駄文帳

□もう少し、このまま
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「夏目……今夜こそ、積年の思いを遂げさせてもらうぞ」

珍妙な構えをとった先生が、鋭い目付きで俺を見る。

「ふっ。散々返り討ちに合ってるってのに、懲りないな先生も」

かかってきなさい。そう言って、布団にあぐらをかいた俺がにやりと笑う。

「その余裕、今日こそ消し飛ばしてくれるわ!」

先生が、空手のような拳法のような構えから跳躍して俺に飛びかかる。その瞬間に大きな獣の姿になった先生の鋭い爪をかわし、立ち上がりざまに勢いをつけた拳を鼻先めがけて振り上げる。
俺の攻撃をひょいとかわした先生が、もらった!と叫んで俺の肩口あたりに向けて大きく口を開ける。
その牙が届く直前。ステップを踏んで後ろに数歩下がり、身を低く構えて拳を固めなおす。牙が空を斬り、悔しげな先生の咆哮とともに爪が俺に襲いかかる。
身をかわした俺は、目の前にある先生の鼻を見てふっと笑った。

「……終わりだ、先生」

渾身のストレートが、先生の鼻にめり込んだ。

「………………っ!!」

のたうち回る先生が、また猫の姿に戻る。それを確認してから、俺は布団に座った。

最近毎晩恒例の攻防戦。
今夜も、俺の勝利で幕を閉じた。

「むなしい戦いだった……」
「なにがむなしいだ!貴様、少しは手加減しろ!折れたかと思ったぞ!」
鼻を押さえてまだ悶絶している先生に、冷たい視線を送る。
「当たり前だろ。手加減してちゃ先生に勝てないもん」
「私は勝負をしてるつもりはないが」
「そうだっけ」
「おまえが素直にならないから、力ずくでやろうとしてるだけだ」
「最低だな先生」
「アホか!こっちは必死なんだぞ!いい加減素直になれ!」




この攻防戦が始まったきっかけは、まだ秋、満月がきれいな真夜中のことだった。
お月見をしよう、と塔子さんが作ってくれたお団子の皿を手に屋根の上に登って、先生と二人で夜空を見上げた。多少冷たい風が吹いていたけど、そこまで寒くはない季節。先生が獣の姿になって側にくっついていてくれたから、すごく暖かかった。
『先生、あーん』
あーんと口を開ける先生に、お団子をひとつ。
『美味しいね』
『そうだな』
穏やかで、静かな時間。
幸せだなぁ、なんて思ったとき、先生がもぞっと動いた。
『………夏目』
『なに?』
見上げたら、先生はとても真剣な瞳で俺を見つめていて。
『私の、嫁にならないか』
『……………………へ』
驚いた俺が変な声をあげても、先生は相変わらず真剣で。
『おまえが好きだ。嫁に来い』
『……………………ハイ』
他に、なんて答えればいいのかわからなかった。
嬉しくて嬉しくて。
涙でぼやけた月が、すごくきれいだと思った。





で、それから毎晩これだ。
要するに先生は、俺と愛を確かめ合いたいと言ってるわけだ。つまり、なんかえっちなことをしたいって。
でも、階下には滋さんも塔子さんもいる。先生のザル結界のおかげで、夜中に訪ねてくる妖も多い。
なので拒否。でも先生は納得してくれない。

そんなわけで、今日に至る。最近はだんだん最初の目的からずれてきていて、先生もなにがしたいのかわからなくなってきている気がする。



「くそぅ、今日も負けか…今に見てろよ」
捨て台詞を残して、先生が布団に潜る。
「先生、太りすぎて動きが鈍くなってるんじゃないか?」
俺も布団に入り、丸い体を引き寄せて抱きしめて、寝る体勢に入った。
「んなことないぞ。私はベスト体重だ」
「じゃあ、これはなに」
お腹の肉を鷲掴みすると、先生はふんと笑って、
「チャームポイントだ」
「贅肉がチャームポイントて聞いたことないんだけど」
「おまえが知らぬだけだ。猫は肉がついてたほうが可愛いんだ」
「限度があると思うよ」

