駄文帳

□酒は飲んでも呑まれるな
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今夜は、夏目は田沼の家に泊まりで遊びに行っている。柴田もいるらしく、かかってきた電話をとった塔子が、とてもにぎやかだったと笑っていた。
私はお決まりコースのパトロールを終え、帰ってきたところだった。夏目のところへ行く前に、塔子の飯を食って行かねばならない。ガキ共が作る飯は適当もいいところで、ここの飯とは天地の差があるからだ。
「貴志くんがいないと、寂しいわね」
「そうだな」
塔子と滋が話すのを聞き流しながら飯をがつがつ食う。うむ、美味い。
そのとき、
「ビール、どうする?」
立ち上がりながら塔子が口にした言葉に、ぴくんと耳が動いた。
「ああ、もらおうか」
飯を終えた滋が居間に移動しながら返事をする。
振り向くと、塔子が冷蔵庫から缶ビールを出すところだった。
酒といえばたいてい日本酒の私は、ビールは飲んだことがない。
興味を引かれた私がじっと見ていると、グラスとビールを運んだ塔子がつまみを出して持っていった。
む、あれはもしかしてさきいかではないか。
OH,SAKIIKA。なんと中年心をくすぐるアイテムなのだろう。
ふらふらついて行くと、グラスにビールを注ぐ滋と目が合った。
「ニャンゴローも飲むか?」
「にゃ!」
滋に駆け寄って返事をした。猫らしく、といつも怒る夏目は不在。もはや私を止められる者はいない。
「ほら」
小さな皿にビールを注ぎ、私に差し出す滋。ちろ、と舐めると、爽やかな苦味が口に広がった。
これは美味い。だが、ちろちろ舐めるばかりでは満足できない。
滋をちらりと見て、目がテレビのほうを向いているのを確認してから、座り込んで皿を両手に持つ。
一気に喉に流し込んで、ぷはっと息をついて。
そしておかわりをねだろうと滋を見ると。

ばっちり、目が合った。

テレビ見てたんじゃなかったのか。なんでこっち見てんだおまえは。

焦る頭で色々考えるが、猫が盃みたいに皿を両手で持ってビールを飲み干すことへの上手い言い訳はなにも思いつかず、さりとて今さら皿を置いて座り直してにゃんと鳴いたところでわざとらしさは倍増だ。

どうしよう。夏目にゲンコツをくらってしまう。
いや、ゲンコツですめばいいが。逆さ吊りからのパイルドライバーとかきそうな気がする。もしくはアッパーカットからの首四の字。どっちにしたって無事ではすまない。

じっと見つめ合う私と滋。

「に………にゃあ?」

とりあえず鳴いてみた。
だが滋はただ私を見つめるだけ。

うーん、まずい。
ここはやはり、逃げるしかないか。

立ち上がって廊下へと駆け出そうとしたとき、
「待ちなさい、ニャンゴロー」
落ち着いた声の滋に引き留められて、恐る恐る振り向いた。
「やっぱり、おまえだったんだな。よく貴志の部屋から話し声がすると思っていたが」
……とっくにバレてた。
「まぁ、来なさい。一緒に飲もう。塔子さん、グラスをもうひとつ」
「はぁい」
私の前にグラスを置いた塔子が、くすくす笑った。
「あんなに大きな声で騒いで、聞こえないほど耳は悪くないのよ?」
そんなに騒いでましたか。
「ほんとに貴志くんと仲良しなんだなぁって、いつも思ってたの」
そんな仲良さそうに聞こえましたか。おかしいな、そんな雰囲気は微塵もないはずなんですが。
嫌な汗をだらだらかいて座ったままの私のグラスに、滋がビールを注いでくれる。
「いつも貴志が世話になってるね。ありがとう」
顔をあげると、滋も塔子も微笑んでいた。
「………なにも、聞かないのか」
そう言うと、滋が頷いた。
「貴志が自分から話してくれるまでは、聞かないことにするよ」
「………………」
友人帳は妖の世界のものだ。ヒトが聞いてろくなことはない。夏目もそれはよく知っている。
そして、友人帳を抜きにしたら、私との関係が説明できなくなって、

「それで、いつ貴志くんは猫ちゃんのお嫁さんになるのかしら?」

ええええ。
そっち?
そういう関係にいっちゃった?

