駄文帳

□森の中の赤ずきん
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「はい、これ。ちゃんと食べさせてあげてからお薬飲ませなきゃダメよ」
「はい」
搭子さんから風呂敷包みを受け取って、いってきます、と玄関を出た。春だけれど曇っていて肌寒い。厚めの上着を着てよかった、と思いながら、赤いコートのフードを頭に引っ張りあげた。

友人の田沼が、もう三日も風邪で学校を休んでいる。田沼んちはお父さんしかいなくて、お寺の住職さんをしているお父さんは留守がちなんだ。それを話したら、搭子さんが差し入れをしろと弁当を作ってくれた。
なので、今からそれを田沼のところに届けに行くんだ。
田沼んちに行くには、小さな森を抜けなくてはならない。そこは妖怪がうろうろしていて、正直一人で歩くのはちょっと嫌なんだけど、仕方ない。苦しんでいる田沼のためなんだから、頑張ろう。

と歩き出したところで、後ろからくすくす笑う声がした。振り向くと、搭子さんが玄関先で俺を見送りながら口元に手を当てて笑っている。
「ごめんなさい。ふふ、童話を思い出しちゃって、つい」
「童話?」
「お見舞い持って、赤いコートを着て、赤いフードを被ってて。ふふふ、赤ずきんちゃんみたい」
「あ、赤ずきん………」
知ってる。外国の童話で、森の中に住むおばあさんにお見舞いを持って行く女の子のお話だ。
「気にしないで、いってらっしゃい」
手を振る搭子さんはまだ笑っている。なんだか恥ずかしくなって、急いで家を出て歩き始めた。

女の子と間違われたことなんて一度もない。搭子さんだって、着ているものの色や、お見舞いを持って出かけるシチュエーションからそう言っただけだ。
わかってるけど、と自分のコートを見下ろす。赤は気まぐれで選んだだけなんだけど、やっぱりちょっと変だったかなぁ。知り合いに会わないように、急がなきゃ。

そういえば、あの童話では森の中に狼が出てくるんだった。おばあさんも赤ずきんも食べられちゃって、猟師が来て助けてくれるんだったか。

今の日本に狼はいないだろうけど、かわりに妖怪が出るかもしれない。小さいときから、普通は見えないはずのそういうものが見えてしまう体質なため、今まで散々な目に合ってきたんだ。今日も、用心しなくては。助けてくれる猟師はいないんだから。


田んぼや畑の間を縫って、やがて田沼の家の近くまで来た。そこからは森の中。小さい森でも、木々が空を覆うように繁っていて、曇っている今は薄暗くて少し不気味だ。
それでも、行かねばならない。手にした風呂敷包みを腕に抱えなおし、俺は足早に森の中へと入った。
田沼の家はお寺だから、そこへ通じる道は広くて、ちゃんと舗装もされている。そこから出なけりゃ大丈夫。多分。
自分にそう言い聞かせながら歩いていると、側の茂みががさりと音をたてた。

「ヒトの子か。美味そうな匂いだな」

振り向いたら、大きな妖怪が茂みから出てくるところだった。
狼の妖、だろうか。見上げなくてはならないほどに大きな妖。にやりと笑った口元からでっかい牙が見えた。
そうして見上げていたら、妖がまた笑った。
「ほう。ヒトの子のくせに、見えるのか」
しまった、と目を逸らす。けれど、遅かった。妖は俺を品定めするように眺め、どこへ行く気だ、と聞いてきた。
「………どこだって関係ないだろ」
「ふん。ここから先は寺しかないからな。おおかたそこへ使いにでも来たんだろう」
「……………」
まずい。
この妖は、やばい奴だ。
俺は妖に背を向けて、走りだした。他にも小物がちょろちょろ出てきたけど、それは殴り飛ばせばどうにかなるレベル。
あの狼の妖は、やばい。俺が殴ったくらいじゃどうにもならない。
けれど、追いかけてくるかと思っていたのに、妖はその場に立ったまま。愉快そうににやにや笑って、俺が逃げるのを見物している。
「せいぜい気をつけるんだな。おまえほど美味そうなヒトの子は、今まで見たことがない」
嬉しくない。
俺は息を切らせて、どうにかお寺の境内に駆け込んだ。
山門からこっちには、小物は入って来れないらしい。うろうろしながらこっちを見ている。
帰り、どうしよう。
そんな心配をしつつも、なんとか着いたことに安堵して、お寺の裏手に回って小さな玄関を開けた。

