駄文帳

□夢の中でもきみが好き
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夏目が最近、暇さえあればちらちらと私を見ることには気づいていた。

どうせ、先生また太っただろとか、飲んでばっかだからそんな腹になるんだよとか、そういうことだろう。猫とは太っていたほうが可愛いものだ。自分だってこのふよふよの腹をもふもふしては癒されているくせに、ちょっと重たいからってすぐダイエットとか言い出す。私の体重のせいではなく、自分の筋力がないせいだとなぜわからないのだろうか。

「先生、」
なにか言いかけた夏目が、それきり黙ってしまう。
「なんだ」
促してもだんまり。それから首を振り、なんでもないと呟く。

正直、鬱陶しい。なにか言いたいことがあるなら、すぱっと言ってしまえばよいのだ。普段余計なことはなんでも言うのに、なんで今更遠慮なんか。

今日こそは、なにがなんでも聞き出してやる。
でなきゃ気になってストレスが溜まる。ストレスが溜まりすぎるとハゲるとなにかに書いてあった。私の美しい毛並みのためにも、さっさと吐かせてしまわなくては。

「なにが言いたい。言ってみろ」
重ねて促してみる。
「いや………別に、たいしたことじゃないから」
「気になるだろうが」
「しなくていい」
夏目はそう言って立ち上がった。
いつもなら、ここで夏目が階下へ逃げてしまい、私も強いて追わずに放置する。
だが、今日は逃がさない。聞き出すまではとことん追ってやるぞ。
「ごはんの手伝いしてくる」
障子を開ける夏目。
「こら待て。まだ話は終わっとらんぞ」
それを追いかける私。
「来なくていいよ」
言い捨てて、夏目が障子を閉めようとする。
「待てと言ってるだろうが!」
閉まる前に抜けようと、私が障子に突進する。

がたん、ばりん。がしゃーん。

目の前で障子は閉まり、勢いのついた私は止まることができず。

破れた穴に突き刺さったままの私と一緒に、障子は廊下に倒れてしまった。

「貴志くん!どうしたの!?大丈夫!?」
搭子が慌てて上がってきて、倒れて折れた障子を見て、それに刺さった私を見た。
「まぁまぁ!大変、猫ちゃん大丈夫?怪我は?」
「にゃーん」
大丈夫、という意味を込めて鳴いてみせると、搭子はほっとした顔になった。
「なんともないならよかったわ。障子は明日滋さんと一緒に直しましょうね、貴志くん。………貴志くん?」
夏目は顔色をなくし、呆然と廊下に突っ立っていた。言葉も出ない様子で、折れて壊れた障子とまだ刺さっている私を見ている。早く抜いてほしいのだが。
「貴志くん?どうしたの?」
側に行った搭子が、夏目の額に手を当てる。
「具合でも悪い?それとも、どこか打ったかしら」
心配そうな声に、ようやく夏目が我にかえった。
「あ、……………」
急いで障子を起こそうとする。だが、まだ刺さっている私の重みで、折れた障子がさらに真っ二つになってしまった。
「す、すいません!あの、俺弁償しますから」
「なに言ってるの。怪我がなくて本当によかったわ。もう触らなくていいから、置いておきなさい」
「でも…………」
「隣の部屋の障子、大きさが同じよね。とりあえず、今夜はこれを嵌めときましょ」
物置になっている隣の部屋から障子を外した搭子が、それを夏目の部屋の入り口に嵌め込んだ。それからようやく私を思い出したらしく、引っ張って抜いてくれる。
「ふふ、猫ちゃんてば自分で出られなかったのねぇ。お腹が引っかかっちゃったかしら」
くすくす笑う搭子。失礼な。引っかかったのは腹ではなく尻だ。
私を抱いたまま笑う搭子に、黙っていた夏目が勢いよく頭を下げた。
「本当に、すいません!俺、先生が走ってきてるの知ってたのに、強引に閉めちゃって………」
「いいのよ。タイミングが悪かったのね。けど、うまいことすっぽりはまってたわよねぇ」
言いながらまた笑う。笑いすぎじゃないのか。

そうして、夕食ができて、滋が帰ってきて。
夏目は滋にもひたすら謝っていた。顔色はまだ白く、指先が震えている。
滋は謝罪に首を振り、そんなに気にすることじゃないと笑顔を向けた。
「それにしても、見たかったなぁ。ニャンゴローがはまって抜けなくなってるところ」
「ふふふ、おかしかったのよ。手足ばたばたして。写真撮っとけばよかったわ」
思い出してまた笑い出す搭子と一緒に笑った滋は、飯に手が出せないでいる夏目を気遣うように見ている。

