駄文帳

□早く気づけばいいのに
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みんなで釣りをしに、近くの渓流に来た。
田舎はこういうのが近いからいいなと思う。前に住んでいたところはそこそこ都会っぽくて、整備された河川敷は公園みたいになっていて釣りとか禁止されていた。渓流なんて、電車やバスで長時間揺られないと行けなかった。
自然がたくさんあるこの町に越してきて、ほっと息をついたものだ。なんだか、あるべき場所に戻ったような、そんな気持ちになって。

ただ、大自然に囲まれているぶん、そこに住む見えない住民も多い。それらに出会っても俺は少し体調を崩すくらいですむけれど、本当に見える奴は大変だろうなと思ったりする。

夏目みたいな奴は、特に。



「………釣れねぇ」
北本が竿をあげて呟いた。針についた餌が、そのまま残っている。
「釣りってのは、焦ったら負けなんだよ。海のような心で自然を楽しみながら、」
西村が偉そうに語る側で、夏目が笑った。
「ここ、魚あんまりいないんじゃないか?全然アタリが来ないけど」
「いーや!いる!俺には見える!お魚ちゃんが、俺に釣り上げられるのを待ってる姿が!」
むきになる西村にまた笑った夏目が、ふと水面を見た。透き通ったその瞳が、なにかを追うように動く。
川を見たけど、俺にはなにも見えなかった。ただ、不自然な波紋がいくつか広がっては消えるだけ。
もう一度夏目を見ると、口元を手で覆っている。肩がわずかに震えていて、目は変わらず水面だけを見つめていて。
やがて西村が、やったー!と叫んで竿を思い切り引いた。
「釣れたぞー……て、あれ?なんだこの長靴」
糸の先についていたのは、破れてぼろぼろの黒いゴム長靴だった。
「えー!なんだよこれ!こんなんあったかー?」
「あっはっは!」
ショックを受ける西村の横で、我慢できなくなったらしい夏目がとうとう声をあげて笑いだした。
「笑いすぎだ、夏目!くそ、もう一回!」
長靴を捨て、餌をつけ直す西村。夏目は水面から上流のほうへ目を移し、くすくす笑いながらなにかを呟いた。
波紋を残しながら、見えないものがどこかへ去っていく。
「夏目」
隣に座って、同じ方向を見ながら囁いた。
「なにかいたのか?」
「うん」
楽しそうに微笑んだまま、夏目は竿をあげて脇に置いた。
「このへんは、こないだの雨で増水したとき魚も下流に流れていっちゃったんだって。だから釣れないよって、河童が」
「もしかして長靴も、そいつが?」
「あはは」
夏目はちらりと長靴を見た。
「西村があんまり頑張ってるから、からかいたくなったみたいだよ。さっき河童がこっそり針につけてた」
まるで友達が他愛ないいたずらをするのを見たときみたいに、笑いながら言う夏目。つられて笑いながら、周囲の自然を見回した。
「このあたりには、河童がいるんだな」
「他にもいるよ、小さいのがたくさん。みんな、俺たちがここでなにをしてるのか気になるんだろ。物陰からこっち見てる」
「へぇ」
改めて見てみたけど、俺にはわからない。草の陰とか、木の向こうとか、なんとなく黒いもやのようなものが見える気がするけど。それも、気のせいと思えば思えなくもないレベルだ。俺にもはっきり見える妖といえば、夏目にいつもついているあの猫くらいなもので。
「ん?そういや先生は?」
そこで思い出した。いつも必ず夏目の側にいるはずのあの妖が、今日はずっといない。
「ああ、二日酔いで寝てたから置いてきた」
夏目はちょっと不機嫌な顔になった。
「昨夜徹夜で飲んでたんだって。まったく、あれで用心棒とかよく言うよって感じだよな?べろんべろんでさ、ろくに歩けないの。中年なんだから少しは考えて飲めばいいのに、」
すらすら出てくる愚痴に、つい黙ってしまう。夏目はそれにはお構い無しに、ひたすらぶつぶつ言い続けた。いつも飲み歩いて、しょっちゅう朝帰りして。吐くまで飲むとかどうなんだ、いつも介抱するのは自分なんだからちょっと自重してくれないと。
思わず笑ってしまう。
「おまえ、先生のことホントに好きだよな」
「はぁ!?どこがだよ!あんな酔いどれ中年にゃんこ、もう絶対介抱なんかしてやらないんだからな!」
キッと俺を睨んだ夏目に、また笑いが漏れる。なに言ってんだ、そんな目で。寂しそうに揺れた瞳が、ここにいない存在を探して一瞬空を見上げたことに気づかないと思ってるのか。
そんだけ愚痴るほど、気になってるくせに。
介抱してやらなかったことを、後悔しているくせに。
「だって夏目、おまえの愚痴って酒好きなダンナを持つ主婦のセリフみたいだったぞ」
「だ、ダンナって」
からかうために言ったのに、夏目がマジで真っ赤になったのを見て焦った。
「いやごめん、そんなマジにとらないでくれ」
そんなつもりじゃないんだ、と言えば、夏目はふと真顔になった。
「………いや。先生は、全然そんなんじゃないから」
「……だから、俺は別に」
「ホントに、そんなんじゃないんだ。………俺に世話焼かれるのだって、嫌なんじゃないかと思うし」
「………………」
「俺のこと、そんなふうに見ることなんて、絶対………」

