A tale of Erebor

□一章、淡いときめき
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裂け谷に戻ったネルファンディアは忍び足で自室に戻ろうとした。だが、案の定エルロンド卿に見つかってしまった。彼女は顔をひきつらせながら挨拶をした。
「え、エルロンド卿………どうも」
「どうしたのだ。顔色が悪いぞ」
「いえ、だ、大丈夫です……風邪でも引いたかもしれませんわ、おほほほ…………」
彼はいつもと明らかに口調が違うネルファンディアを訝しげに見たが、言及することでもないかと思い、そのまま去っていった。
部屋に戻ったネルファンディアはドアにもたれかかると、深い物思いを含んだため息をついた。
「────なんて素敵な方なのかしら……」
ドワーフは醜い種族だと昔から幼馴染のレゴラス王子から聞かされていた彼女にとって、先刻の名前も知らないさすらいのドワーフはあまりにイメージにそぐわなかった。いや、むしろ他のどの男性よりも恰好いいと思っていた。それはただ、彼女があまり殿方と接しないからだと思われがちだろうが、そうではない。彼女はどちらかというと社交的な女性で、名高い王や王子などには一通り会っている。もちろんその中で求婚を迫った男性も居たのだが、彼女はことごとくその願いを振り切ってきた。それはひとえに高望み故ではない。彼女があまりに永く生きすぎて、その寿命の差で悲しむのを避けるために取った自己防衛の選択なのだ。
しかし、何故かあのドワーフには惹かれてしまう。生まれて初めて味わった不思議な感情は考えれば考えるほど深く、彼女の中で確信に変わり始めたのだった。

トーリン一行が裂け谷へ着いたのは、それから数時間後のことだった。既に陽は傾いており、夕日が西から差していた。主であるエルロンド卿に出迎えられた彼はその美しい眺望に不覚にも感嘆した。だが、すぐに彼は先ほど出会った馬上の乙女を探した。すると、彼が注意深く耳を傾けるとどこからか歌声が聞こえてきた。それは古の森に伝わる歌だった。
トーリンは歌声がする方向へ吸い寄せられた。辿りついたのは、美しい小川。その畔に立つのは、あの銀色の髪を持つ女性だった。彼は言葉を失い、しばらくその美しさに妙な心苦しさを感じていた。
彼女が歌う度に、あらゆる木々が揺れ、森羅万象の力が集まるのが彼にも感じ取れていた。しかし、不意にそれは止んだ。彼女がトーリンに気づいたからだ。
「──────!」
「あ…………すまない、道に迷った。」
トーリンは咄嗟に嘘をついた。見透かされているのかそうではないのかは測りかねないが、彼女は頷きながら驚いたような表情をした。
「まぁ………あなたは先ほどの殿方ですね」
「ああ、君は先ほどのお転婆小娘か」
心にもないことを言ってしまったことに彼は後悔した。彼女の整った眉が片側だけ上がる。その表情はとても歳相応の者がするようには見えなかった。トーリンは見れば見るほど、彼女が誰なのかが知りたくなってきた。
「エルロンド卿のお客人ですね、お連れしましょう。こちらへ」
「ああ、頼んだ」
二人が荘厳な造りのエルフの回廊を歩く間は、沈黙だった。お互い何かを言わなければならないことは分かっていたが、どうすることも出来なかった。
彼女の背はドワーフよりは高かったが、小柄な方で、トーリンとの差はわずか10a程だった。所々に星のように散りばめられた青い刺繍は、不思議な光を放っているように感じられる。エルフの施した刺繍であることはトーリンにも見てとれた。肩のあたりから羽織っている水色のサテンの布は、彼の故郷に流れる早瀬川の水流のようだ。それに透けている白をベースにしたドレスが雪原の景色のようにも見えてトーリンはますます郷愁に駆られた。
「…………美しい服だな。召使いにしては」
「召使い?ええと………」
ネルファンディアは召使いと間違えられて一瞬口をへの字に曲げそうになったが、ここでこの高飛車ドワーフの鼻をへし折ってやろうといういたずら心が生じたため、敢えて恭しく頷いた。
「まぁ、そんなところですわ」
「そうか」
トーリンはどこかの姫だと思っていただけに少し残念そうな顔をした。
「して、あなたはどなた?」
彼は驚いてどう返事をすればいいのか戸惑った。王子としての素性を表せば態度が変わってしまうかもしれない。今までそんな女性を吐き捨てるほどに見てきた。彼は明かしたい気持ちを封じ込めて適当に返事をした。
「…………鍛冶屋だ」
「鍛冶屋…………ふぅん………」
ネルファンディアはまじまじとトーリンの横顔を見つめた。どう見ても鍛冶屋の目付きではないし、振る舞いも違う。彼女はストライダーと呼ばれる若きゴンドールの王子と同様に身分を偽らなければならない事情でもあるのだろうかと察してそれ以上は尋ねなかった。そして、結局大した会話もないままにトーリンをエルロンド卿のいる場所まで送ってやると、そのままネルファンディアは元の部屋へ帰っていった。

部屋へ戻るなり彼女はため息をついた。
「…………信じられない、あの人が来るなんて」
運命とは、こういうものなのかもしれないと彼女は感じた。
そして、その夜ドワーフ一行を祝福する宴を行うことをサルマンから聞いたネルファンディアは、今までで一番美しく、けれど簡素に着飾った。そんないつもと違う娘を訝しげに眺める父と共に、彼女は宴の席へと向かった。

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