そこまで、気にすることだろうか。
まぁ障子を破壊してしまったのはまずかったが、二人とも全然気にしてない様子なのに。

夏目はまだ、迷惑をかけたら追い出されるなんて思っているのだろうか。
この二人にとっては、息子と飼い猫がちょっとやんちゃをしてしまった、という程度のことで、迷惑どころか
『うちの息子が、猫と障子を壊してしまった。困ったなぁははは』
そんな調子で、かえって嬉しそうに見えた。
夏目にはわからないのだろうか。
二人とも、夏目を本当に大事にしているのに。
障子のひとつや二つ、壊したくらいでは揺るがないのに。

部屋に戻り、一枚だけ色の違う障子を眺めた。夏目のいる部屋の障子や襖は貼り替えをしているが、二階の他の部屋は使っていない状態のため、障子紙もそのままだ。薄い茶色に変色しているそれを、夏目はじっと見つめている。
「夏目、」
声をかけるとはっとしたように私を見て、それから俯いてしまった。
「もう気にするな、と滋も言ってただろう」
側へ行って膝をぽんと叩く。
「それより、話の続きだが。おまえ最近、よくなにか言いかけるが、いったいなにが言いたいのだ」
「……………………」

簡単には返事はこないだろうと思っていたが、こんな顔をされるとは思ってなかった。

泣きそうな顔。

唇をぎゅっと結んだまま、眉を下げて。握りしめた手はまだ震えている。

「夏目?」

「…………迷惑、かけたら…………追い出されそうで…………」

「なんだ、そんなことか。大丈夫だ、二人ともおまえのすることを迷惑だなんて思ってない」

「……………違う。俺を追い出せば、世間体とか、なんかいろいろあるから、追い出したりできないだろう………けど、猫はそんなの関係ないから」

「にゃ?」

私か?
私の心配をしているのか?

「アホだなおまえは。私は元々、山に住んでいたんだぞ。ここを出てもなんとでもなる。くだらんことを気にしてないで、話の続きを……」

「くだらなくなんかないだろ!」

顔をあげた夏目の瞳から、涙が溢れて落ちた。

「先生は俺と離れても平気かもしれないけど!俺は嫌なんだ!先生がいないと、…………ダメなんだ」

「いや、用心棒はしてやるから。だから安心しろ、そして泣くな」

なぜ夏目が泣いているのか理解できない私は、ひたすら焦った。妖の心配をしているのなら無用だ、一緒に暮らしていなくても用心棒くらいできる。

けれど夏目は強く首を振る。

「用心棒なんかどうでもいい!先生と一緒にごはん食べたり、一緒に寝たりできなくなったら、………俺…………」

俯いた夏目から、また涙がぽたりと落ちる。

「俺、………ひとりじゃ、生きていけない………………」

「…………………」

滋と搭子がいるのだから、ひとりではないだろう。
そう言おうとしてやめた。夏目が言っているのは、そういうことではない。

というか。

えーと。
私は夏目に、いつそこまで想われるようになったのだろうか。

「………言いかけてやめてたの、それなんだ」

小さな声。私は聞き逃すまいと、必死で耳をそちらに向けて立てた。今なにかひとつでも聞き逃したら、あとで腹の毛をむしられそうな気がする。

「先生のこと、好きなんだ。黙ってるの苦しいから言おうとするんだけど、先生は俺のこと、そんなふうには見てないって知ってるから、勇気が出なくて………」

好きというなら、私も夏目のことは好きだ。
だが、そういう好きとは意味が違うらしい。

「私のつがいになりたいと、そういうことか?」

「そんなこと思ってない。無理だってわかってる。でも、好きなのはどうしようもないじゃないか」

真っ白になっていた顔を今度は真っ赤に染めて、夏目が睨むように私を見た。

「毎日、好きになるんだ。なにをしてても、なにを言っても。だからどうにか止めたくて、メタボなとことか飲んべなとことか意地汚くて我が儘なとことか、先生の欠点を並べてみるけど、やっぱりダメなんだ。どうやっても好きなんだ。先生のせいだぞバカニャンコ!」

好きと言う割には悪口が淀みなく出てくるのはなぜなんだ。

だが。

ふむ、と考えてみた。
私は確かに今まで夏目をそういう対象としては見たことがなかった。夏目はヒトで、強い妖力を持ちながらもヒトの世界に溶け込もうと努力している。妖の私とは、住む世界が全く違う。だから考えもしなかった。

夏目を、私のつがいに。

ふむふむ。悪くはないかもしれぬ。見目は美しいのだし、力もそれなり。連れ合いとするなら、夏目のような者こそ私に相応しいと言える。



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