駄文帳

□春の雪
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そっと玄関を開けて、外に出た。
よく晴れていて、月が眩しい。青白い光で、庭が隅々までくっきり見渡せた。
「なにもいない、か?」
「いや、隠れたのかもしれない。油断しないで行こう」
リーダーシップのある北本が、すっかりその場を仕切っている。その背中にくっつくようにして歩いている西村が、ぶるっと体を震わせた。
「夜はやっぱ冷えるなぁ。なんか着てくればよかった」
そう言いながらも、上着を取りに戻るのは怖いらしい。柴田も田沼も頷くけれど、誰も戻ろうとは言わなかった。

庭を一周する頃には、体が冷え切っていた。がたがた震える皆の口元では、吐く息が煙のように白くなって消えていく。
「とりあえず、いったん戻ろうか?」
声をかけてみたけど、皆無言。前を見つめるだけで、震えながらも歩くのをやめようとしない。

そうだ。
皆、歩き始めてからずっと黙ったままだ。

俺はもう一度まわりを見回した。
草木に白い霜がおりている。庭の周囲は濃い霧が包んでいて、塀のすぐ向こうにあるはずの森も山も見えなくなっていた。

ちらりと、視界を掠めるものがある。
やがてぱらぱらと舞い始めたのは、雪。
空は晴れていて、月が輝いているのに。

「せ、先生」
「………来るぞ、夏目」
腕の中の先生が、身を固くして庭の片隅を見つめている。俺もそこに目を向けると、ぼんやりと空間が揺らめいているのがわかった。
「まずい、皆が………」
慌てて振り向く。
皆は、いつの間にか倒れて気を失っていた。
「田沼!北本!西村……!」
駆け寄って様子を見る。皆気絶しているだけで、生きているようだ。
「柴田……………」
柴田は持ってきた枕に頭を載せて気絶している。なんて用意のいいやつなんだ。
けど、雪が降る中に転がしておくわけにはいかない。よくて風邪、悪くすれば凍死だ。
「え。いや、なんで雪?」
今は春。しかも夏日が続いていて、夜でも上着なんかいらないほどなのに。
「奴の仕業だろう」
先生が顎で指した先には、女の人が立っていた。

「………誰だ?妖か?」
立ち上がって女の人と向かい合った。先生を両手で抱え、必要とあらばいつでもぶん投げることができる構えだ。
女の人はなにも答えず、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
しゃりしゃりと足音が響く。女の人が歩くそこから草は凍っていき、踏まれて砕けた。
俺の横を通り過ぎた女の人は、倒れた皆の側にしゃがみ込んだ。一人ずつ顔を見つめて、なにか呟いている。
「………違う。この人も違う。………この人も…………って、この人が頭に敷いてるものはなんなのかしら」
ツッコミ待ちだろうか。
「…………違う。やっぱり、ここにもいなかった…………」
立ち上がった女の人が、俺を見る。
「………あなた、私が見えるの?」
「…………………」
答えないでいる間に、女の人は俺にどんどん近づいてくる。
「どうして起きてるの?術が効かない人間なんて初めてだわ」
間近で俺の目を覗き込んで、女の人は囁くような声で言った。
「ねぇ、あなたは知らない?あの人がどこへ行ったのか」
吐息が凍えるように冷たい。雪が吹雪になって降り積もっていく。
「ずっとずっと探してるの。どこにもいないの。みんな、違うの」
縋るような声。
それに合わせるように、周囲の気温も下がっていく。
まばたきをすると、俺のまつげが凍っているのがわかった。感覚はないけど、きっと髪も服も真っ白に凍りついているんだろう。
「ねぇ、教えてよ。どこにいるの?どうして出てきてくれないの?」
悲鳴みたいな声を、絞るように出す女の人。こんなに近くにいるのに、顔はぼやけてよく見えない。