「うん、そこははっきりしないとな。貴志はまだ未成年なんだし、節度ある交際をしないと」

節度って。
いやいや待ってくれ。私と夏目はそういう関係じゃないんだ。

私が勝手に想っているだけで、あいつはなんとも思ってないんだ。私は、夏目にとってただの用心棒で、居候で。

「…………………」

言葉が出ない私を、二人が見つめてくる。
用心棒なんて言ったって、意味がわからないだろう。夏目がよく妖に襲われるから、なんて言えば、この二人にいらぬ心配をさせるだけだ。

「…………私が、勝手に夏目について歩いているだけだ」

二人が驚いた顔をする。

「夏目にそんな気はないんだ。だから、あいつにはそんなことは言わないでくれ」

黙っていてくれ。
私の想いなど、あいつが知る必要はないのだから。

「…………ニャンゴロー」

滋が、グラスをつかんだ。塔子が冷蔵庫から追加のビールを持ってくる。

「飲もう。今夜は飲み明かそうじゃないか」

なんでそうなる。
だが滋はふるふる震え、涙ぐんで私を見ている。

「辛かったな……だが大丈夫だ!私たちはおまえの味方だからな!」

あれ。もしかして滋、酒に弱いのか。頬が既に赤いんだが。

結局、ビールの誘惑に勝てなかった私は滋と夜中過ぎるまで飲んでいた。
「て〜んどんの〜、ぶるぅす〜」
「わははは!なんだその歌!面白いぞ!」
アルコール度数の低いビールも、たくさん飲めばこうなる。
「あらあら、大丈夫?飲み過ぎですよ」
塔子の言葉も、私たちには届かない。真っ赤な顔でふらふらになって、それでもグラスに次を注ぐ。
やがて滋は眠ってしまい、困ったように笑った塔子が毛布を持ってきてかけてやった。
「猫ちゃんは?大丈夫なの?」
「だーいじょうぶ!これっくらいの酒で、酔えるかっつーの!」
初めてのビールで飲み過ぎて、私もすっかり酔っぱらいになっていた。
「ふふ、そうね。いつもはもっと酔っぱらってるものね」
えっ。いつ見た。どこで。
「こっそり帰りたかったら、歌を歌ったり屋根をがたがた歩いたりしちゃダメよ」
おお、ヤバい。身に覚えがてんこ盛りだ。
さきいかをもぐもぐしながら残りのビールを流し込む私に、塔子が苦笑する。
「それでやめておきなさいね。貴志くんにいつも叱られてるでしょう?飲み過ぎだって」
「…………あいつは、お節介だから」
「猫ちゃんを心配してるのよ。いないといつも探してるし、寂しそうな顔して元気がなくなるの。貴志くんも、猫ちゃんのことが大好きなのよ」
「…………………」
本当にそうなら、どんなにいいか。
いないと元気がないのは、妖が来たらと不安なんじゃないのか。探すのはそのせいだろう。
「猫ちゃんてば、こういうことになると臆病なのね」
臆病って、私がか。
まさか。そんなこと、今まで生きてきて一度も言われたことなどないぞ。
「じゃあ、言うけど。いつかあなたが怪我をしてたときね、」

眠ってたあなたを、不安そうに見つめて。
そっと撫でる手が、震えてて。
先生、って、何度も呼んで。
泣きながら私に言うの。先生が死んじゃったら、どうしようって。
すごく大切で、大好きなんだって言って。
一晩中、寝ないで側にくっついてたのよ。

「……………………」
酒のせいじゃなく、顔が熱くなる。
あのとき、何度も呼ばれた気がしていた。夏目が私を、呼んでいる気がしていた。
夢だと思っていたのに。



どうしようもなく夏目に会いたくなって、ふらふらと立ち上がった。よろけて頭をぶつけたが、それでも意地で玄関まで歩く。後ろから心配そうについてきた塔子が、
「うちの廊下って広いと思ってたんだけど、猫ちゃんの頭を見てると狭く感じるわねぇ」
聞かなかったことにしよう。


元の姿に戻ってふらふら空へ舞い上がり、さて田沼の家はと周囲を見回す。たしか八ヶ原だ。それってどっちだったっけ。確か神社?寺だったか?まぁどっちでも似たようなもんか。えーと、それっぽい建物は。

