駄文帳

□暖かい冬
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『山間部は夜には冷え込み、雪になるところもあるでしょう』
テレビが天気図を映し、キャスターさんの真面目な声がそれを解説する。外を見れば曇り空。風ががたがたと窓を揺らした。
「雪だって、先生」
「んー」
こたつに向かって言ってみるけど、中にもぐったきりの先生からはそんな返事しか返ってこない。
塔子さんは買い物に出かけ、滋さんはまだ帰ってなくて、家には二人きり。広い家がさらに広く感じて、暖かいはずの部屋の中がなんとなく寒い気がする。なのでどうにか先生をこたつから引っ張り出そうと、手を突っ込んで探り始めた。
「捕まえた!」
手に当たるもふもふしたものを掴み、思い切り引っ張る。
「…………なんだこれ」
ぬいぐるみ。そういや先日西村がゲーセンで取ったとかでくれたんだっけ。こたつに入れたりしたっけ?
ぬいぐるみを放り投げ、また手探りで先生を探す。
「これだぁ!」
掴んで力いっぱい引く。
「………なんでこれがここにあんの」
それは俺の枕だった。確か朝布団をたたんだとき一緒に押し入れにしまったはずのもの。
「…………先生。囮を仕込んだな?」
「ふっふっふ」
こたつの中からくぐもった笑い声が聞こえてきた。
「おまえが私を引っ張り出そうとするのはわかっていたからな」
「だからってこんなん、するか普通……」
俺はいったん手を引き、こたつの天板をどけた。
「なにがなんでも、出てこないつもりなんだな?」
「当たり前だ。この極楽から極寒の地に出て行くなど、デリケートかつ繊細な私に耐えられると思っているのか」
「デリケートも繊細も、意味は似たようなもんだろ。どっちも先生からは一番遠い言葉だと思うけどな」
「私をなんだと思ってるんだ。古来より日本では猫はこたつで丸くなるものと決まっているのだぞ」
「猫じゃないっていつも言ってるくせに」
「さて、そんなこと言ったかな。最近すっかり物忘れが激しくなってなぁ」
「ボケたふりじゃないんなら、俺介護なんかしてやんないぞ」
「誰がおまえに介護なんぞ頼むか!とにかく私はここから出んぞ。この極楽に冬中閉じこもると、心に決めたのだからな!」
「ふっ。じゃあ、極楽じゃなくなったらどうするかな!」
俺はこたつ布団を掴み、思い切り引っ張った。こたつは台だけになり、丸まった先生と転がった一升瓶が露わになる。
「………そんなことだろうと思ってたけど。先生って絶対期待を裏切らないよね、悪い意味で」
「あっこら、返せ!こたつで飲む酒は格別なんだぞ!滋もいつもそう言ってるじゃないか!」
「滋さんはこたつに潜って飲んだりしないもん」
一升瓶を取り上げ、騒ぐ先生の首の皮を掴んで持ち上げる。猫はここを掴まれたらおとなしくなるっていうけど、先生は手足をばたばたさせて暴れるばかりでちっともおとなしくない。なんでだろ、やっぱ猫じゃないからか。それとも一升瓶に対する執念がそうさせているのか。
とりあえず瓶をどうにかしなくては、二人が帰ってきたときどう言い訳していいかわからない。俺は先生をそこらに放り出し、瓶を押し入れに隠すことにして二階に上がった。

障子を開けると、冷えた部屋の空気に一瞬足が止まる。誰もいない部屋の中は、薄暗くて寒い。
押し入れを開け、枕と瓶をしまう。触れた布団もとても冷たい。
はあ、と息を吐いてみたら白い靄になって、それが天井にのぼって消えるのを眺めていたらなんだかひどく心細くなった。

誰もいない、寒い部屋。

昔に戻ったような錯覚。

家の人たちの団欒に混ざることができず、部屋で一人毛布にくるまって座っていたっけ。絵本を広げても寒くて読むどころじゃなくて、自分が吐き出す白い息ばかり目で追ってた。