やがて言葉が少なくなって、途切れがちになって。

「おやすみ、先生」

「ああ、おやすみ」

抱きしめた温もりに、安心しきって目を閉じる。

こうしていたら、怖い夢を見ないんだ。

先生がでてきて、明るい場所まで連れて行ってくれるから。

そうして俺が目覚めるまで、ずっと側にいてくれるから。

わざわざ愛を確かめ合わなくたって、俺はちゃんと知ってるよ。先生が、俺を愛してくれてること。

だから、もう少しこのままで。





「え。旅行ですか」
「そうなの。親戚に用事があるんだけど、そのついでに一泊。貴志くんも行くでしょう?」
「…………俺は………」
嬉しそうな塔子さんには悪いけど、適当な理由をつけて断った。親戚にはあまりいい思い出がないから、会いたくないんだ。
「残念だわ。また、近いうちにみんなで行きましょうね?猫ちゃんも一緒に」
何度も振り返りながら出かけて行った滋さんと塔子さんを見送って、ほっと息をつく。
行けばよかったのかな。
がっかりした顔の二人を思い出すと、わずかに後悔してしまう。
けれどやっぱり、行かずにすんでほっとした気持ちのほうが大きくて。
「先生、」
玄関に入り、そこに座った猫に笑顔を向ける。
「今夜は俺がごはん作るんだ。なに食べたい?魚?」
簡単なものにしてくれよ、と言いながら台所に向かう俺の背中に、先生がぼそっと言った。

「おまえが喰いたい」

慌てて振り向いた。
先生は玄関マットに座ったまま、俺を見てにやりとする。

「二人きりだな、夏目」

超しまった。

やっぱり、行けばよかった。






簡単なごはんをすませ、お風呂から出て。
廊下から階段へと歩いていたら、周囲の雰囲気が違っていることに気づいた。
外の音が、なにも聞こえない。田舎だから元々静かではあるけど、それでもたまに車の音や、風の音、ひそやかに通りすぎる妖の話し声なんかが聞こえていいはずなんだけど。
外は、無音。
ガラス戸から外を見ると、わずかに空間が歪んで見えた。
「先生!」
二階に声をかけると、階段の上から先生の声が降ってきた。
「なんだ」
「外がなんか変なんだけど、なにかした?」
「ああ、結界を張り直しただけだ」
言われて、ちょっとほっとした。妖の仕業じゃなくてよかった。
「それならそれで先に言ってくれよ、驚くじゃん」
髪を拭きながら階段を上がり、自室の障子を開けた。

