駄文帳

□あなただけ見つめてる
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翌朝。
早朝に訪ねた私を、夏目が寝ぼけ眼で出迎えてくれた。
「ほら、忘れ物だよ」
箱と紐を差し出すと、夏目は微妙な顔になる。
「これ、もう中身ないんじゃないか?」
「呪いは霧になって消えたからね。でも、蓋を閉めて紐をかけておけばヒトにはわからない。家族の形見なんだろう?返しておいてやりな」
「そうだね。ありがとう」
微笑んだ夏目が、元通り紐を結んだ。古びた箱からはもうなんの気配もしないが、まじないをかけたヒトの匂いはまだ残っている。
そんなもの、ヒトの子にわかるわけもないのだけど。
「それよりさぁ、ヒノエ」
箱を机の上に置いた夏目が、私に改めて向き直った。
「昨日、俺どうなったんだ?気がついたら部屋で寝てるし、先生はなんにも教えてくれないし」
むくれた顔の夏目の向こうで、斑はまだ布団の上に丸くなっている。
「先生、貧血なんだって。怪我をしたんなら手当てしなきゃなのに、丸まったきりで触らせてくれないんだ」
ああ、貧血ね。そうだろうね。
「心配しなくていいよ。ほっときゃそのうち治るさ」
「そうかな………」
「怪我はしてないから、大丈夫だよ」
「………怪我じゃないのに、貧血?先生、病気なのか?」
「バカだね、妖が病気なんかになるもんかい。気にしなくていいから、着替えて飯食ってきな」
「………うん」
階下からは、塔子とかいう夏目の養い親が呼ぶ声が聞こえている。優しい声と食事の匂い。夏目はちらちらと豚を気にしながらも、呼びかけに返事をして部屋を出て行った。
「斑、あんたも行きな。貧血は飯食って寝るのが一番だよ」
「………………」
狸寝入りを決め込んでいた斑が、渋々立ち上がる。顔色も悪いし、足がふらつくようだ。
「一晩いい思いをしたんだから、それくらい踏ん張りな、斑」
「…………いい思い、って、なぁ…………」
怒る気力もないらしい斑が、ため息をつく。
「あれは、生殺しというやつだ…………」
斑はふらふらと部屋を出た。すぐに階段で派手な音がする。
「わー!先生、大丈夫か!?」
夏目の慌てた声。どうやら階段から落ちたらしい。


じつは昨夜、皆で様子を見に行ったんだ。どうしても気になると言い張る中級たちに頷いた三篠に便乗して、斑の元ねぐらだという洞窟に案内してもらった。
深い山奥の、さらに深い谷底に開いた洞窟。側に行くと、中から賑やかに騒ぐ声が聞こえてきた。
斑の張る結界は、皆知っての通りの雑なもの。性格がよくわかるその結界を簡単にくぐり抜け、中を覗いて見ると。

「にゃあ」
「にゃあじゃない。斑だ」
「にゃーん?」
「だから、斑だと言ってるだろう」

どうやら夏目に名を呼ばせたい様子。
あんな状態の夏目に名前を呼ばせて、どうするつもりなんだか。

「あっ、こら。あんまり近づくなと言ってるだろうが!」
焦る斑にお構いなしに、夏目は顔にべったり張り付いている。耳が気にいったようで、そればかり触る夏目に斑も諦め顔で。
「どうなっても知らんぞ」
頬を赤くしてそう脅す斑に、夏目がにっこりして、
「にゃあ」
笑う口元からは小さな牙がのぞいていて、それを見た斑がまた鼻を押さえてよそを向く。
そうしているうちに、夏目は眠くなったらしい。猫は一日のほとんどを眠って過ごすというから、今の夏目もそうなのだろう。斑の胸元に潜り込み、首の毛をくいくい引っ張る。
「にゃ」
「あ?………くそ、もう寝てしまえ。いいか、起きるなよ?鳴くなよ?そんで笑うなよ?わかったか」
「にゃん」
「鳴くなと言っただろうが!可愛すぎてどうしていいかわからんだろう、アホが!」
斑はもう半分泣き声になっている。けれど夏目にはそれはわからない。首を傾げ、じっと斑を見上げてからまたひと声。
「にゃあ!」
「ぐふ」
洞窟が赤く染まる。スプラッタなホラー映画の舞台になってしまったそこで、白い毛皮まで赤く染めた斑が夏目を抱きこんで尻尾で包んだ。
「…………頼むから、早く元に戻ってくれ…………」
斑のあんな弱々しい声、初めて聞いた。

元に戻った夏目をくわえた斑が空を駆けて家に帰ったのは、もう夜が明ける頃だった。いつもの原っぱで酒盛りしながらそれを見た私たちは、斑の体力に驚いた。よくまぁあれだけ出血しておいて、飛ぶ力が残っていたものだ。
けれどそれは、体力というより気力とか意地とかによるものだったのかもしれない。
そしてそれは、斑の最後の力だったようで。


「ヒノエ!よかった、まだいてくれたんだ!」
夏目が斑を抱えて部屋に駆け込んできた。
「先生が階段から落ちちゃって!頭でも打ったのかな、目を開けてくれないんだ!」
青白い斑を布団に横たえて、私を見る夏目。

愛する者を心配して不安に揺れる夏目は、とてもきれいで、とても可愛らしい。

「大丈夫、どこも打ってないよ」
言えば安心して微笑むその顔は、蕾がゆっくりと開く様にも似ていて。

「飯はここに運んでやりな。食わせて寝かせてりゃ元気になるよ」
ひと晩いろいろ耐えて頑張った斑に、褒美のつもりでそう言ってから。
「ああ、あんたがついててやったら、きっと治りが早いよ」
「俺が?」
「そう。ずっと側にいて、なんなら添い寝してやってもいいんじゃないかね」
夏目にこんなに愛されている斑に、嫉妬混じりの嫌がらせ。

だって、本能しかなくなった猫の夏目は、斑しか見てなかったんだから。

あの笑顔も鳴き声も、斑だけのものだったんだから。

ちょっとくらいの嫌がらせは、勘弁してくれてもいいじゃないか。

「ヒノエ………貴様、私の血を残らず全部搾り取るつもりなのか………」
聞いていたらしい斑が呟くように文句を言うが、無視。




じゃあね、と夏目の部屋を出て、森へと帰る足を、ふと止めた。
前から来るのは、タキと田沼だ。手土産らしきものを持って、おしゃべりしながら歩いてくる。

すれ違ってから振り向いて、考える。

猫になるまじないなんて、あの娘の祖父はなんでそんなものを作ったんだろう。

なんとなく気になったので、ついて行ってまた夏目の部屋に戻ったら、タキが斑を抱きしめているのが見えた。

「いやーんつるふか!弱ってる先生も、超可愛いー!」
「ぐぇぇぇ!」

断末魔みたいな斑の悲鳴を聞きながら、ただの猫好きかと納得。
まじないの中身も結果も知らぬまま、興味だけで作ったのだろう。ヒトというのは恐ろしい。ときに妖すら超える力を発揮するときがあるのだから。


けど、あの耳と尻尾。

なくなったのは、ちょっと惜しかったねぇ。




END,
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