「田沼、大丈夫か?」
勝手知ったる他人の家。俺は田沼の部屋に行き、敷かれた布団に寝ている田沼の側に座った。
「……見舞いに来てくれたのか。悪いな、わざわざ」
起き上がろうとする田沼に手を貸して座らせて、風呂敷包みを差し出す。
「これ、搭子さんが田沼に食べさせろって」
「………搭子さん………?」
熱が高いのだろうか。田沼はちょっと怪訝な顔をした。
お構いなしに、風呂敷を解く。弁当箱と割り箸、それに風邪薬。
「食べてから飲んだほうがいいよ。水汲んで来ようか」
「………いや、」
立ち上がろうとした俺を制して、田沼がそのまま腕を握る。
「水はいい。それより、もうちょっとこっちに来いよ」
「…………田沼?」
引っ張られてまた座る。田沼の力は強すぎて、俺は田沼の布団に寄りかかる格好になってしまった。
「おい、どうしたんだよ。なに……」
言いかけて黙る。田沼の手が、服の下から俺の背中に入ってきたからだ。

冷たい手。
熱があるなら、熱いはずじゃないのか。

「おまえは、本当に美味そうだな」

その声は田沼じゃなく、あの狼の妖のもの。

はっとして田沼の顔を見る。が、それはもう田沼ではなく、あの妖の顔をしていた。

「離せ!おまえ、田沼をどうしたんだ!」

暴れようとしたけど、無駄だった。押さえつけてくる妖の力は強くて、身動きすらできない。

「ここにいた人間か。くく、どうなったと思う?」

楽しげな声で言いながら、妖はゆっくりと俺の服を脱がしにかかる。

「離せってば!」

腕を振り回してみたけど、妖には届かない。元の姿に戻った妖は、むき出しになった俺の背中をぺろりと舐めた。

「冷た!」

ひやりとする感触に、肌が粟立つ。

妖が口を開ける気配。

もうダメか、と思ったとき。

「こら貴様!私のものに勝手に触るな!」

白い光が室内に満ちて、妖の悲鳴が聞こえた。



「まったく!ここは危ないから一人で行くなとあれほど!」
白い大きな獣の妖が、前足で畳をばしばし叩きながら説教してくる。
「だって先生、昨夜から飲み会でいなかったじゃないか」
「言い訳するな!おまえな、食われるとこだったんだぞ!私が来なかったらどうなっていたか!」

俺を食おうとしていた妖は、先生によって黒い煙みたいになって消えてしまった。田沼は、家の中を探したら押し入れに突っ込まれて気絶しているところを見つけ、無事布団に戻した。目を覚ましたら、夢でも見ていたことにしよう。

「たまたまおまえを見かけた小物から聞いて、すっ飛んで来たんだ。もう一人で出かけるなよ!?」
肝が冷えた、とぷりぷり怒る先生に、反抗的な目を向ける俺。
「だったら朝帰りとかしないで、ちゃんと帰ってくればいいじゃんか」
「あっ、私のせいか!?私のせいにする気か!?生意気だぞ夏目のくせに!」
「俺のせいでもないだろ!てか俺のくせにってなんだよ、どういう意味だよ!」
「そのまんまの意味だ!口答えした罰として、この玉子焼は没収する!」
「あ!こら、それは田沼の!」

やいやい言い合いしていたら田沼が起きてしまって、それから弁当を食わせて薬を飲ませ、ようやくで搭子さんから頼まれたお使いが終了した。
「ありがとな、夏目。なんか押し入れで寝てたような気がするんだけど、俺夢見てたのかな」
「うん、そう。夢だよ。気にしなくていいよ」
妖に保存食としてしまい込まれてたなんて聞けば、また熱が上がってしまうかもしれない。
猫に戻った先生と一緒にそのまましばらくいて、お父さんが帰ってきてからそれじゃあとお寺をあとにした。

「いいか、夏目。これに懲りたらもう私のいないときに一人で出かけたりするなよ」
「だったら先生も、少しは飲むの控えて早めに帰ってきてくれよな」
「くそ、口の減らん奴め」
先生の背中に乗って、空から森を見下ろした。お寺を囲むように茂った木々の合間から、小物たちがこっちを見上げている。
「脅しておいたから、もうおまえに手を出すことはあるまい」
ちらりとそれを見た先生が、まだ機嫌の悪そうな声で言う。

「………ありがとう、先生」

目の前にある大きな耳を撫でたら、ふんとそっぽを向かれた。

「………本当に、焦ったんだからな」

「うん。ありがとう」

「小物が来て、赤ずきんが狼に食われそうだ、なんて言うから」

「うん。…………うぇぇ!?」

「行ってみたら、本当に赤ずきんだからな。驚いたぞ」

振り向いた先生が、にやっと笑うものだから。

もうこのコートは絶対着ないことにしよう。

そう夕陽に誓った。



END,

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