「寒いな………」

思わず小さく呟いたら、声が少し震えていて。

「当たり前だ。アホかおまえは」

後ろからの声に、心底びっくりした。

「早くストーブを点けろ。まったく、虚弱体質な軟弱ボーイのくせになんでこんな寒いところでぼーっとしてるんだ」
「先生、こたつに住むんじゃなかったのか?」
「おまえのおかげで楽園じゃなくなったからな。くそ、酒をどこに隠したんだ。あとで絶対探してやる」
開けっ放しだった障子を閉めた先生が、そのまま俺に飛びついてきた。爪をかけて服を登り、肩に乗ってくる。
「ほら早くストーブ!あったまるまでおまえから離れんからな私は!」
少し酒臭い息に苦笑して、ストーブに火を点ける。いつか塔子さんがファンヒーターのほうがいいんじゃないかと言ってたことがあったけど、俺はこのストーブが好きだった。火を見てると、なんだか落ち着く感じがする。
「なぁ先生。いつか、暖炉がある家に住みたいな」
暖かい部屋で、燃える火を見ながら先生と二人でのんびりできたら、きっと楽しい。
「どんな山奥に住む気なんだ。暖炉なんて、雪国のもんだろう」
「そうかなぁ」
俺も先生も、暖炉なんかテレビでしか見たことがない。雪深い森の中のログハウスとかにあるようなイメージ。
「そんなもんなくても、充分暖かいだろう」
「え、そう?」
まだストーブは火を点けたばかりで、芯は半分くらいしか赤くなってないのに。
「私は、おまえがいれば暖かいぞ」
言いながら肩から降りて、膝の上で上着の中に顔を突っ込んでくる先生。俺は暖房器具扱いか。
「俺も、先生がいればあったかいよ」
つるふかでもふもふな先生を、ぎゅっと抱きしめてみる。こたつの余熱か酒のせいなのか、先生はほんのり暖かかった。
「うむ。だがここに酒があれば、もっと暖かくなれるんだが」
「その手には乗らないぞ」
くすくす笑いながら、だんだん暖かくなっていくストーブの前に座っていたら、いつの間にかさっきの心細い気持ちが消えているのに気づいた。

先生がいれば、暖かい。

心が、すごく暖かくなるんだ。

先生はどうなんだろう。元々は山で暮らす獣なんだから、俺なんていてもいなくても同じかもしれないけど。
少しでも、同じ気持ちなら嬉しいな。

俺といて暖かい、楽しくて嬉しい。

俺と同じように、そう思ってくれたら。

この気持ちは、なんなんだろう。
たまに泣きたくなる、この気持ちは。

「お。降り出したな」
「え」
先生の声に顔を上げたら、窓の外に雪が舞っているのが見えた。
「積もるかな」
「さぁな。積もったら雪見酒とか言って中級たちが騒ぐだろうな」
「この寒いのに、また酒か」
呆れて言うと、先生がちらりと俺を見上げた。
「あったかくしろよ。おまえはすぐに風邪をひくからな」
「…………俺も行くの?」
「当たり前だ。おまえの酌がないと酒が旨くない」
すまして言う先生に、笑ってしまう。

