緋を雪ぐ龍U

□70:いくらでも君のために
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――少女は夢を見る。
悪夢と言っても過言では無い程に悍ましく、禍々しく、そして何より悲しい夢。
愛する者達をこの手で殺す夢。
抵抗もせずに甘んじる姿に、文句も言いたくなった。
押し退けられる筈だ。抗える筈だ。
私を――殺せる筈なのだ。
手足を斬り落とせばいい。それでも止まるところを知らねば、次は首を落とせばいい。
そうして生に執着してくれ。
なのに彼等は、まるで快諾するかのように私の刃を、力の籠る掌を、受け入れるのだ。

それが身の毛もよだつ程に、――生々しく現実的であった。


◆◆◆◆


「如何したんだ、疲れたか?」

俯くナオの顔を覗き込み、頬に流れる冷や汗を濡れた黒髪の騎士は優しく拭う。
その行為に現を抜かしていたナオははっと顔を上げた。

「あ、ごめん。ぼうっとしてた……」
「ここのところ忙しかったし、疲れが溜まってるんだろうな。この交渉を区切りに休暇でも取るか」

ナオの頬に張り付く黄昏色の髪を払いながら、騎士は――ランスロットは明るい声で提案した。

「でも仕事は他にも――」
「これが片付いたとしても、今のところは復興に関する手続きくらいしか残っていないぞ。俺とナオの名前さえあればウェールズとの調印書はさして時間を取らずに仕上げてしまえるし、何も問題は無いさ」

しかしふと感じた疑問を頭の中で反芻し、それから問い掛けた。

「確か、ランスロットは「そうそう休めない」って言ってたよな……それで何で私が休めるんだ?」
「…………」

目を逸らされた。痛い所を突いてしまったらしい。
詰まるところ、彼はナオの負担を減らす為の口実か、それとも本当に休む気も無く復興作業に移行するつもりだったのか――どちらにせよナオを休ませる事にのみ心血を注いでいたらしい。
本当に何をしているんだ、この男は。

「……綺麗な嘘なら好きだよ。でも、破滅しか招かないような綻びの多い嘘は嫌いなんだ」
「…………と、にかく!……今回の件では、一番の功労者だ。そんな英雄を誰が無下に扱うと考える。何よりも休息が必要なのはナオとパーシヴァルだろう」

同時に、一番の被害者でもあったのだが。と、後半部分は飲み込んだ。
なんにせよ、ナオとパーシヴァルは心身共に疲労が蓄積しているだろうと、考えた末での提案だった。
何なら2人で何処へなりとも羽を伸ばしてくればよい。今頃はパーシヴァルにも、共に街の復興の指揮を執るヴェインから同じ様な提案をされているのだろうなと、幼馴染の勘を働かせた。

「うーん、休暇かぁ……休みが貰えるならグラン達の騎空団に連絡を取りたいな」
「……錬金術師カリオストロ、か」
「そうだね。もう自分だけの問題じゃあないし、不明瞭なままで過ごすのも気持ち悪いし。はっきりさせられる可能性があるなら、そうしてみるのが今の私達の最善だと思うんだ」
「……先日、別れ際にグランから人物像を聞いたんだが、彼は少し気難しい人らしい。客人として国に招くのは難しいかもしれないな」

残念そうに肩を竦めるランスロットに相槌を返していたナオは、ふとある事を思い出した。
数日前の紅茶の琥珀色を目にした時に、するすると思い出していた事だ。

「なあ、ランスロット」
「何だ?」
「そう言えば、ランスロットには遊学の話があったんだよな?」

あの日ガレスが口にした言葉。当時こそ衝撃的ではあったし、今でも彼が国を離れると考えれば寂しく思い、そして惜しくも思う。
だが何よりも、今は自由を望む。

「あ、ああ……確かに、そうした話もあった。その件も、ゆくゆくは陛下にご報告するつもりだったんだ」
「出立の報告?」
「いや、同伴者の許諾を頂く為の報告だ」

初めに出て来たのは、ヴェインの顔。次にジークフリート。だがその2人であれば、確実にヴェインだと思った。
ジークフリートは厳密には国の騎士では無いし、そもそも彼は旅の多い人生を歩むものだと思っていたから。これからも、――この先も。

「そっか、ヴェインと行くのか?2人揃って出るのは珍しいけど、他の団員だって優秀だし大丈夫だろうね、気を付けてな」

立て続けに言葉を並べて見送りの姿勢に入ったナオを、ランスロットは首を振って遮る。
不思議そうな顔で見上げる彼女に、至極当然と言わんばかりの明るい声で言ってのけた。

「実はその話、ナオにも掛かっていたものなんだ」
「…………私?」

聞いた事も無ければ提案した事も無い、見ず知らずならぬ聞かず知らずの話にぽかんと頭が働かなくなった。
首を傾げつつナオの顔の前でひらひらと手を振るランスロットは、それからさして気にする事も無く問い質す。