どうしよう。
女の人を殴るなんてできない。
先生をぶん投げるのも、なんかちょっと悪い気がする。

けれど、早くなんとかしなければ。皆、あのままでは死んでしまう。

考えていたら、ふと腕が軽くなった。

そうして、女の人の叫び声。

「いやぁぁ!饅頭が噛みついたー!」

見ると、先生が女の人の頭にかじりついていた。

「………あの。すいません、うちの猫が…………」
「いいのよ。私も不躾だったわ、初対面の人にものを尋ねるのにあんな態度で」
庭にあった大きな石に並んで腰掛けて、まだ威嚇を続ける先生をどうにか抱き込んでから頭を下げる。女の人も、少し落ち着いたようだった。雪が小降りになっている。
「私、ずっと北のほうから来たの。人を探しているんだけど、見つからなくて」
「誰を探してるんですか?」
「名前は知らないの。ずぅっと昔、一度だけ会った人なんだけどね」
女の人は嬉しそうに微笑んだ。
「話を聞いてもらうなんて初めてだわ。あのね、その人も私が見える人だったの。それで、二人でいろんな話をしたわ。遠いところから旅をしてきて、今からもっと遠いところに行くって言ってた」
「遠いところって、どこですか?」
「わからない。私、よそに行ったことがなかったから。あの人の話は面白くて、楽しくて。私、どこにも行かないでってお願いしたのよ。ここにいて、って」
「…………………」
「でも、どうしても行かなきゃいけないからって言われて。一緒に行こうって言ってくれたのに、私行かなかったの。外に出るのが怖くて、行けなかったのよ。だって、外は暑くて、私なんかすぐ溶けて消えてしまうって聞いてたから」
「おまえは、雪の妖か」
先生の問いかけに、女の人は小さく頷いてからこっちを見た。
「このあたりでは、猫は皆饅頭型をしてるの?しかもいきなり噛みつくとか、超凶暴なんですけど」
超がついた。どっかで女子高生がおしゃべりするのを聞いたんだろうか。
「この高貴な私をつかまえて、饅頭型とはなんだ!ていうかおまえが私のものに勝手に近づくからだろうが!こいつは私のものだ、余計なちょっかいかけたら今度はマジで喰うからな!」
ばたばた暴れる先生と俺を見比べるようにして、女の人が眉を潜める。
「やだ、あなたもしかしてこの饅頭の妖のつがいなの?趣味悪すぎない?もし無理やりなら、私がこれを凍らせてあげてもいいのよ?」
「いや、えっと。そういう意味じゃないんで………」
苦笑して首を振ると、女の人は不思議そうな顔をした。
「あら。誰かを自分のものだと言う場合、そういう意味で言うものじゃないかしら。それとも饅頭の片思いなの?」
か、片思いって。
そんな意味じゃないと思う。先生にとって、俺はただの保存食なんだ。友人帳を持ってるから、まだ食べずに置いてるだけなんだ。
一生懸命首を振る俺にくすっと笑った女の人が、先生を見た。
「おんなじね。私も、片思いなんだもん」
「………ふん。一緒にするなと言いたいところだが、おまえ。探してる相手というのは人間なのか」
先生の言葉に、うんと頷く女の人。
「そいつと別れて、どれくらいになる?」
それにはしばらく考えて、両手を出して数えて、
「二百年くらいかしら」
……………えっ。
「そりゃ見つからん。相手はとっくに死んでるぞ」
「………………………」
女の人は黙ってしまった。
「先生!ちょっと、もう少しオブラートにくるんだ言い方できないのか!?」
焦って先生の丸い頭をつついたけど、そんなことで反省するような先生じゃない。
「当たり前のことを言っただけだろうが。いくら長生きの人間でも百年そこそこなんだ。二百年なんて、孫すら生きてないかもしれんぞ」
「そう、だけど………」

二百年。
人間がそんなに長く生きるなんて、できるわけない。
それは人間も承知の上。妖だって皆知ってる。

知ってるなら、この人も知ってるんじゃないか。

わかっていて、探しているのか。

「ま、それでも一緒になりたければ、おまえもあの世に行くことだな。そしたら見つかるんじゃないか?」

突き放すような先生の言葉に、女の人は俯いてしまって。

どう言えば慰めることができるかと、考えていたとき。

「…………私も、そう思ったわよ」

呟くように、女の人が言った。

「でも、行ったら遅かった。あの人、生まれ変わっちゃってた。だから探してるのよ。探して、今度こそ一緒について行くの」

行ったら、って言った?今。

「ずっと探したわ!もう、行ってない場所なんかどこにもないってくらい、いろんなところを探したの!なんで見つからないの!?なんで私のこと待っててくれないの!?なんで!」

女の人の周囲を、真っ黒な霧が取り囲む。

「先生、」

「近づくな夏目。もう悪霊といってもいいくらいのとこまで来ているようだ」

先生が元の姿に戻った。それだけなのに、まわりの雪が溶けて消えていく。女の人が怯んだように後退った。

「いい加減にしろ。そいつが生まれ変わったにしろ、それももうとっくに死んでる。諦めてさっさと成仏するんだな」

「余計なお世話よ!あんただって似たようなもんじゃない!その人間に全っ然相手にされてないくせに!それでも一緒にいたくて、しがみついてるくせに!」

「…………………」

なにか言い返すかと思ったのに、先生は黙ったまま。

え。まさかほんとなの。
この妖幽霊が言ってるの、本当なのか?



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