駄文帳
□きみを待つのも、悪くない
1ページ/1ページ
時計のアラームが鳴って、びくんとして振り向く。出かける時間だ。
立ち上がってから、意味なく自分の姿を見下ろした。いつも着てる服。別にどっか遠出するわけじゃないんだから、これでいいはず。
いいはずなんだけど、でも。
焦ってたんすを開けて、他になにかないかと探してみる。けど、最近新しく買った服なんてなくて、どれも見慣れたものばかり。俺が見慣れてるんだから、相手だって見慣れてるはず。それだと、新鮮な感じがしないんじゃないだろうか。
新鮮っていうか、特別感ていうか。
ああ、そんなふうに迷ってたりするから、10分も経過してしまった。急いで出なきゃ間に合わない。
「いってきます!」
靴を履きながら奥へそう声をかけ、塔子さんが顔を出す前に外に飛び出した。
いつもの道を走り、川を渡ったら右へ曲がって、山のほうへ。
もう来てるかな。待たせちゃったかな。待ちくたびれて、一人でどっか行っちゃったりしてないかな。
田んぼの間を抜けて、山へ入る林道の途中にある道祖神の脇にある小さな道へ。それはヒトには見えない、妖だけが使う道。
走りたかったけど、道は上りになっている。初めてのデートに、汗だくで髪を振り乱して駆け込むというのもどうかと思って、そこからは歩いた。
今日は、俺に恋人ができてから、初めての待ち合わせ。
初デート。って、なんかちょっと恥ずかしい響きだけど。
恋人いない歴が年齢と同じな俺にとって、特別な日なんだ。
できれば相手もそう思ってくれていたら嬉しいな。
待ち合わせ場所は、この道を上った奥にある大きな桜の木。もう初夏だから花はもちろん咲いてない。花がなければ誰も来ないので、ちょうどいいからそこにしようと向こうが指定してきたんだ。
二人きりなんて慣れてるのに、誰も来ないからなんて言われてちょっとどきっとした。たいてい二人で一緒にいるけど、二人きりになることを目的にして行動したことなんかなかったんだ。もっと言えばどこに行くにも家から一緒だったから、わざわざ外で待ち合わせするなんてのも初めてのことで。
初めてだらけでどきどきしながら約束の場所に着いて桜の木を見ると、その下にうずくまるまん丸な生き物が見えた。
「遅いぞ夏目!寝てしまうところだったじゃないか!」
駆け寄るなり文句を言われる。先生はいつもと全然変わらなくて、緊張してるのは俺だけかと思うとちょっと悔しい。
「先生はひとっ飛びだろうけど、俺はここまで歩きなんだよ。ちょっとくらい大目にみてくれてもいいじゃんか」
「やっぱ一緒に来ればよかったんだ。おまえが、待ち合わせがしたいって言うから」
「デートしようって言ったのそっちだろ。デートっていうのはまず待ち合わせから始まるもんなんだぞ」
「一緒の家に暮らしてて待ち合わせもくそもあるか」
「一緒に出て一緒に来るなら、それはもうデートじゃなくて散歩っていうんだよ」
ぶつぶつ言う先生に言い返しながら、木の下に座り込む。風が吹いて葉を揺らし、額に浮いた汗を冷やしてくれた。
「喉が乾いた。茶を寄越せ」
膝にもぞもぞして落ち着いた先生が、偉そうに命令してくる。
「お茶をください、だろ先生」
肩にかけてた水筒をおろしながら注意すると、ぷいっと横を向く先生。茶を寄越せなんて、どこの亭主関白様だよ。持ってきたのは俺なんだぞ。
とはいえ先生に弱い俺は、結局水筒の蓋をあけてお茶を注いでやっている。こういうとこをなんとかしなきゃ、この先自分が苦労するってわかってんだけどなぁ。
「ほら、お茶」
「ん」
コップになっている蓋を差し出してやったのに、先生は手を出す様子がない。
「飲ませろってか」
「当たり前だろう。どこの世界にコップを手で持って茶を飲む猫がいるんだ」
「ここに」
こんなときだけ猫に徹するんだから。だったら普段から猫らしく、酒呑んだりつまみにイカを炙ったりしなきゃいいのに。お茶を突き出したまま動かない俺に、仕方なさそうに先生が座り直して手を出した。舌打ちすんな。小さくたってちゃんと聞こえてるんだからな。
風が音をたてて吹き抜ける。揺れてざわめく木々の向こうに広がる空は、真っ青。
「もうすぐ、夏が来るね」
「そうだな」
ため息みたいな声で呟いた俺に、先生も小さく答える。
何度となく繰り返した、ひとりぼっちの夏。
もう俺は、一人じゃないんだ。
膝を見下ろすと、お茶を飲み終えた先生が物足りない顔でコップを眺めている。
「言っとくけど酒は持ってきてないからな」
「ふん、おまえにそこまで期待しとらんわ」
「うわ、可愛くない。そんなこと言うなら、これは俺だけで食べちゃってもいいよね」
「あっそれは七辻屋の包み!中身はなんだ!早く出せ!」
包みを持ったまま高く上げた俺の手を見つめながら、先生が立ち上がって手を伸ばす。届かないと悟ると、ひょいと飛び上がってぼわんと元の姿に戻った。
「ずるいぞ先生!」
難なく包みを奪われて抗議する俺には構わず、先生は器用に爪で包みを開けてしまう。
「どうせ私に買ってきたものなんだから、別にいいだろ。それより、茶。おかわり」
「もー」
包みの中には、整列したおはぎたち。とたんに機嫌がよくなった先生が、爪の先でひとつをつまんで口に入れる。本当に器用だな、あの爪。
「うん、旨い」
頷いてもぐもぐした先生が、もうひとつをつまむ。
「先生、喉に詰まるぞ。ほら、お茶………むご」
言いかけた俺の口に、おはぎが飛び込んできた。
「旨いだろう?」
「………………うん」
俺が買ってきたのに、なんで先生が得意げにドヤ顔してんだ。
また猫になった先生と、桜の木にもたれておはぎを食べる。なんだかデートというよりピクニックみたいだ。
きっと咲いたらきれいだね、この木。
そう言ったら、先生も木を見上げた。
毎年ここで皆で花見をするんだ。次の春にはおまえも連れてきてやろう。
次の春って、来年?