笑って、それから少しだけ滲んだ涙をごまかすために窓へ目を向けた。

先生が、俺と一緒がいいって言ってくれる。

それがどんな気持ちからくるのかわからなくても、それでも嬉しい。

すごくすごく嬉しくて、やっぱり泣きたくなる。

これは、この気持ちはもしかして。

「………本降りになったな」
「わっ」
遠くに行ってた思考が一気に現実に引き戻された。外は大粒の白い雨になっている。
「塔子さんも滋さんも、傘持ってるのかな」
心配になって時計を見る。滋さんはともかく、塔子さんは少し遅すぎるような気がする。
「迎えに行かなくて大丈夫かな」
呟いて窓に近寄って見ると、通りの向こうから傘がひとつ歩いて来るのが見えた。
滋さんと塔子さんだ。
「よかった、傘あったんだ……」
あまり大きくない傘に二人で入って、くっついて歩いている。滋さんの手には鞄と、塔子さんのだろう買い物袋があった。
「仲がいいなぁ」
言うと、先生も窓枠に乗って下を眺めた。
「人間のつがいというのは、色々だな。いがみ合うのもいれば、ああして仲がいいのもいる。不思議なもんだ」
「妖は違うのか?」
「私はつがいを持ったことがないからよく知らんが、妖のつがいはたいていいつも一緒にいるぞ。犬も食わぬなんとか、みたいなときもあるが、それでも仲はいい。つがいがいて他のオスやメスに手を出すのは人間だけだろう」
「へぇ………じゃあ、先生も浮気はしないんだ?」
疑い深い目で見たら、先生は当然という顔で威張ってみせた。
「つがいを持ったら、当たり前だろう。だが私はモテるからな、メスが勝手に寄ってきてしまって」
「へー」
思わず棒読みな声になる。
「先生って浮気するんだー。うっかりつがいになったら大変だなぁ」
「むっ!いやだから勝手に寄ってくるだけだと言っただろう!浮気なんかしないぞ!私が浮気するとしたら、こたつとだけだ!」
………こたつは浮気相手に入るんだ。どんだけ好きなんだよ。
「だったらこたつと結婚すれば?」
「いや、こたつは冬だけだ。夏はクーラーか扇風機だな、やはり」
なにがやはりなんだよ。
「…………あ!」
そのときになって、俺は思い出してしまった。こたつのスイッチ入れたまんま、天板も布団もひっぺがして放置していたことに。
「しまった!元に戻しとかないと」
言って立ち上がるのと、玄関が開く音は同時だった。
「ただいまー。ごめんなさいね遅くなって」
「ただいま。貴志?二階か?」
うわぁぁぁ!
「お、おかえりなさい!」
階段を駆け下りたけど、二人が居間に入るほうが早かった。
「まぁ、どうしたのこれ!?」
「なにがあったんだ!?」
うぉぉ。どう言えばいいだろう。

結局うまく言い訳できなくて、猫と遊んでてついそのまま、なんて言って少し説教をくらってしまった。

先生は知らん顔してごはん食べてたけど、寝るときになって布団に入ってきてまた口を開いて。

「言っとくが、本当に私は浮気はしないからな?」

はいはい、て返事をして目を閉じたけれど、ほっぺたを肉球でぺたぺたされてまた目を開けた。

「本当に本当だからな?」
「わかったってば」
「いや信じてない。この私の本気の目を見ろ」
「笑いを取りたいなら明日の朝にしてくれよ」
「おまえが信じてないからだ!こら寝るな、話を聞け」
「もー。そういうのは、つがいになる相手に言えばいいじゃんか……」

うとうとしながらそう言ったから、答える先生の声は聞こえた気がするけど意味は聞き取れなかった。

「だから、おまえに言ってるのに」

そんなふうに言ったような気がするのは、俺の願望が聞かせた幻聴だったのかな。

外は雪。風も吹いてる。

それでも、先生がいるから暖かい。

「寝るなら誤解を解いてから寝ろ!」

そう言いながらぺしぺし叩いてくる先生がちょっとかなりウザいから、ぎゅっと抱きしめた。

苦しい、と呻く先生の声がだんだん弱くなる。

「おま、これ抱きしめるんじゃなくて絞めて……」

おやすみ先生。

明日は、雪道を一緒に散歩しよう。

二人なら、きっと暖かいよ。




「永遠に明日が来なくなるから、ちょっと力を緩めてくれ……」


弱々しい声の先生を無視して、そのまま眠りに落ちた。大きな岩に潰されそうになる夢を見たけど、あれは先生の見た夢だったのかもしれない。




END,

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