駄文帳

□甘い1日
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ついに耐えきれなくなった私は、変化して猫の姿になった。突然のことに驚く夏目をよそに、狭い温泉でばちゃばちゃとわざとらしく泳ぎ始める。
「先生、狭いんだから泳ぐなよ!散るじゃないか!」
怒ったように言いながらも、どこかほっとした様子の夏目も、さきほどまでの妙な雰囲気に戸惑っていたに違いない。
「おまえも泳げ!気持ちいいぞ!」
ごまかすように誘えば、しばし考えてから夏目も泳ぎ出す。狭いせいでほとんどばた足だけのその泳ぎのせいで、私に大量の飛沫が飛んできた。
「こら夏目!おまえ、わざとか!?わざとだな!?では私も遠慮はしないぞ!」
「狭くて泳げないじゃんか、先生」
「それはおまえが私のようなコンパクトプリティーな姿にならないからだ!」
言いながら、足で思い切り湯を蹴る。飛沫はすべて夏目に飛んだ。
「ぶわ!くそ、誰がそんな姿になりたがるんだよ、メタボニャンコめ!」
夏目からまた大量の飛沫が返ってくる。手足の大きさが違うぶん、私がかぶる飛沫の量のほうがハンパなく多い。
「む。くそ、だったらこれならどうだ!」
ヒトの姿に変化してみた。これなら夏目と互角に戦える。
「わ!誰だそれ!」
驚く夏目に、両手で掬った湯をそのままかけた。油断していた夏目が、顔面にそれを浴びる。
「負けるもんか!」
さらに浴びせてくる夏目。応戦する私。
しばらくして、疲れて動けなくなった夏目に勝利宣言をしてから、私は空を見た。太陽が真上を過ぎている。
好きなだけ暴れたおかげで、猿のことなど忘れてすっきりした私は、帰ろうかと夏目を見た。

夏目は、湯から体半分岩場に乗り出した状態で倒れていた。

「うおお夏目!なにがあった!」
慌てて側に行って助け起こす。茹で蛸みたいに赤くなった夏目は完全にのぼせていて、目を開ける気力もないらしい。
「せ、んせ…………」
私の腕に触れた夏目が、ゆっくりした動作で肩に手を伸ばした。
「冷たい………」
「そうか?」
温まっているはずだが、茹だった夏目には冷えて感じるようだ。

「あー、気持ちいい」

「そっそそそうか」

ちょっと、どうしよう。

私の首にしっかりと腕を回して抱きついて、安心したように目を閉じたまま微笑む夏目。

さっきより、さらに困った状況なんだけど。

「夏目、ちょっと離れろ」

「やだ」

か、可愛いじゃないかちくしょう。

「火を起こして体を乾かさないと、風邪をひくぞ」

「先生がいるから、大丈夫」

いやいや意味がわからん。濡れたままで服を着るわけにはいかんだろうし、このまんまでいたらやがて冷える。私がいるからどうだというんだ、頭の中までのぼせたのか。

「おい、夏目」

「やだ」

会話ができない。

いくら気配を探っても、周囲には誰もいない。

ヒトの姿になった私と、夏目だけ。

困った、とまた思ってから、やっと私は困る原因に気がついた。

夏目が楽しければ自分も楽しいと、思う理由に。

夏目が望むなら。見たい景色があるというなら、どこへでも連れて行こうと思う理由。

二人きりで裸で風呂に浸かっていることを、いたたまれないほど意識してしまう理由。

なんだ、そうか。

私は、このヒトの子のことが………



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