方向感覚もでたらめだし、田沼の家の形状も思い出せないし、まっすぐ飛んでるつもりでなぜか斜めに行ってるし。
それでもどうにか夏目の気配を探り当て、田沼の家へたどり着いた。便所の小さな窓から侵入し、夏目が寝ている部屋を探す。
「……ここか?」
扉を開けて中を見た。金ぴかの仏像が鎮座している。夏目のやつ、いつの間にこんなにきらびやかになったんだ。蓮の花なんかバックにして、なかなかしゃれてるじゃないか。それにしてもなんだか悟りを開ききった顔をしているが、私がいない間になにが。
って、いやいや。別人だろこれ。いくらなんでも夏目がパンチパーマとか無いわ。ではこれは田沼か?思いきったイメチェンだな、感心したぞ。
扉を閉めて廊下を歩く。足元が揺れる船にでも乗ってるみたいな感じで、なかなかまっすぐ歩けない。
「なつめー!」
遠慮なく怒鳴りながら歩いていたら、側の部屋から手が出てきて私のほっぺたを鷲掴みした。
そのままぐいっと引っ張られ、頬が餅のようにのびる。この妖気のこもった手は、
「…………先生………」
おお、やはり夏目か。探したぞ。
「なにめちゃくちゃ酔っぱらってんだよ!つかよそんちで夜中に叫ぶな!」
「会いたかったぞー、なつめ」
「………は?」
「なつめ、大好きだぞー」
酔った状態で飛んだり歩いたりしたせいで、完全に完璧な酔っぱらいになった私は、口を閉じることなど考えもしなかった。
「なつめー」
「………………いやちょっと、先生!ここ田沼んちだから!」
真っ赤になった夏目が部屋の中を振り向く。田沼も柴田も布団をかぶっているが、眠ってないのは気配でわかった。
「もー、先生ってば。どこでそんなに飲んだの」
「うちで」
「……………うち?」
「滋と二人で、ビール飲んだ」
「……………滋さんと?」
おや。なんだか周囲の気温が低くなったような。酔っぱらってて暑いからちょうどいい。
「おまえが、いつ私の嫁になるのかと気にしてたぞ」
「…………………よ、」
ぷっ、と吹き出す音がふたつの布団から同時に聞こえた。
「ちょ、先生まさか滋さんの前でしゃべったとか?つかまだみんな起きてるから、ちょっと黙って」
なにから気にすればいいのかわからない状態の夏目は、半ばパニックになっている。
だが、私は気分がいい。夏目が私の前にいる。私に手をのばしている。たとえその手がほっぺたを引っ張ったままでも、嬉しい。嬉しすぎて踊りたい気分だ。いやここは一曲いくべきか。うむ、では歌います。『さきいかサンバ』。
「歌うな!」
「なんで止めんだよ夏目!」
「世界一気になるタイトルだったぞ今の!」
夏目が怒鳴ったら、布団から柴田と田沼が飛び起きて怒鳴った。おお、一気ににぎやかになったな。ではいきます、『黄昏のビール横丁』。
「さっきと違う!」
「でもどっちも聞きたい!」
柴田も田沼も真剣だ。拍手喝采で応援してくれている。
熱唱する私の横で、頭を抱えて踞る夏目。なにがあったか知らないが、おまえも歌うんだ。そしたら全て吹き飛んで、
「いや先生が原因だから!てかなにしてくれてんだ、もう俺帰れないじゃないか!」



翌日。
ひどい頭痛でぐったりする私を抱え、帰るに帰れない夏目は塔子が気づくまで家の前に立ち竦んでいた。
「先生のせいだぞ」
睨んでくる夏目に、言葉もない。酔った勢いというのは恐ろしいものだ。

それでも、

「…………先生。俺のこと好きって、ほんと?」

赤い顔で目を逸らしながら聞かれて、私も赤くなる。

「…………俺、先生が大好きだ」

それでもそれを聞けただけでも、よかったと思った。


しかし、それ以来田沼や柴田だけじゃなく滋までが私に歌をねだるようになってしまったのだが。

私は一体、どんな歌を歌ったのだろうか。

謎だ。




END,

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