駄文帳

□迷子の帰る場所は
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なんにもない、田舎。
田んぼと畑があって、川が流れていて、農家が点在していて。
そこから先は、山の中。妖たちが暮らす異界。そこにはたくさんの妖たちがいて、毎夜いろんな怪異が起こる。誰もいないのに木を切り倒す音がしたり、密やかな笑い声がしたり、落ち葉を踏む湿った足音がしたり。
そんな中でも、ヒトは生きようとする。荒れ地を耕し種をまき、小さな家を作って住もうとする。遠巻きにしていた妖たちも、次第にそこに暮らす人々に慣れていき、言葉を交わすことがなくても、目を合わせることすらなくても、愛着を持つようになる。小さな家を守り、畑を守り、ヒトを守って。
やがて時がたち、そこに誰も住まなくなっても、妖に触れて妖と化した小さな家は、ヒトと暮らしたことを忘れない。明かりを灯し、火をたいて、そこで暮らした人々。子供の騒ぐ声。母親がたしなめる声。父親の笑う声。祖母が歌う子守唄。
忘れない。
いくら時が経っても。
家へ繋がる道も木々に覆われて、もう誰もここには来ないのだとわかっていても。

忘れない。

大切にしてくれた、人を。妖を。









「わ、降りだした」
ぽつぽつ触れてくる水滴に顔をあげた。それはすぐに本降りとなり、傘を持たない俺は木陰に避難するしかない。
「折り畳みくらい持って出ればよかったなぁ」
肩にかけたカバンには、友人帳とハンカチと財布しか入ってない。恨めしげに空を見たけど、そんなんで雨がやむはずもなく。
「走るか?」
腕に抱いた先生が聞いてくる。そうだなぁ、としばし思案。最近ますます重くなった先生を抱いて、どれだけ走れるだろうか。でも自分で走らせたら泥まみれになって、嫌がる先生をとっ掴まえて風呂に突っ込むという面倒なイベントが待っている。
「………少し様子をみようか………」
ため息をついて先生を抱え直し、地面を打つ雨を眺めることにした。

レイコさんを探してる妖がいると聞いて、山奥まで入ってきた。すぐに見つかった妖はやっぱり友人帳に名があって、返したらお礼を言ってくれたけど。
『そうですか……もう一目、お会いしたかった』
悲しそうに目を伏せた妖は、どこかへと帰っていった。垣間見たレイコさんとの思い出は、優しくて楽しげで。
あんなふうに笑うこともできたんだなぁ、と変な感心しながら、歩いて帰る途中だった。

「………先生」
「なんだ?」
「レイコさんて、どんな人だった?」
「ん?だから何度も言っただろう。唯我独尊傍若無人が服着て歩いてるような女だったと」
「それなのに、先生レイコさんと一緒にいたんだ?」
「別に、いつもというわけじゃない。なにか頼みたいことがあるときしか来なかったしな」
けど、と先生は懐かしむような声で言った。
「あいつといると、楽しかったんだ」
だから、どんな無茶な頼みごとでも、断ることができなかった。
楽しかったから。
あいつと、一緒にいることが。
「…………そっか」
レイコさんを思い出しているのか、遠い目をする先生。それを見ていると、言い様のない気持ちになる。

どうしてなんだろう。

先生はここにいるのに、なんだかひどく遠く感じる。

俺を見ながら、俺じゃない誰かを見ているような。

俺は、誰かの代わり、なんだろうか。

「む?夏目、こんなとこに道があるぞ」
「え?」
雨宿りしていた木の向こうの茂みに、隙間があった。覗いて見たら、荒れた感じの道が奥へ続いている。
「あ、先生。あの奥のあれ、家じゃないかな?」
雨のカーテンの向こうに、わずかに家の輪郭が見えた。
「こんな山奥に、ヒトが住んでるとは思えんが」
「廃屋じゃないか?ここよりはマシだろうし、行ってみようか」
「そうだな……」
先生は周囲の気配を探っているようだったけど、まぁいいかと頷いた。
「なにもいないようだし、確かにここより雨はしのげそうだ」
俺はカバンと先生をしっかりと抱きしめて、雨の中を走り出した。



