駄文帳

□引けない想いと、引かない想い
1ページ/1ページ




的場一族の当主という立場は、生まれたときから決まっていたことだった。
だから、それへ特に不満はない。小さい頃からの英才教育も、今の自分に役立っている。一門からは若いというだけで良くも悪くも注目を浴びていて、細かいあら探しのような批判を受けることもよくあるので、隙を見せることのないよう、いつも他人の目を気にして振る舞っている。言葉も立ち居振舞いも、着るものから使うものまで。神経質なくらいでちょうどいい。なにしろ、生き馬の目を抜く業界だ。少しでもつけ入る隙を見せたら、もう終わり。あっという間に立場を追われ、私の下にいる者皆が路頭に迷うことになってしまう。

だから、ずっと気を張っていた。

これからもずっと、そうだと思っていた。

けれど、たまには。
本当にたまには、息を抜ける誰かと、いろんなことを忘れてのんびりするのも大事なことではないかと、考え始めた今日この頃。



「………的場さん、帰らなくていいんですか?」
「ええ、今日は特に予定もありませんのでね。あ、すいません。お茶おかわり」
「……………はぁ」
意外と素直に立ち上がって湯飲みを盆に載せて部屋を出る彼に、そこまでは嫌われていないのかもしれない、と期待をしてしまう。
誰に嫌われようが恨まれようが、気にならなかったのに。そう考えるとおかしくなるが、ここは他人の家の他人の部屋。一人でくすくす笑うなんて、この私に限ってあってはならないことだ。

『以前、怪我をさせてしまいましたよね。お加減はいかがですか』
手土産持参でそう言ったら、渋々みたいに部屋にあげてくれた。多分、家人に気を使ったのだろう。
『もうすっかり治ってます。ていうかそれ、結構前のことですよね?』
白くて細い腕を見せてくれながら、彼は疑い深い眼差しで私を睨むように見つめた。それへ微笑んでみせて、ついでに役得とばかりにその腕を撫で、
『それはよかった。じつは気になっていましてね。あのせいで、きみが私によくない印象を抱いたのではないかと』
『別に、怪我のせいじゃないです』
言外に悪印象を持っていると含ませた彼は、それでもお茶を淹れて持ってきた。客扱いしてくれるのか、と少しばかり驚いたのは秘密。この子はちょっと警戒心というか、危機感がなさすぎなんじゃないだろうか。何度も悶着を起こした相手に、そんなことをするなんて。
『ありがとうございます』
『それで、今日は本当はなにしに来たんですか?家に来られるのは困るんですけど』
『いえ、本当にきみが気になっただけですよ。時間も空いてるし、顔を見ておこうかなと。今日はあの猫はいないんですね』
『先生はちょっと飲み……いやその。出かけてます』
飲み、と言いかけたような。あの猫のような生き物は、もしかしてこの子を放って酒を飲みに出ているのか。こんな昼間から?いや妖に昼も夜も関係ないのだろうが、しかし。
こんな無防備な子を置いて、出かけるとは。もしかしたらこの子と猫は、思っていたほどには繋がりが強くないのか。
ならば、私にもまだチャンスはあるのかもしれない。



適当な雑談をしたり、たまに封印や札について聞かれるまま教えたり。のんきな時間を過ごしている間に、彼の眼差しから険が消えた。
そうして、お茶のおかわりまで用意しに行ってくれるまでになった。
私には好都合な展開だが、本当にあの子は大丈夫なのか。なんか詐欺とか簡単に引っ掛かりそうなんだが。