夏目は、あの妖が好きなんだな。

本気で、恋愛感情で、好きなんだな。

目を伏せてしまった夏目の長い睫毛を見ながら、ため息をついた。
なにやってんだ、先生。夏目にこんな顔させて。
こんな、泣きそうな顔させて。

本当に、なにやってんだ。

「………夏目、そろそろ昼だぞ」
「え?………ああ、」
話題を変えようとした俺に、顔をあげた夏目が笑った。
「そうだな、支度しようか」
立ち上がり、荷物を置いたビニールシートへ歩き出す。今日の昼飯は持ち寄り制で、俺はお茶を大量に持ってきていた。握り飯は北本、おかずは夏目、おやつは西村。料理上手の塔子さんのお手製のおかずが楽しみだ。
「シート敷くか?」
「そのへんの石に座って食ってもいいんじゃないか?」
荷物を開けて相談してたら、釣竿を放り投げた北本も走ってきた。
「田沼、お茶くれー!」
「はいはい。なんだよ北本、諦めたか?」
「全っ然釣れねぇってか魚の影すら見えねぇもん、もうやめた!」
疲れたようにその場に座った北本に、夏目が笑う。
「こないだの雨のせいで、今魚いないんだってさ」
「だからかー!って夏目、それ誰かに聞いたのか?」
「あ、うん」
「さっき地元の人に聞いたんだよ」
言い澱む夏目にかぶせるように言うと、北本は納得したように頷いた。
「じゃ、昼からは場所変えて遊ぼうぜ。なにする?」
「そうだなぁ」
答えながら、夏目が俺を振り向いてちょっと片手をあげた。礼の代わりだろう。
「影踏み鬼とかどうだ?」
「いやそれはやめよう。危険だ」
北本の提案に、なぜか必死に首を振る夏目。なにかトラウマでもあるのか。

やがて西村も戻ってきて、みんなでシートを広げた上に昼飯を並べる。夏目が持ってきたおかずは期待に違わず美味しそうで、しかも重箱。四段重ね。歓声があがる中、夏目も照れ臭そうに笑った。
「よし、食うぞ!」
西村が早速箸をのばす。それを北本が横から止めた。
「待て、お茶配ってからだ」
「えー?あとでいいじゃん、そんなの」
「バカ、田沼がくそ重いのに頑張って持ってきたんだぞ?減らして軽くしてやんなきゃ、帰りが可哀想じゃないか」
そう言った北本も、なるほどと頷いた西村も、バカなんじゃないか。
お茶くらい、重いけど。でもみんなで飲むためなんだから、苦にならなかったのに。
こんな友達は、他のどこにもいなかった。
「田沼、こっちの紙コップ使っていいんだよな」
「あ、いいよ。どれでも……」
なんだか嬉しくて、でもそれを知られるのは恥ずかしくて、俺は目を逸らした。

逸らした先、川原の向こう。

藪の陰から、なんかこっち見てる。

白くてまん丸な大福みたいなのが、顔を半分だけ出して無表情でこっち見てる。

「うわぁ!!」
思わず悲鳴をあげてしまい、みんなが振り向く。
「うわぁ!饅頭のおばけ!」
「なんだあれ!」
北本たちにも見えているようで、口々に叫んで同じ方向を見ている。
夏目が、ため息をついた。