小さな家は古かったが、まだしっかりしていた。玄関の扉もまだある。今みたいなガラスなんかが入ってない、木の板みたいな扉。
「すいません、誰かいますか?」
一応声をかけてから、そっと開けてみた。中は暗くてしんとしていて、人の気配はない。
「いないのかな……」
入ったところは広い土間。かまどがあって、使いかけの薪が残っている。
脇の座敷を見たら、畳がもう波打っていた。家財道具はなにもなくて、不要だったらしいものが散乱している。昔のカレンダー、黒い電話機。欠けたお茶碗だとか、古い新聞とか。
「………やっぱり廃屋かな」
「そのようだな。気をつけろ、古い廃屋には妖が巣を作ってることが多い」
「うん」
とはいえ、妙な気配はしなかった。静かな家の中は、かえって落ち着くくらいだ。土間も座敷も埃まみれなので、新聞を拾って敷いた。
「うわ、びしょ濡れ……」
ハンカチなんかじゃ間に合いそうにない、と思って、拭くのは諦めた。隣で先生が勢いよく体を震わせる。
「やめろよ、散るじゃないか」
「今さらだろうが。それより、私はちょっと探検に行ってくる。ここを動くなよ」
「え………」
言うなり駆け出した先生が、座敷の奥へ消えた。そっちは廊下のようで、その奥にまだ部屋があるみたいだった。
「………動くな、と言われてもな」
いくら廃屋でも濡れた足で歩きまわるのは気が引けるし、靴で上がるなんて論外だ。仕方なく、俺は土間を見ることにした。
「かまどなんて、初めて見たな」
昔話の絵本や、テレビの時代物のドラマとかでは見たことがあるけど、本物は初めてだ。炊き口を見て薪を見て、ここに入れて火をつけるのか、と想像する。
ふと見ると、かまどの前にマッチの箱が落ちていた。中にはまだ半分くらいマッチが入っている。試しにと一本擦ると、しゅっという音とともにマッチの先から小さく火が吹き出した。
「おお、まだ使えるんだ」
嬉しくなった俺は、薪をかまどの下に突っ込んだ。マッチに火をつけてそれへ近づけるけど、燃えない。
「なんか、燃えやすいものは……」
敷いた新聞の余りを丸めて薪に載せ、改めて火を近づける。ぽ、と音がして、新聞紙が燃えた。見ていたらその火は薪に移っていき、やがてかまどの中いっぱいに火があがる。
「やったー!」
歓声をあげつつ薪を追加。濡れた体に、火の暖かさが染みるように伝わっていく。
先生、まだかな。先生も濡れてるんだから、乾かしたほうがいいんじゃないかな。
そう思って振り向いてみる。
入ったときのまま、家の中はしんと静かで、誰の気配もしない。
そんなに広い家じゃないのに、ずいぶん遅いな。

そのとき、気づいた。

誰の気配もしないのは、おかしくないか。
だって今、先生が奥へ入っていったのに。
足音も物音も、全然しない。

ここには、俺しかいない。

「先生!」
慌てて声をあげた。返事はどこからも聞こえてこない。
「先生、どこ行ったんだ?先生!」
遠慮なんかしてる場合じゃなくなって、俺は靴のまま座敷に上がった。置いたままにしていたカバンをとり、先生が入っていったほうへと走る。
短い廊下に、扉がふたつ。片方はトイレで、片方は三畳くらいの小さな部屋だった。
どっちにも、誰もいない。
小さな窓は締め切られていて、埃がたまっている。開けた様子はない。
「先生!」
もう一度呼んで、さっきの座敷に戻ったら。

かまどの前に、人影があった。

「…………!」
声が出そうになるのを抑え、立ち止まる。人影はゆらゆらと土間を歩き回っていた。
黙って見ている俺の横を、別の人影が通り過ぎる。はっとして振り向くと、座敷にはまだ他にも影がいた。

