駄文帳

□もしも、のお話
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◆◆もしも…………夏目くんが車の免許を取ったら。



「見せて見せて!まぁ、イケメンに撮れてるじゃない」
運転免許証という小さなカードのようなものを夏目から受け取って、塔子がはしゃいだ声をあげる。夏目は照れくさそうに目を伏せて、ありがとうございますと呟いた。
「貴志、さっそく乗ってみなさい」
ほらほら、と滋が車の鍵を手渡す。夏目の免許取得に合わせ、二人がわざわざ買った新車だ。
「え、でも………」
遠慮しようとする夏目の背を押すようにして外へと連れ出した二人は、車と夏目を並べてまずパチリ。それからおずおずと運転席に座った夏目をまたパチリ。そしてそれを傍観していた私を夏目の膝にひょいと載せ、またパチリ。何枚記念写真を撮る気なんだ。
「ほら貴志、エンジンかけて」
「いいんですか?滋さんの車なんだから、滋さんが」
「なに言ってるんだ。運転は慣れなんだから、しっかり乗らないと上手くならないぞ」
そのあたりをドライブしておいで、と滋がドアを閉める。
………いや待て。私が乗ったままなんだが。
「緊張するなぁ……教官がいないのに乗るの、初めてだしなぁ」
なんか聞こえる。つまりおまえ、一人で運転するのは初めてだということなのか。
「ちょっと待て、夏目。私が降りてから」
「え?なんか言った?」
にっこりと見下ろしてくる夏目。すでにエンジンは軽快に唸っていて、いつでも発進できますよという構え。
「先生もシートベルトつけて。はい、できた。じゃ、行こうか」
手を伸ばしてきた夏目によって、ベルトで座席に固定されてしまった。助手席の窓から覗いた塔子が、あら可愛い!なんて言ってまたシャッターを押している。
「そのへん一周してきます」
「ああ、気をつけてな」
にこにこ笑顔の滋と塔子が見守る中、陽光にきらめく初心者マークをつけた軽自動車が、ゆっくりと庭から車道へ出て走り始めた。

