駄文帳

□もしも、のお話
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◆◆◆もしも…………塔子さんが、ものすごくおっちょこちょいで忘れっぽかったら。



居間の縁側で日向ぼっこしながら、先生と猫じゃらしで遊んでいたら、廊下から塔子さんが顔を覗かせた。
「お買い物行ってくるわね」
「はい、気をつけて」
塔子さんはにっこりして廊下の向こうに消えた。すぐに玄関を開けて、そして閉める音がする。
二人きりになって、先生が座り直して俺を見上げた。
「話の続きだがな、夏目」
「あ、………うん」
ちょっとどきっとしながら、目を逸らして頷く。平静を装おうとするけど、頬が勝手に熱くなっていくのはどうにもならなかった。

先生との微妙な関係は、もう一年近く続いている。
俺は先生が大好きなんだ。これは友人や家族に感じる好意とは違う。恋愛とかしたことないけど、多分この気持ちがそれなんだろうと思ってる。
先生も俺のことはすごく大事にしてくれる。やきもち焼いたりしてくれるし、俺が危ないときは命がけで助けてくれる。多分、好きでいてくれてると思う。
けれど言えないのは、怖いからだ。もし先生の好きが俺の好きと違っていたら。そんなつもりはなかったと言われてしまったら。そんなことになったら、そのあと一緒に居るのが辛くなってしまう。
気まずくなるくらいなら、このままで。
そんな気持ちで、今まで過ごしてきた。
けれど、好きという気持ちはどんどん大きくなる。先生の存在が俺の中で大きくなればなるほど、苦しくなってしまうんだ。
態度だけじゃ足りない。言葉がほしい。じゃれ合うのとは違う意味で、触れてほしいし、触れたい。
そんな感じで俺がもうそろそろ限界だと思っていたとき、先生も同じことを考えていたようで。

いい加減、一歩先へ進みたい。
曖昧なままでごまかせる時期は、もうとっくに過ぎた。

なので昨日からそういう話をしようとするんだけど、いざ口に出そうとすると、どうにも難しい。照れもあるし、やっぱり少し怖くて。それは先生も同様で、お互い言葉を濁してばかりで全然話が進まない。
今まで、一番親しい友人という立場にいたんだ。それでずっと付き合ってきたのに、それをいったん壊して別の関係に作り替えることが、こんなにも勇気が必要だとは思わなかった。

「………おまえの気持ちが、はっきり聞きたい」
先生はいつになく緊張した様子で、固まったみたいに身動きもせずに俺を見つめている。
「………えっと。お、俺の気持ちはともかく、先生はどうなんだよ。俺だって、先生からはっきり」

そこまで言ったとき、玄関が開く音がした。

「やだわぁ、エコバッグ忘れちゃった」

開けたままの障子の向こうの廊下を、塔子さんがぱたぱたと走っていく。

「………………」
「………………」

沈黙した俺たちが見ていると、すぐに戻ってきた塔子さんがまたにっこり笑顔を向けてくれてから玄関へ向かった。
開ける音。すぐに閉める音。
再び二人きりになって、先生が咳払いする。
「………えーと。どこまで話したっけ」
「えーと。………あ、そう。先生の気持ちをはっきり聞きたいってとこまで」
「私の気持ちなんぞ、もうわかっているだろう」
わかってるつもりだけど、やっぱりちゃんと聞きたいじゃないか。もし間違ってたら立ち直れなくなるし。そう思って口を開き、
「でも、」

そう言ったとき、また玄関が開く音。

「やだわぁ、お財布忘れてた」

ぱたぱた走る塔子さん。

「じゃ、今度こそ行ってくるわね」

笑顔のあと、玄関の扉の音。

「………大丈夫なのか」

「うん………多分」

塔子さんはどうもそそっかしいみたいで、よく忘れ物をする。エコバッグも財布も忘れてたってことは、最初は手ぶらで出かけたってこと?買い物って自分で言ってたのに?