「やっと出てきたか」

「…………………どちら様ですか?」

見知らぬ男が、俺の布団に座っていた。

「わからんか。ふっ、まぁそれも仕方がない。思った以上にイケメンになってしまったからな」

「…………………まさか、先生?」

「そうだ。ほら、こっち来い。髪を拭いてやろう」

手招きする見知らぬ男。

後退りする俺。

先生が、レイコさんでも俺でもない、知らない男に化けてるなんて。

まずい。
マジで本気だ、この猫。

「オリジナルで考えたんだ。やはりおまえも、獣や猫とするよりはヒトが相手のほうがいいだろうと思って」
「オリジナルって。つかなんでそんなことすんの。俺は別に、獣の先生も猫の先生も好きだけど」
布団に座って髪を拭いてもらいながら、改めて先生を眺めた。どこからどう見ても普通の人間みたいに見えて、なんだか違和感しかない。ていうか目付きが悪いのは先生的なこだわりがあるんだろうか。この姿も、やっぱり目付きが最凶だ。
「なんでって。おまえに合わせたと言っただろう。猫も獣も、サイズ的におまえと全然違うしな」
それに、と先生が手を伸ばして俺を抱き寄せる。
「ヒトの腕がないと、こんなこともできないじゃないか」
「…………………」
至近距離で見つめてくる顔は、やっぱり見たことのない知らない顔で。
「俺、無理。離せ」
いくら先生だと言われても、いきなり知らない男といちゃつくなんて無理だ。
「先生じゃなきゃ、嫌だ」
「猫でも獣でも抵抗するくせにか」
呆れた声で、先生がため息をつく。
「どうすればいいんだ。おまえの希望を聞くから、言ってみろ」
「……………俺は、」
声だけ聞けば、確かに先生だ。無理やりなにかしてくるかと身構えていたけど、こんな場面でも俺の希望を優先してくれる。優しい、いつもの先生だ。
ちらりと見上げると、目が合った。すかさずにこっと笑いかけてくる先生に、慌ててまた下を向く。
獣の姿も猫の姿も、表情がとてもわかりにくい。笑う、ならわかるけど、微笑むなんて。
先生がそんな表情もするなんて、知らなかった。
「結界は、自己最高レベルでしっかり固くした。妖など近寄ることもできないはずだ。これで、明日の朝まで本当に二人きりだな」
「………で、も」
どうしよう。拒否する声が弱くなってきてる。
「夏目。今夜こそ、おまえは私のものだ」
「…………………う」
よく見れば、獣の姿のとき顔に描かれている紋章のようなものが額にある。
嬉しそうに輝く瞳にも見覚えがある。猫の先生が、好物を前にしたとき見せる表情だ。

これ、本当に先生なんだ。

ゆっくり俺を布団に横たえる、その手が。

近づいてくる、唇が。

先生だと理解したら、もう抵抗なんかできなくて。



初めてのキスは、俺が作った野菜炒めの味がした。



どうしよう。

本当に、このまま?





「夏目様!」
がんがん窓を叩く音に、はっとして目を開けた。
「夏目様、どうしました!大丈夫ですか!?」
「夏目、なにかあったのかい!?返事をしておくれ!」
中級たちやヒノエの声だ。
俺のパジャマの裾から手を突っ込んで触りまくっていた先生が、うるさげに舌打ちして顔を上げた。
「………先生。結界、自己最高レベルじゃなかったっけ?」
「……………………」
ぼん、と煙が目の前を覆い、そこから現れたのは見慣れた猫。
「なんだ貴様ら!なんか用か!」
窓とカーテンを開けた先生に、そこにいた妖たちが安堵の顔になった。
「強い結界があるし、夏目の気配がわからなくなってるし。なにかあったのかと心配しちまったよ」
言いながら入ってきたヒノエが、まわりを見回した。
「おや。今夜はヒトの気配がないね。まさか斑、喰っちまったのかい?」
「そんなことするか、アホ!」
「今夜は、滋さんたちは二人で出かけてて」
機嫌の悪い先生のかわりに、俺が答える。
「明日の夜まで帰って来ないんだ」
「そうかい。そりゃ、ちょうどいい」
ヒノエが笑うと、中級たちも入ってきた。持参してきたらしい酒瓶をどんと置き、懐から欠けた湯飲みを出す。
「いい酒が手に入りましてな!ささ、斑様もどうぞ」
「……………………」
酒瓶と俺を交互に見て複雑な顔になる先生に、苦笑して立ち上がった。
「なにかつまみを持ってくるよ。おーい三篠、そこにいるんだろ。入って来いよ」
窓の外に声をかけると、でっかい妖がふわりと入ってくる。

今夜はどうやら、徹夜で宴会になりそうだ。

「くそ。あとちょっとだったのに」
「先生の結界が穴だらけなのが悪いんだろ。いつものことだけど」
残念がりつつ浴びるように飲む先生の隣に座って、楽しそうなみんなを見回して、ほっと息をついた。

できればまだ、このままがいい。

越えてしまったら、もう後戻りはできないから。

もう少しだけ、このまま。



だけど正直、次は逃げられる予感はしなくて。

熱のこもった先生の瞳を思い出して一人で赤くなったりする俺に、先生はいつまでも愚痴り続けていた。





END,

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