤキモチか」
「別に!」
怒ったようにそっぽを向く夏目に、軽くなった心が今度は温かくなる。

「大丈夫だ。私も、今はおまえしか好きじゃない」

「今は、てなに」

「今は今だ。それと、きっとこれから先も」

おまえ以外を好きになることは、絶対にない。

ああ、だからか。
どんな扱いを受けても、どんなに面倒なことがあっても、おまえの側から離れようと思わないのは。

「好きだぞ、夏目」
「言うなってば。恥ずかしいから!」
すっかり赤く熟れてしまった頬を隠すように俯いた夏目に満足して、その隣に丸くなって。
「……………あ」
そのときになってようやく、あの小さい妖のことを思い出した。
「なに?」
「…………いや。なんでもない」
面倒だし、もう帰ったかもしれないし。
ほっとこう。
そう思ったのに、翌日にはその妖が訪ねてきて、結局面倒臭いことになったが。

それで気づいた。

子分だなんて噂されても夏目に従うのは、

「ありがとう、先生」

夏目の笑顔が見たいから、

とか思う私は、かなり重症なんだろう。


まぁ、今さらだが。





END,

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