「まぁでも財布を持って出れば、大丈夫じゃないかな。少なくとも買い物はできるわけだし」
「そうだな」
うんうん頷き合って、それからまた向き直る。どちらも、もう限界なんだ。今日、今、決着をつけたい。その覚悟で、お互いの目を見つめて、
「えーと、どこまで話したっけ」
「えーと。そう、私の気持ちはおまえもすでに知っているはずだから、それはおいといて。おまえの私に対する気持ちを、」
「おいとけないよ。なんとなく態度でわかるってだけで、ちゃんと言われてないもん」
「言わなくても。私があんな態度をとるのはおまえにだけなんだから、」

そこでまた玄関が開く音。そして塔子さんが廊下をぱたぱたと走っていく。

「やだわぁ、お買い物メモを忘れちゃったわぁ」

台所へ行き、また戻ってきて、ちらっと笑顔を見せてくれてから玄関へと走る塔子さん。そして扉が開閉する音。

「…………今度はメモか………」

かなり心配そうな顔で呟く先生。

「いや、でもエコバッグと財布とメモ。これだけあれば大丈夫か?」

「多分。だって、買い物に必要なものってそれくらいだよね?」

俺の声にも不安が滲む。
けれど、他にはもうないはずだ。大丈夫だろう。きっと。多分。

「えーと…………あ、そうそう。態度って言うなら、先生だって俺の気持ちくらい察してるんじゃないのか?」
「おお、そうそう。そういう話だったな。いや、おまえの気持ちは言ってくれぬ限りわからん。多分、なんていう曖昧なものでは困るからな」
「ずるいよ。俺だって、先生からはっきり聞きたい」
「私だって、おまえからちゃんと聞きたいぞ」
「………俺は、」

そこまで言ったとき、またしても玄関から音が。

そしてぱたぱた走る音。

「やだわぁもう、これを忘れるなんて」

独り言が聞こえて、先生と顔を見合わせた。

エコバッグ、財布、メモ。

まだ他にも、買い物に必要なものがあったのか。

「あの、塔子さん。なにを忘れたんですか?俺、なにか手伝いましょうか」

声をかけると、大丈夫よーと答える声が台所よりもさらに奥から聞こえてくる。

「じつはねぇ、私ったらスカート忘れちゃってたの」

「…………………は?」

スカート?
持っていくの?
え。普通、女の人って買い物にスカート持って行ってるの?

「違うわよ」

奥から出てきた塔子さんが、にっこりして手を振る。

「はくの忘れてたの」

えええええ!!

じゃあね、と出て行く塔子さん。
残されて呆然とする俺たち。

「…………すごいもの忘れてたんだな」

「いやいや。そそっかしいとかいうレベルじゃないだろう。大丈夫なのか、スカートしか身につけてないなんてことはないだろうな」

いくらなんでも、それはないんじゃないかな。

けれど、塔子さん一人で買い物に行かせることがものすごく不安になってきて、いてもたってもいられなくなってしまった。

勢いよく立ち上がる。先生が先に玄関へと駆けていく。
それを追い、靴をはいて玄関の扉に手をかけて、先生のほうを見た。先生も俺を見つめている。

今日、今、決着をつけなくては、また明日からぐだぐだになってしまいそうな気がする。
曖昧なままでごまかせるような、二人ともそんな軽い気持ちは持ってないんだ。

でも。今塔子さんを追わなくては、なんかまだ大変なことをしそうな気がする。ていうかスカートはき忘れてたってことだけでもう充分大変だ。そんな姿でどれくらいの距離を歩いたんだろう。誰かに会ったりしてなきゃいいけど。

「夏目!私はおまえが好きだぞ!」
「俺も、先生のこと好きだ!」
「じゃあ今日から私たちは恋人同士ということだな!」
「うん、よろしく!」

怒鳴るように言い合って、これで話はすんだ。

「よし、塔子を追うぞ!まだそのへんにいるはずだ!」
「急ぐぞ先生!」

外へ出て玄関の鍵を閉め、先生を肩に乗せて走る。すぐに塔子さんの後ろ姿が見えてきた。よかった、ちゃんと着てる。
ていうか割烹着着たまんまだ。多分、そのせいでスカートをはいてないことに気づかなかったんだろう。いや普通気づくと思うけど。

走って追いつき、一緒に歩き出す。一人で大丈夫なのに、なんて笑う塔子さんはずっとずっと年上なのに、とても可愛く見えて。
自分の気持ちがすっきりしているせいだろうな、と思うと、なんだか照れくさくなってくる。

考えてたのとは違う告白の仕方だったけど。でもまぁ、告白は告白なんだし、先生とちゃんと付き合うことになったのは確かなんだし。
それにこんなことでもなければ、きっと今もまだ縁側に座って、進まない話し合いにイライラしていただろうし。

「ありがとう、塔子さん」
「え?あら、買い物に付き合ってくれて、お礼を言うのは私のほうよ?」
目をぱちぱちさせて驚く塔子さんに、ごまかすように笑ったら、肩にいる先生が小さくくすっと笑う気配がした。



END,
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