揺らめいてときに消えそうになりながら、影たちが動き回る。やがて、ひそひそと声が聞こえてきた。なにを言っているのかはわからない。
襲いかかってくる気配がないので、俺はそっと歩き出した。ゆっくりと土間に降り、影を避けながら入り口の扉に向かう。
そろそろと手を伸ばし、扉に手をかけ、それを開けようと引っ張った。

がたん、という大きな音。

いっせいにこちらを向く影。

まずい。
そう思って、扉をさらに強く引く。

がたがた、がたん。

ようやくで開いた扉から、外へと足を踏み出したら。

外は、きれいな夕焼け。
手入れされた畑には、野菜がたくさんできている。家のまわりは花が咲き、側の木には大きな実がいくつも生っていた。

「…………え、」

さっきは、こんなのなかった。畑も花もなかったし、木は枯れていたはず。だいたい、雨はどこいった。まだ夕焼けの時間にも早いはずなのに。

「あら、お客様!」
後ろからかかった声に、びくっとして振り向いた。
「どうしたの?こんな山奥に。道に迷ったの?」
優しげな女の人が、俺を見ていた。
「…………あ、ええと………はい、そうなんです………」
どうにか返事をして、中を見る。ただ広かった土間には水屋や調理台のようなテーブルが置かれ、かまどからは湯気が立っていた。なにか料理のような匂いもする。
「おかあさん!誰?その人」
座敷から飛び降りてきた子供が、女の人にしがみついて俺を見た。ぱっつんのおかっぱの女の子。
「お客様よ。道に迷ったんだって」
説明しながら、女の人が俺を手招きした。
「主人が帰ったら送らせるから、入って待っていなさい」
「いや、でも……」
「困ったときはお互い様でしょ?まぁまぁ、川にでもはまったの?びしょ濡れよ」
「お兄ちゃん、遊ぼ!」
女の子に手を引っ張られ、中に入った。質素だけどしっかりした感じの家具と、座敷には囲炉裏。さっきはなにもなかったのに。
「こんな山奥に暮らしてるものだから、一緒に遊ぶような子供がいなくて」
女の人がそう言う間にも、女の子はどんどん遊び道具を出してくる。おはじき、お手玉、すごろく。正直、どうやって遊べばいいのかわからないものばかりだ。
「お兄ちゃん、知らないの?お手玉はねぇ、こうやって」
ふたつのお手玉を器用にぽんぽんと投げては受け止めるのを見て、俺もやってみる。けれど、どうにもうまくできない。すぐに落としてしまう俺を見て、女の子が楽しそうに笑った。

暖かい、と思った。

藤原家の雰囲気に似ている。ここは、とても暖かい。

「これ、お兄ちゃんだよ」
似顔絵を描いてくれる女の子の手元を見る。どうしても生物に見えないんだけど、それ俺なのか。

その、俺の絵の側に、なんか変な丸いものが描いてあるのを見つけた。

「そっちのそれは、なに?」

「猫ちゃん」

「ね…………」

はっとして、周囲を見回した。女の人が土間で料理をしている他は、俺と女の子だけだ。

「猫は、………どこにいるの?」

女の子がくすくす笑う。

「遊んでって言ったのに、嫌だって言うから」

「さあ、片付けなさい。ごはんよ」
女の子を遮るように、女の人が鍋を持ってきた。囲炉裏の上に吊るされた鈎にそれをかけ、水屋に戻って食器を持ってくる。
「お客様も、どうぞ。なんにもないけど」
「い、いえ。俺はいいです」
それより、猫は。
猫は、どこへ?
「おばあちゃん呼んできてくれる?」
女の人の言葉に、女の子が頷いて奥へ駆けていく。小さな部屋は、おばあさんのための部屋だったのか。
「はい、どうぞ」
お椀に鍋の中身をよそって、女の人が俺の前に置いた。
煮物みたいだ。野菜と肉が入っていて、美味しそうな匂いがしてる。

肉、って。

こんな山奥で、どこから肉なんて持ってきたんだろう。

『遊んでって言ったのに、嫌だって言うから』

言うから、

……………いやでも、まさか。

「新鮮なお肉が手に入ったの。美味しいわよ?」

新鮮な。

…………………まさか、




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