「…………先生………」

まん丸な大福が、繁みから出て走ってくる。

………先生、だったのか。

さすが妖だ。
今のは、かなり怖かった。

「な、なんだよ。夏目んちの猫か」
「びっくりしたぁ」
ほっとする北本と西村を無視した先生が、俺と夏目の前まで来た。しゃべるわけにいかないため、飯を寄越せと渾身のジェスチャーで訴えてくる。
「先生、二日酔いじゃなかったのか?」
夏目が囁くと、先生がふんと鼻を鳴らす。
「アホ、あれしきの酒でこの私が二日酔いになどなるわけなかろう」
「真っ青な顔してたくせに」
「うるさいぞ夏目。さっさと飯を寄越さんかい」
ひそひそ話す二人に、北本が怪訝な顔をした。
「夏目、猫にはなにを食わせたらいいんだ?」
「梅干し」
「は?」
眉を寄せて答えた夏目に、驚く北本とショックを受ける先生。
「いや、なんでも食うんじゃないかな。ほら、そこのエビフライとか」
慌てて俺が口を開く。ついでに好物を指してやると、先生の顔がぱっと明るくなった。
「いい奴だな田沼!それに比べて貴様という奴は。夏目の鬼!悪魔!」
夏目の膝をたしたし叩く先生。妖が鬼だの悪魔だの言っても、いまいち悪口に聞こえない気がする。
「しー。もう、先生しゃべりすぎだよ」
夏目は先生を抱きあげて、北本から受け取ったエビフライを口元に持っていった。
「ほら、」
「あーん」
ぱくん、もぐもぐ。
たちまち幸せそうな顔になる先生に、夏目の表情も優しくなる。

昼飯の間中、先生は夏目の膝にいた。
夏目は飯を食いながら、時々先生の背中を撫でたりして。

その顔は、さっきまでよりずっとずっと優しくて。

楽しそうに、たくさん笑っていて。

ああ、先生が来たのが本当に嬉しかったんだな、と思うと、なんだかちょっとだけおもしろくなくて、目を逸らしていたのに。

「あ、先生。それ俺の…」
夏目が声をあげたので、ついそっちを見たら、夏目が食いかけて手に持っていたおにぎりに先生が噛みついているところだった。
「もー、先生なんでいつも俺の食べかけ狙うんだよ」
「油断してるからじゃないかー?隙がありすぎなんだよ」
からかう西村に夏目が抗議してる間におにぎりを食い終わった先生が、夏目の手をぺろっと舐めた。
「ふふ、くすぐったい」
気づいた夏目が微笑んだ。それを見上げた先生が、目を細めてにゃんと鳴く。

幸せそうなその鳴き声に、先生がなぜここに来たか、理由がわかった気がした。

「片付けようぜ。あ、そっちゴミ飛んだ。拾ってくれー」
「さっきの長靴どうする?ゴミだし、持って帰るか?」
「まぁ、本日唯一の釣果だからな。記念に持ち帰るか」
わいわい片付けるみんなを眺めながら毛づくろいをしている先生に、そっと囁いてみた。
「先生、夏目を探しに来たのか?」
「ん?そんなはずないだろう、私は飯を食いに来たのだ」
「塔子さん、先生の飯用意してたんじゃないのか?」
「して、た、……が」
口ごもる先生が、俺を睨んだ。
「私はエビフライを追って来たんだ!別に、夏目のことなんか、」
「わかったわかった」
「わかってない!ていうか夏目が、私が寝てる隙に勝手に出かけるのが悪いんだ!起きたらいないから、…………」
「やっぱり探しに来たんじゃないか」
「うるさい!」

拗ねてしまった先生に笑って、片付けに戻った。



夏目が気づいてないだけなんだな。

先生は、夏目をこんなに想ってるんだ。二日酔いでふらふらでも、気配を辿って探し回るくらいに。

先生の気持ちが恋愛感情なのかどうかは、わからない。
けど、そうだといいなと思った。

夏目が笑ってくれたら。

夏目がたくさん幸せになってくれたら。

そしたら俺も、きっととても幸せな気持ちになるから。




END,

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