「どうだろう。再び旅をしてみる、と言うのは」
「え、いや……あの、」

しどろもどろに言葉を濁す少女に耐えかね、彼は手にしていた書類を机に載せて、膝を折った。

「陛下はな、「これは儂の我が儘だ」と……そうおっしゃっていた。ナオを姫として国へ招いたのも、遊学の話も。全てが我が儘で、全てがエゴであると」
「……我が儘」
「そんな陛下のお姿に、俺は思ったんだ。陛下は、ナオに我が儘を言って貰いたいのだと」

平凡な父と娘の様に。凡庸な親子の様に。
我が儘を口にする可愛い娘と、それを叶える父。
そんな関係を築いてやりたいと。
それこそ、その望みこそが既に我が儘であるのだと自覚した上で、カール国王はその様な願望を口にした。

「そう言う訳で、どうするんだ?ナオ」

答えは分かっている。遠慮をするなと言われた彼女は、純粋なまでに欲望に忠実だった。
楽しそうに返答を待つランスロットに、ナオが堂々と張りのある声で返す。

「――行きたい。行き先は選べるのか?」

姫としての顔では無い。6年間旅をして来た、冒険者の顔だ。
これ以上無い頼もしい顔で、輝く龍の瞳で問い掛ける姿に、愛おしさを感じた。

(姫君姿もさることながら、やはりナオの本質はこちらなのかもしれないな。――好奇心旺盛で冒険家気質)

空を羽ばたく翼をもつ少女だと確信した。
この国が鳥籠だとは言わないが、しかしながら少しだけ、彼女にフェードラッヘは狭かったのかもしれないと、ランスロットは僅かに表情を曇らせた。
それに気付いたナオは、小さく首を傾けて微笑む。

「私はこの国が好きだよ。その思いは変わらない。この先何があっても、私の帰る場所はここだから」

まあ、最近もうひとつできたんだけどね。
微笑む顔は、次の瞬間にはくしゃりと屈託ない笑顔に姿を変えた。

「フェードラッヘを狭いと思った事は無い。出来る事なら、ずっとここで暮らしたいんだよ。でも駄目なんだ、好奇心には抗えないから」

次は困った様に苦笑する。
そうだ。好奇心だ。それ以外の何物でもない。――あってたまるか。
この少女の行動理念が、少女の意志以外のものであるなどと、そんなことが。あっていい筈がないだろう。
やっとウェールズと言う軛から解放され、家族として振舞えるようになったのだ。その多難を手放した少女に、これ以上鞭打つ真似は御免被りたい。誰しもがそう考えている。
ふと視線を移した先のころころと変わる表情は終始笑顔で、ランスロットはそれに大きく安堵した。

「旅は……楽しかったか?」
「……楽しい事ばかりじゃ無かったけど、楽しかったよ」

矛盾してるか?と視線で問うたナオに、そんな事は無いと視線で答える。
「でも1人だったからね。ジークフリートが傍に居てくれたとしても、私が認識していなければ結局変わらないんだし」と、ナオはどこか楽しそうにとんとんと言葉を連ねる。

「だから、誰かとの旅はきっともっと楽しいと思う」

優しそうな表情だった。聖女の様な聖母の様な、そんな、生娘らしからぬ顔。
ランスロットは「畏れ多い」と息を吐きながら、ナオを見詰めていたエメラルドを見開いた。

「ナオ。俺も……いや、俺達も、お前と共に居たいんだ。これは、俺の「我が儘」だな」
「ランスロット……」
「そう言う事だ。それじゃあ、ナオが好きな騎士達にも声を掛けるとするか」

強引過ぎただろうか。等と反省する事は無かった。何故か?こうでもしなければ、やはりあの少女は最後の最後で己に対して一線を引いてしまうからだ。
あのウェールズでの一件以来、少しだけ顕著になったように思う。

(それでも、俺は彼女を護ると決めた。それは陛下の為であり、国の為であり、彼女自身の為であり――俺の為でもある)

ナオが愛する騎士達。
ナオを愛する騎士達。
そのどちらにも己の存在がある事は、自惚れでもなんでもない。ただの事実だと、胸の奥が温かかった。
柔らかく蕩けるような笑みではない。少年の様に白い歯を見せて明るく強く笑う顔。
そんなランスロットはナオの手を引く。
彼は時に随分と幼い顔を見せる事がある。そしてその瞬間は決まって、純粋な笑みを溢すのである。
ナオはその一時が好きだった。


◆◆◆◆


「休暇の口実ですか。また随分と強引な手法で」

玉座を前にして話す姿は、何処か面白がってもいる様子だった。
変わらず忠義を尽くす救国の忠騎士に、カール国王がやんわりと訂正を入れた。

「いやなに、何もかもが儂の我が儘だよ。あの子が押し殺してきた分の、な。喜ぶ顔が見たいと、自由に羽ばたく姿が見たいと、そんな有り触れた時間を愛おしく思ってくれる相手と出会えた事に対する、儂からの贈り物の様なものだ」