「…………なにをしている」
開けた窓の外から、殺気が流れこんできた。
「おや、今頃お帰りですか。ずいぶんごゆっくりでしたね」
微笑んで振り向くと、真っ白い獣の妖が部屋の中に滑りこんできたところだった。
「お酒でも飲んでたんですか?匂いますよ」
「余計な世話だ。それより貴様、なにをしに来た。夏目はどこだ」
「きみの主なら下にいるでしょう。それより、きみ。先生なんて呼ばれているようですが、本当はなんていう名なんです?」
「貴様に教える義理はない」
とりつくしまもない対応。けれど本当なら、彼の対応もこうなるはず。それなのに私を一応客として、雑談にまで応じるのは彼の性格なのか、それとも単に私を危険ではないと判断しただけなのか。
「残念だな、私はきみに興味があるのに」
「私にはない。さっさと帰れ」
臨戦体勢を崩さない猫は、妖というよりは殺気の塊だ。金の瞳が赤みを帯びていて、すぐにでも飛びかかってこないのが不思議なくらい。
「まだ、用事がありますから」
「なんの用か知らんが、夏目には関係ない。帰らぬと言うなら放り出すぞ」
一歩、猫がこちらに踏み出した。放たれる気に全身がビリピリする。
これほどの妖に守られていれば、あんなふうに無防備になってしまうのも仕方がないのかもしれない。
けれど。
「そうまで言うなら、なぜきみはあの子を一人にする?」
「……………」
「大事な主を放って酒宴、もたまにはいいけどね。あの子を狙う者は多いんだ。普通は側から離れないものだと思うけど?」
「……………ふん」
なにを言うかと思えば。そんな顔で、猫が踏み出した足を引いた。
「妖の気配には気を配ってる。小物くらいしかここには入れぬはずだ。貴様に心配されなくとも、」
「小物は入れるんですか。それが油断だとは思わないんですか?」
猫の目が細められる。なんだか、小さなネズミになった気分だ。捕食者を前にして、その気に呑まれてすくんでしまう小さなネズミ。
だが、私はただのネズミではない。猫もそれを知っているから、手を出せないでいるのだろう。
「あの子を狙っているのは、なにも妖だけとは限りませんよ」
「…………貴様もそうだと言いたいのか」
「そうですね」
答えたとたんに、今までよりさらに大きな殺気に包まれた。濡れたように輝く金色が、どこから喰おうかと言いたげに私を見つめる。
正直、この妖に一人で対峙するのは荷が重い。どれだけの時を経た大妖なのか知らないが、今まで私が相手にしてきた妖などこれに比べれば小物もいいところだ。
「私のところに来れば、大切にしてやれる。私が必ず守る。不自由のない生活をさせてやれる。なにより、見えるものを見えないと嘘をつかなくてよくなる。あの子は、まだまわりに嘘をついているのでしょう?」
「………それで、篭の鳥になるわけか。そんなもの、夏目が望むと思うか」
「望まないのは彼ではなく、きみでしょう。引き離されるのが嫌で、彼をここに留めておこうとして」
「………………戯れ言を」
「違うんですか?あの子はわかりませんが、きみはあの子を好いている。と、私は思っていたんですがね」
何度か見て、見張らせたりもして。それで思ったんだ。この妖は、抱いてはいけない想いをあの子に抱いている。
それは邪魔だ。あの子もこの妖を特別に思っているようだから、妖がそんなふうに想っているとわかればますます離れなくなる。

私は、あの子が欲しい。

あの子なら、私になにかを与えてくれそうな、側にいれば私がなにかを得ることができそうな、そんな気がするから。

「アホか貴様は。この私が、ヒトに対してそんな感情を持つなどあり得るはずがないだろう」
気づいてないのか。いや、きっととっくに気づいている。この妖は賢い。自分があの子に惹かれていることをわかっていて、わざと距離をつくっているんだ。
わざと出かけたり。わざとそんな言い方をしたり。
私はただ、好いていると言っただけ。その言葉を親愛と取るか恋情と取るかで、どう思っているかがわかる。
正確に恋情の意味に取ったこの妖は、自分のその失態に気づいているのだろうか。
「そうですか。では、私が彼をもらっても、なんの異論もありませんね?」
「…………もらう?」
「お嫁に、でもお婿に、でも、この際どちらでも構いません。あの子がそれを承諾したら、きみは引いてくれますね?」
「………………………」
猫が、にやりと笑った。
まずいな、と思いながらも、私も微笑ってみせる。
気圧されたほうが負け。
立っているのもやっとな重圧など、初めて感じる。

