駄文帳

□側にいる理由
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あほらしいことに付き合うはめになってしまった。

森の奥の原っぱ。草の上に投げるように置かれた友人帳には、もうなにも挟まってない。そこにあったページはすべて破り取られて、書かれていた名は持ち主の元へと還っていき、今はもう、なんの意味も持たないものになってしまっている。
最後に名を還された三篠という妖は私の隣に座り込み、傍観を決め込んでいるようだ。こちらを見下ろして、どっちが勝つか賭けるか?なんて笑っている。

私たちの前では、大きな白い妖と小柄でひょろりと痩せた子供が、今にも殴り合いを始めそうな顔で対峙していた。



最後の名を還したあと。
なにもなくなってしまった友人帳を黙って見つめる夏目に、肩に乗っていたまん丸な猫がため息をついた。
「なにを辛気くさい顔してるんだ。ようやく終わったんだぞ?」
「…………終わった、」
「そう。もう友人帳は存在しない。それを狙っておまえを襲う妖もいなくなるだろう。もっと喜んだらどうだ」
「………でも、」
夏目は猫を振り返り、なにか言いたそうに唇を震わせた。けれど言葉を探しあてる前に、猫は素早く地面へと飛び降りてしまう。
そのまま元の姿になった猫は、自分を見つめる夏目を見下ろしてなにか考えているようだった。
しばらく、そのまま時が過ぎる。
それから、妖がゆっくりと口を開いた。
「友人帳がなくなったなら、私がここにいる理由もないな」
冷たく聞こえる妖の言葉に、夏目が俯いた。
「………やっぱり、行っちゃうんだ?」
「最初にそう約束しただろう。見届ける、と」
約束は果たされた。
それならば、もう側にいる理由もない。
「先生、俺は」
夏目は顔をあげ、言いかけて、また口を閉じた。縋るような目は、まっすぐに妖の瞳を見つめている。
それへ妖がなにか言いかけ、そうしてまた妖も口を閉じてしまう。
言葉にするのを恐れるように、二人ともなにも言わない。黙ったまま、ただ見つめ合うだけ。
用が済んだなら、立ち去ればいい。それができないのは、二人ともがお互いを必要としているから。
このまま、この先もずっと側にいたいと、どちらもそう思っている。
口に出せないのは、出せば今までの関係が崩れるから。なにか違う、けれどヒトと妖の間には築いてはならない関係が、そこに待っているから。
「………共にいようと思うなら、それ相応の理由が必要だ。そうだろう、夏目」
妖が、静かに問いかける。
「……………理由、」
夏目が戸惑うのは当然かもしれない。さきほどまで側にいて当たり前だった存在から、そんなふうに言われれば。
きっと夏目は、猫が側にいる理由を忘れていたかったんだろう。ヒトが伴侶を見つけて寄り添うのと同じように猫と自分も共にいて、これからも変わらず、共に生きていく。そう思い込もうとしていたのではないか。
妖の口から零れる残酷な現実に、夏目は思考を停止したようにただ妖を見つめている。

「………新しい理由を作るか?」

「新しい、理由………」

妖がちらりと友人帳を見る。
夏目もその視線を追い、そして意味するところを汲み取ったようだ。しばし迷い、それからそれを拾い上げた。

「先生、」

空っぽになった友人帳を握りしめ、夏目が妖を見上げる。

「勝負しようよ。俺が勝ったら、先生の名前をくれ」

「面白い」

妖がにやりと笑った。

「では私が勝ったら、死ぬまでおまえは私の下僕だ」

「………素直に頷きにくい条件だな」

夏目は頷き、妖にまっすぐ向き合った。

「勝負だ先生!」

「望むところだ!」




というわけで冒頭に戻る。

正直、私はここに来たことを少なからず後悔している。
たまたま昨日電話をかけたら、友人帳がもうなくなる、と夏目が言うものだから、それならば立ち会おうと思って一緒に来た。夏目を縛っていた呪詛にも似たその遺品がなくなれば、夏目は自由になる。私はそれを願っていて、彼も同じだと思っていたのだけれど。

夏目は、友人帳なんかよりももっと大事なものを見つけていた。

それを繋ぎとめるためなら、もう一度友人帳を使うことを厭わないほど、大切なものを。

なんとも、あほらしい戦いじゃないか。夏目が勝てば妖は名を縛られ、夏目の側にいることになる。妖が勝てば夏目は妖の下僕となり、妖の側にいることになる。
どっちにしたって、二人が離れることはないんだ。だったらこんな茶番、なんの意味がある?

「意味はあるさ」
三篠が大きな目をぎょろりと動かした。
「我々がヒトと共にいるには、代償となるなにかが必要なのだ。ヒトでもそうだろう?つがいになるにはなにやら届けが必要だというではないか」
婚姻届のことか。私は渋々頷いた。あれもある意味契約には違いない。
「生きる時間も世界も違う。共に生きようとするなら、それを上回るなにかが必要だ。契約なり、約束なり」
「とっくに心は決まっているのにかい?面倒なことだな」
「祓い屋にはわからんだろうな。貴様らはいつも妖を、知能の足りない動物くらいにしか思ってない」
「実際そんなのがほとんどじゃないか。おまえたちのような妖のほうが少ないんだよ」
ふん、と鼻を鳴らして大妖と子供の勝負を見守る馬面の妖に、私は軽くため息をつく。

賢い妖は嫌いだ。

子供が妖の世界との関わりを絶つ気がないことを喜んでいる、この妖も。

そして、子供に情を移しすぎて離れられなくなった、あの妖も。

仏頂面で眺める先で、夏目がこっちを振り向いて手招きするのが見えた。




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