失礼だと知りながら、若干驚いた様子で顔を上げた。
隠す気などさらさら無かっただろうあの2人の姿を見ていれば察する事は難しくは無いが、恐らくナオは報告もしていない筈だ。
なにせ余りにも立て続けに騒動が起こったもので、彼女自身にも「交際」等と言った頭は微塵も浮かんではいない筈だ。距離感も殊更何処から近くなった、と言った情報が無い。強いて挙げるならばあの2人は最初から近かった。それはもうべったりと。
だと言うのに、普段から顔を頻繁に合わせる訳でも無い国王陛下にも伝わっていたか、と彼等を心の内で笑ってやった。

「……気付いておいででしたか。何時から?」
「あれだけべったりしておれば、流石に分かるものよ。…………そなたも向かうのか?」
「ええ。“あの娘の為なれば”、と先王の墓前で誓いましたもので。あの危なっかしい姫様のお傍は、まだ当分離れられそうにありません」

ジークフリートが小さく笑えば、カール国王も同じくふふと笑みを溢す。
その穏やかで優しげな瞳は、同時に悲し気に細められた。
この男の事だ。それだけではあるまい。きっと何か他にも思う所があるのだろうと、国王は言及する事無く空を仰いだ。

「長らく、静かになるな」

ほんの少しだけ残念そうに笑うカール国王に一礼をして、ジークフリートは退室の為に踵を返す。
が、扉までの半ば程で振り返った。

「陛下。先程のお言葉ですが、ナオは全てを押し殺してきた訳ではありませんよ」

茶色の蓬髪、強い意志の宿る琥珀色の瞳は酷く幻想的であった。
正しく黒龍が如く。その称号を、かつての騎士団を導きながら、相反する「竜殺し」の栄誉を授かった男。

「あれでいて姫様は、何よりの幸福を手に入れているのですから」
「ほう。……して、その幸福とは?」

合点のいかぬ顔で問う姿に、ひとつ、答えを返した。

「陛下が先程仰った事です」

今度こそ深く頭を下げて玉座の間を後にした男の背中を見送った後に、漸く納得した面持ちで笑い、蓄えた白い髭に触れた。

「……頼むぞ、パーシヴァル。あの子を、ナオを幸せにしてやってくれ」


◆◆◆◆


白竜騎士団の宿舎。その一室で、ナオは声高らかに、浮足立った様子で提案をした。

「一緒に、来てくれるか?」

その姿を見て、皆が一同に悟った。同時に小さく奥歯を噛み、されど少女には気取らせず。
拒む者など居らず、顔を顰める者さえ居らず、
騎士達は皆二つ返事で了承した。
部屋の主であるヴェインはナオと変わらぬ嬉々とした表情で拳を振り上げた。

「旅かぁ〜。ちゃんとしたのはやった事無かったし、楽しみだよなぁランちゃん!」
「“ちゃんとした”って何だよ、ヴェイン?」
「そりゃあ、子供の頃の森探索とか、そんな規模の話じゃないって意味だって!」

白竜騎士団で地方遠征に良く駆り出されていたのは何処の誰だったか、とパーシヴァルは呆れた表情で顔を背けた。
逃げた視線の先で、ナオの瞳とぶつかった。

「騒がしくて敵わん」
「私は楽しみだよ。皆と、パーシヴァルと一緒に旅が出来て」

そもそも本来の目的としては遊学であり、遊びでは無いのだが――とここまで考えて、ジークフリートは口を噤んだ。
折角の所に水を差すのも憚られる。要は肝心な時に支障をきたさなければ良いのだから、今くらいは多少浮かれさせても問題は無いかと締め括る。

「お前達、5日後には発つぞ」

旅などナオについて回って――どころかそれ以前から――経験して来たと言うのに、己の内にも未だに少年のような純粋な好奇心が残っていた事に笑みを深くした。
――同時に、記憶の底に揺蕩うナオの泣き崩れる姿も引き摺り上げられた。


――助けて、たすけて。
――こんな未来ならいらない!こんな過去なら欲しくなかった!
――お願いだ、ジークフリート。いっその事私を……わたし、を、


――殺してくれ。


打ちひしがれた痛ましげな姿は、瞳に焼き付いて離れない。
己の抱える彼女への思いの果ては、もしかすると贖罪だったのかもしれない。
罪の意識と混同しかけた思考を即座に振り払った。

(素直になれなかったのは、ランスロットでもヴェインでも無く、俺だったか……)

そっと目を伏せ、耐え忍ぶように小さく手を握り締めた。
知らぬ内に、己は竜殺しと言う名に救われていたのだろうか。
その実、ファフニールの前に殺したものは人間だった。

何の因果か、13年前に手にかけたものは、龍の両親であったのだから。
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