「俺さぁ、免許ほしかったんだよね」
ハンドルを握った夏目が、嬉しそうに言う。
「いつも先生に乗せてもらってただろ?今度からは、俺が先生を乗せていろんなとこに連れてってやるからな」
「そうか……いや、ありがたいが私は」
「ほんと?先生が喜んでくれるんなら、俺嬉しいな。頑張った甲斐があったよ」
「………………………」
遠慮する、というひとことが言えなくなって、黙った。
夏目が免許を取得する費用を作るために必死でバイトしていたのは知っている。それが私のためだなんて、嬉しい。本当に、心からそう思う。
けれど、それとこれとは別だ。
生まれて初めて乗せられた車という箱の中で、縛りつけられた状態でまわりもよく見えない。見上げた窓から見える外の景色は猫の姿の私が走るよりずっと速く流れていって、そんなスピードなのに椅子に固定されたまま身動きもできず、ただ硬直して座っているだけ。
他人任せで高速で走るということが、こんなに怖いものだとは知らなかった。
夏目はザ・ベストオブ初心者だから、そこまでスピードは出していないはず。はずなのだが、私も慣れないせいで何倍も速く感じてしまう。
「な、夏目。すまんがもう少しスピードを落として……」
「今話しかけないで!気が散る!」
「…………………………」
前方を凝視する夏目の顔は真剣そのもの。時折服に手のひらをこすっているのは、緊張のため手に汗をかいているからだろう。
「えっと、右に曲がるにはまずウインカーを………ウインカーってどれだっけ。これか?」
ハンドルまわりに配置されたレバーをいじる夏目。ガラスを二本の黒い棒がこすり、嫌な音をたてる。
「ワイパーだった。逆か。あ、これこれ」
カッチカッチと規則正しい固い音がし始める。それを聞きながら、ゆっくりハンドルを回す夏目。
「あっ切るの早すぎた。いやいや、その前に安全確認忘れちゃってたよ。えーと他に車は。来てないね。よし」
ふらふらと曲がっていく車。私は車はよく知らないが、道の半分以上まで曲がってから安全を確認するのは遅すぎるのではないかということくらいは想像がつく。
「な、夏目。少し休憩しないか」
「え?なんか言ったかせんせ……あっ!
「うおぉぉ!?」
いきなりの急ブレーキ。ベルトが一気に腹に食い込んできて、昼に食ったもの全部出るところだった。
「どうした夏目!」
「いや、妖が」
「は?」
小さな妖が道を横切っていたらしい。
「そんなもん、いちいち構うな!」
「ダメだよ、轢いたらどうすんだ!あんな小さいの、絶対即死だよ!」
「妖をあんまり甘くみるな!これくらいでいちいち死んでちゃ、現代の車社会で生きていけないだろうが!」
避けるなり消えるなり、小さいなりにどうにか回避するはずだ。妖が横切るたびに急ブレーキを踏まれては、妖より先に私の肋骨がどうにかなってしまう。
「そうか。現代に適応してるんだな、妖って」
「当たり前だ。都会にも妖はいくらでもいるんだぞ。車を避けることができなければ、道路は血まみれの死体だらけだ」
「怖いこと言うなよ。………でも確かに、車にはねられた妖なんて聞いたことがないな」
ようやく納得して頷いた夏目にほっとして、体勢を立て直そうと身を捩る。
「だからな夏目、少し休憩をだな。おまえもまだ慣れてないわけだから、」
「あっ!」
「ぐえぁぁぉ!」
またしても激しいブレーキ音がして、私はベルトで首を思い切り締められた。
「今度はなんだ!」
「いや、中級たちが」
夏目が指差す前方を見る。釣った魚を紐で吊した中級たちが、道のど真ん中をのんびり歩いている。
「遠慮するな夏目!ストライクを狙え!」
「ボウリングじゃないだろ!けど、困ったな。他の人には見えないんだからクラクション鳴らすわけにもいかないし」
「ええいくそ、ちょっと待ってろ!」
窓を開けて外へ飛び出し、驚いて振り向く中級たちに襲いかかる。貴様らのおかげで吊りたくもない首を吊って死にかけたんだぞ、私の苦痛を思い知れ。
悲鳴をあげて逃げていく中級たちの頭にかじりつき、尻尾の毛をむしり、魚を全部奪い取りひと息に飲み込んで、ようやく気がすんだ私は車に戻った。
シートに座り、夏目に再度休憩を促そうとして、はっと気づく。
いま、外に出たんだった。
なんでそのまま逃げなかったんだろう。私のバカ。
今更逃げ出すこともできず、だからって腹や首を締め上げてくるベルトをまたつける気にもならず、考えた挙げ句に後ろのシートに移った。ここならベルトとやらはいらないに違いない。
「先生、後ろもベルトは締めたほうがいいんだって。つけ方わかる?」
なん…………だと…………?
「ええい男のくせに細かいことをぐちぐちと!いいから、さっさと車を出せ!そんでどっか広いところに停まって休憩を、」
「しょうがないなぁもう」
「ごふっ!」
私が言い終わらないうちに、夏目が車を発進させた。私の体が吹っ飛び、シートの背に背中を強打。
「おま、もうちょっとゆっくり」
「あっ!」
キキー!
三度目の急ブレーキの音を聞きながら、私はそのまま前へ向かって飛んだ。運転席と助手席の間をきれいに抜け、ガラスにびたんと顔面からぶつかり、もんどり打ちながら床へ落下して腰を打つ。
「………ぐぬぬ………こ、今度はなんだ」
「タキと田沼だ。おーい、二人とも!こっちこっち!」
車を道の端に寄せて停めた夏目が、ドアを開けて手を振りながら降りていく。
「…………友人を見かけたくらいで、急ブレーキはないだろう…………」
床にへたり込んで悶絶しつつ文句を言うが、夏目はすでに駆け寄ってきた二人と外でおしゃべりを始めていて、聞いてくれる様子はない。
とりあえず後ろの椅子に座ってもシートベルトはするべきだ、と心底反省した私だった。




「おかえりなさい貴志くん!あら、田沼くんにタキさんまで」
出迎えた塔子に、夏目が嬉しそうな顔で運転席から降りた。
「途中で会ったんです。うちへ遊びに来るところだったみたいなので、連れてきちゃいました」
「こんにちは」
「お邪魔しまーす」
夏目に続いて降りた二人が口々に挨拶をし、笑顔の塔子に連れられて玄関へ入っていく。
「先生、大丈夫か?」
残った夏目が、私を抱き上げてドアを閉めた。鍵をかけ、それを大切そうにポケットに入れ、改めて私を見る。
「車酔いするタチなら、そう言ってくれたらいいのに」
「……いや…………ああ、うん」
言おうとして、やめた。

運転に向いてないんじゃないか、なんて、きっと傷つくに決まっているから。

「…………あまり、急ブレーキはかけないほうがいいと思うぞ」

かわりにそう言うと、夏目はにこにこと頷いた。

「頑張ってたくさん練習するよ。だから先生、付き合ってくれるよね?」

アホ。命がいくつあっても足らんわ。

とは夏目の笑顔に向かって言えるはずもなく。

「…………なるべく早く、上手くなってくれ………」

それだけ言ってから、夏目の腕の中で丸くなるのがやっとだった。




END,
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