A tale of Erebor

□三章、旅の始まり
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トーリンが旅立った後は、何事も無かったかのように静かだった。だが、ネルファンディアの心は違った。
また、会いたい。彼女の心中はそんな想いに駆られていた。しかし、どうすればまた会えるのか。頼みの綱のガンダルフは既に父であるサルマンと長々と口論を始めている。白の会議は当分終わりそうもないなと彼女がため息をついたときだった。彼女の隣に、懐かしい気配が生じた。
「ガラドリエル様!」
「元気にしておりましたか、ネルファンディア」
ガラドリエルはネルファンディアにとって母親の姉に当たる。物心はついていたが、幼い頃に母を亡くした彼女にとって、ガラドリエルは母親代わりの存在だった。それ故に、彼女もネルファンディアの些細な心の移り変わりに敏感だった。
「……どうかしましたか、ネルファンディア。顔色が冴えませんよ」
「…………ここから出ていき、エレボールへ向かえば、父は怒るでしょうか」
この発言には流石の彼女も驚いた。そして、すぐにこの若き姫がトーリン王子に心奪われていることに気付いた。基本的に娘には甘いサルマンだが、トーリン絡みのこととなるといい顔はしないだろう。それはネルファンディアも知っていた。そこでガラドリエルはこう提案した。
「────では、頼んでみては?私情を抜きにして、あなたの修行にも丁度いいと思いますよ」
「本当ですか?………でも、会議の部屋には私は入れてもらえません。一緒に来て下さりませんか?」
「ええ、もちろんですよ」
こうしてガラドリエルはネルファンディアを連れて、白の会議に現れた。

驚いたのはもちろん、サルマンの方だった。彼は中つ国各地の由々しき事態を憂慮するこの場に自分の娘は相応しくないと思っていた。魔法の素質があることも知っていたが、彼女を魔法使いにすることもあまり乗り気ではなかった。そして今、彼女は自分の修行のためにエレボールへ行かせてくれと頼み込んでいる。
────どれもこれも災いの王子、トーリン・オーケンシールドのせいか。全く……
サルマンは頭を抱えた。更に困ったことに、多数決制のこの会議で、現在反対しているのはどうやらサルマンただ1人らしい。皆口では父親の考え次第だと言っているが、修行の時期が近づいており、今がその時だと思っていることが彼には手に取るように感じられた。
────ああ、どうすればよいのだ。既に亡き我が妻よ………
「お父様、エレボールを奪還したらすぐに帰ってくるわ」
「それが危険な行為だと言っておるのだ!」
頑なに言うことをきかないネルファンディアに、ついに彼は声を荒らげた。その場が凍りつく。だが、彼女はそれでも意思を曲げようとはしなかった。結局、その強い意志を前にして折れたのはサルマンの方だった。

彼は自室にネルファンディアを連れていくと、鍵がかかった引き出しから澄んだ湖の水底のような青い光を放つ石のついたネックレスを、両こめかみに付けているエルフの髪飾りである金具を通して彼女の額につけた。彼女は鏡を見ながらひんやりとした石に触れた。
「お父様、これは何?」
「それはかつてそなたの母が、今は姿を消してしまった人魚族を救った時に頂いたエンディアンの石じゃ」
エンディアンとは、人魚の人々が使っていた言葉で、水底の光といった意味だ。サルマンは説明を続けた。
「この石は、あらゆる焔から水の力で身を守ることが出来る守護石じゃ。エレンディエルの水を使うそなたならば、その加護を充分に得られよう」
「ありがとうございます、お父様」
「わしに言うでない。そなたの母に感謝せい」
礼を言ったネルファンディアに対して、照れ隠しに彼は外を眺めた。今から訪れるしばしの別れが辛いのだ。彼女はそんな父の思いを察して、かつて子供の頃にしていたように彼に精一杯の愛情を伝えられるように抱きついた。
「お父様、大好き。」
「……………気をつけてな、我が愛しき娘よ」
こうして、束の間父と安息の地との別れを惜しんだネルファンディアは、トーリン一行に追いつくために未開の草原を馬に乗って急いだ。


「休む、荷をおろせ」
トーリンはこれが何度目かも忘れてしまった見張りについた。オークも今のところはいない、変わり映えしない草原の景色だった。少しだけ気を緩めていたが、彼はキーリに呼ばれすぐにはっとした。
「トーリン!!誰か来る!…………女性?」
「本当だ、………なんで?」
途中で馬を帰したネルファンディアが、ついにトーリン一行に追いついたのだ。頭が固いトーリンを納得させるため、ガンダルフが用意した推薦状を手に。彼は慌てて立ち上がると、仲間でできた人だかりを押しのけて彼女の前に立った。
「何をしている、姫。ここはあなたの来るような所ではない」
「ガンダルフからの推薦状があります。父からも許しを得ました。」
トーリンは信じ難いと言うような目で彼女を見ると、推薦状に目を通した。
『トーリン・オーケンシールドよ、そなたの旅にあと一人加えるとしよう。彼女はそなたも知っておろうが、サルマンの娘で、魔法使いじゃ。剣術はわしが幼い頃に教えた故、そこそこな出来栄えじゃろうて。時折不在になるわしの代わりだと思うて連れて行ってやってくれ。

ガンダルフ

追伸、見捨てるでないぞ』

「推薦状と言うよりは、押し付け状といった感じだな」
「あんな子がエレボールへ行けるはずがない」
「いや!あの子は大丈夫だろう!だってあのサルマンの子だぞ!」
ドワーフたちは口々に思い思いの言葉を言っていく。トーリンが片手を挙げて、決断をしようとした時だった。ホビットのビルボ・バキンズがすっと出てくると、ネルファンディアに握手を求めた。彼はトーリンらに向き直ると、こう言った。
「………あのさ、思うんだけど、僕でもここまで来れたんだ。…………僕より魔法使いの方が役に立つと思うし……」
「つまり何が言いたい、バキンズ殿」
トーリンの鋭い目でビルボは萎縮した。けれども、彼は主張を止めなかった。
「あーうん、つまりは…………うん、ええと…。だから、僕でもここまで来れたんだから、彼女にならきっとできるって言いたいんだ。連れていってあげてよ、トーリン」
彼はそこまで言うと、トーリンの判断を待った。彼はネルファンディアを見やった。
────こんな美しい姫が、旅など出来るわけがない。ましてや、こんな危険な旅に巻き込むなど……
しかしその返事が出る前に、ワーグの声が聞こえたので一同は走るしか選択肢を選ぶことが出来なくなった。
「ええい。ついてくるがいい、ネルファンディア殿。特別待遇は無しだ!」
「ありがとうございます、トーリン」
これからしばらくはトーリンと共に過ごせる喜びを隠せないネルファンディアは、姫にしては足取り軽く走り出した。

しかし、この旅が彼女に消せぬ悲しみを贈ることになるとは、まだ誰もが予想していなかった。─────ただ一人を除いて。





ガラドリエルは水鏡を前にして悲しげな面持ちを浮かべていた。
「…………これは彼女にとって本当の試練となるでしょう、ミスランディア。それを乗り越えられるか否かは、あなた次第なのです、ネルファンディア……」


──────その水面に映っていたのは、雪の降るエレボールに横たわる、血で染まったトーリンの亡骸だった。

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