「………あれは、私のものだ」

「あの子が私のところに来てくれれば、私のものです。何者からも絶対に守る。きみから、でもね」

「思い上がるな、とあのとき言ったはずだぞ、小僧」

あのとき。
あのとき、この妖は単にキレただけだった。
傷を負わされたことと、彼が自分を庇って倒れたことで、キレて我を失っただけだった。

今は、違う。
怒りを通り越した頭は冷静さを取り戻しているようだ。さっきまで炎があがりそうだった瞳は、冷えきって氷のような色をしている。

「私からあれを引き離そうとする者は、誰であっても許さない」

冷静な声。けれど、怒鳴り散らすよりもずっと大きな怒りを感じさせる。

これは、本気でまずい。

祓ってしまえば、あの子は完全に私に背を向け、二度と笑顔を見せてはくれないだろう。
そう思っていたけど、これはもう戦うしかなさそうだ。

勝ち目は、ゼロに近いかもしれないが。

そろりと矢を手に取る。
妖がバカにしたように嘲笑った。

「同じ手は二度は食わん、とも言わなかったか?」

「あいにく、私にはこれしかないのでね。きみにはもう札も効かなそうだし。だけど、」

弓に矢をつがえ、思い切り引く。至近距離だ。外しようがない。
眉間に狙いを定めたが、妖は笑っているだけ。

「ヒトに恋煩いなどして呑気に悩んでいるような妖には、負けるわけにはいかなくてね」

「………悩んではいないな」

「え?」

意外な答えに驚いた私の隙を、妖が逃すはずはなく。

「悩んではいない。ただ、」

あいつの笑顔が消えないように。

そのためなら、この身が消えても構わない。

耳に届いたその言葉の意味が理解できたときには、既に目の前には妖の大きな牙があった。



「先生!」
鋭い声がして、妖の動きが止まる。
牙は私の頭に届く寸前。弓と矢は大きな足の下にあった。
「なにしてんだよ、先生!」
彼は持っていたお盆ごとお茶を投げ出して、妖の首にしがみついていた。
「………夏目、無事か」
驚くほど優しい声で、妖が問う。彼は首を振り、さらに強くしがみついた。
「無事じゃないよ!心臓が止まるかと思ったじゃないか!」
「…………………」
妖はなにも言わず、私を睨んでからしゅるりと猫の姿になった。それを胸に抱きしめた彼が、私に頭を下げる。
「すいません。先生が、……」
「いえ。私が悪いんですよ、挑発するようなことを言って」
弓を拾いあげ、無事を確認してしまいこむ。これを奪われたことにすら気づかなかった。
完全に、呑まれていた。
「猫に引っ掻かれないうちに退散しましょうか。今日はありがとう。楽しかったです」
実際、雑談は楽しかった。私にはそんな話をする相手が他にいないから。




私に、いろんな煩わしいことを忘れてくつろがせてくれる者がいたら。

そう思ったときに浮かんだのが、彼だった。

他には、誰も思いつかなかった。




また来ます、と言ったときの猫の殺気ときたら。
けれど彼が、複雑ではあったけど笑ったので。

次は強力な札を持って来なくては、なんて思いながら歩いて帰る途中、ふと気づいた。

彼を守る妖の強い強い想いとか。
私ではなく妖に抱きついた彼の、泣きそうな顔とか。

もしかしたら私は、とんでもなくシリアスなノロケを見せられたのではないか。


まぁ、そうだとしても諦めないけど。




振り向くと、彼が猫を抱いて家に入っていくところだった。

優しく愛しげに猫を見つめる彼の瞳に、ため息をついて。

猫のいない隙にどうやって拐おうか、と思案するのも、存外楽しいと思う私は、もう末期かもしれない。






END,

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