当たり前だ。去年の話をしてどうする。
ふふ、そうだよね。来年、だよね。
笑ってしまった俺に、先生が目を細めて微笑んだ。
来年も、その次も。
これからずっと、毎年。
私はおまえと共に居ると、そう約束したからな。
ひとりぼっちで過ぎてきた季節は、音も色もなかった。
モノクロのフィルターをかけたみたいな景色の中で、うずくまって耳を塞いで。
そしたら、先生が来た。
先生が来て、俺の季節に色がついた。たくさんのいろんな音が聞こえてくるようになった。
愛されたら、自分が好きになれる。
毎日が楽しくて、嬉しくて、なんかきらきらして見えて。
少しだけ自分に自信が持てるようになれたのも、先生がいたからだ。
そんな少女漫画みたいな気持ちに、自分で自分に照れてしまったりするのも、先生がいたから。
先生が俺を、愛してくれたから。
って、恥ずかしいな俺。なに感傷的になってんだ。
「どうした夏目、顔が赤いぞ」
「な、なんでもない」
怪訝そうな顔の先生から逃げるように目を逸らす。
ああ、きっとあれだ。デートだなんて言って、待ち合わせなんてしたからだ。普段しないことをするから、思考まで影響されちゃって。
「先生、次からはやっぱ家から一緒に出かけようよ」
「なんだ、待ち合わせはもういいのか?」
「うん、いい」
ただの散歩になっても、ただのピクニックになってもいい。
いつもと違うことをすると、俺の頭の中がいつもと違うことになってしまう。
「変な奴だな。まぁいい、帰るぞ。塔子のおやつを食いっぱぐれてしまうからな」
「今おやつ食べたじゃん!」
「あれはあれ、これはそれだ」
どれがあれでこれでそれなんだよ。
元の姿の先生の背中に乗って、ふかふかの毛を掴む。先生はそのままふわりと飛び立って、家のほうへと空を駆けはじめた。
夏がきたら、先生の毛皮は暑いかな。
でも、いくら暑くてもきっとこうしてくっついちゃうんだろうな。
だって俺、先生が大好きだから。
「って、いやいやいや!」
また変なほうへ行こうとする思考を、頭を振って無理やり軌道修正する。なんか俺、今日はちょっとおかしい。てかだいたい家を出る前からおかしかった。服とか気にするなんて、絶対変だ。
「どうかしたか」
顔だけちらりと向けてくる先生に、なんでもないとまた首を振る。
「夏がきたら暑いだろうから、少し刈り込みしようかなって思っただけ」
「なにを刈り込む気だ。まさか、」
「尻尾の毛くらいは残しといてもいいかな」
「貴様、様子が変だと思っていたら、そんな恐ろしい計画を立てていたのか!さすがレイコの孫………!」
驚きの反応。先生が真面目に怯えるなんて、珍しい。
「先生、レイコさんに刈られたことあるの?」
「ないに決まってるだろう!暑さにキレたレイコがそこら中の妖の毛を刈り込みはじめたから、逃げまわるのが大変だったんだぞ!」
レイコさん、そんなことまでしてたのか。もしかして中級の頭は、それで………?
「大丈夫だよ先生。考えたら、刈り込んだら先生のいいとこ無くなっちゃうもんな。ほら、先生ってもふもふしか取り柄がないし」
「…………それはそれでどうなんだ」
せっかく安心させようと思って正直に言ったのに、先生はなんだか微妙な顔をしている。刈らないと言ってるのに、なにが不満なのか。
「でもさ、」
家が見えてきて、二人きりのデートが終わったことを知って。
「たまには、また待ち合わせてデートもいいかもしれないね」
地面に降り立って猫に戻った先生が、ふんと笑った。
「そうだな。おまえを待つのも、たまには悪くない」
あとどれくらい、一緒に居られるんだろう。
けれど最期のそのときにも、二人でこうしていられたら。
ちょっぴり名残惜しい気持ちになりながら、俺は先生を抱き上げたた。
「言っとくが、刈ったらおまえを刈るからな。刈り上げた後ろ頭に私のサインを入れてやる」
「………刈ったら別れる、とかは言わないんだ?」
「……………ふん」
そっぽを向いてしまった先生を抱えて玄関を開けて。
ただいま、と口にしたら腕の中からもにゃあと声が聞こえた。
END,