A tale of Erebor

□四章、水の魔法使い
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トーリンは牢に入ったまま部屋の中を右往左往した。ドワーリンなどは頭突きをして牢を壊そうとしている。バーリンは隣の牢からそんな彼らを諌めた。
「ドワーリン、これはエルフの牢なのだから壊れぬぞ。トーリンも、交渉を断ったのですから諦めてくだされ」
「ネルファンディアが心配でならぬ。私のせいでスランドゥイルに父親を呼ばれてしまった」
「私を心配するくらいなら、形だけでも交渉に応じるべきでしたわ。トーリン・オーケンシールド」
トーリンが顔を見上げると、上方のエルフにと負けぬ麗しいネルファンディアが厳しい顔で立っていた。彼はあわてて柵に近づくと、彼女を気遣った。
「大丈夫だったか!?スランドゥイルには何もされなかったか」
「ここにあなたを説得するようにと連れてこられました」
厳しい顔だった彼女は辺りを見回して牢番が居ないことを確認すると、演技だった表情をやめて心配と憂いを顕にした。
「トーリン………あなたこそ、怪我はありませんか?」
「私は大丈夫だ。………もう会えぬかと思っていた」
「私はもう1度必ず会えると確信していましたよ」
二人は柵越しに見つめ合い、微笑んだ。トーリンは思い出したように何やら肌着の中から袋を取り出すと、ネルファンディアに渡した。
「これは?」
「スランドゥイルに取られぬように隠しておいたエレボールの地図と鍵だ。これをそなたに託そう」
「それは………?」
「出られなかった時の保険だ。ドゥリンの日はある年とない年がある。私に何かあった時は、これを持ってくろがね山に住む我が従兄弟の"鉄の足ダイン"を訪ねよ」
彼はしっかり袋を握らせると、彼女のもう片方の手を掴み、自分の頬にあてがった。これがドワーフにおける敬愛表現に当たることをバーリンたちは知っていたが、ネルファンディアは知らなかったので戸惑いを隠せなかった。
「トーリン……?」
「そなただけでも逃げるのだ。逃げおおせて、生きるのだ」
「いやです。私は逃げませんし、死にませんし、あなたを置いたままにもしません」
「ネルファンディア………」
「だから、あなたも諦めないで。ずっと、一緒に居るから……」
ネルファンディアはそう言うと、トーリンの手を取って目を閉じた。
その様子を見ていたバーリンは二人の心の間に既に柵は存在しないと悟った。
「兄上、もしやネルファンディアは……」
「そうとも、ドワーリン。無愛想で、頼りになる我らが主君を想っておる」
だが、トーリンが気づいているかは別だがな、と彼は付け足した。
そんな二人の時間を終わらせたのはビルボだった。彼は気がつくと階段下におり、ネルファンディアとトーリンたちを見上げていた。
「────だったら、出ましょうよ」
「ビルボ!」
悪戯げに笑う彼の手にはどこからくすねてきたのか、鍵束が握られていた。彼はそれを使って牢を次々に開けると、下へ行くようにと指示した。だが、途中にはネルファンディアを見張るように命じていた衛兵二人がいるので、彼女は身を潜めるようにと言った。
彼女は何食わぬ顔で近づくと、首を横に振った。それからトーリンたちがいる方向を指さした。
「トーリン!僕たちを指さしてます」
「売り渡すつもりなんですよ、叔父上」
「いや………見ておれ、彼女は賢しい」
衛兵がネルファンディアの手に縄をかけようとしたときだった。彼女が突然隠し持っていたナイフの柄尻で一人の衛兵の急所を撃つと、彼は声を出す間もなく地に伏した。もう一人は危機を知らせるために笛を構えたが、その手に彼女の綺麗な蹴りが入り、体制を崩した瞬間にみぞおちにこぶしを叩き込まれ、同じく地に伏した。彼女は二人の哀れな衛兵を見下ろしてため息をついた。
「………可哀想な人たち。スランドゥイルに叱られるわね」
「一体どこでそんな方法を学んだ」
「母はお転婆エルフだったのよ」
不思議そうに首を傾げるトーリンだったが、不用意にネルファンディアに手を出すと痛い目に遭うことだけは理解出来たのだった。


地下に降りた一行は、ビルボの指示通りに樽の中へ入り、床の仕掛けから川へ落ちていった。だが、ネルファンディアは何かを探している。
「何してるのさ、ネルファンディア」
「杖よ、杖。ああ、あったわ」
杖を探していたようだ。ビルボが呆れて怒りだす。
「杖なんて代わりがあるでしょうに」
「ないわよ。これがないと魔法も使えないんだから」
「そうなの?」
「そうなのよ」
ビルボはまだ何か言いたげだったが、追っ手の声がしたので慌てて話を切り上げた。ネルファンディアがレバーを引いて仕掛けを動かそうとしたが、間に合いそうもない。二人は一歩ずつ後ずさりした。すると、床の仕掛けが二人の重みで作動し、彼らはそのまま川に落ちていった。

「よくやった、バキンズ殿」
「そりゃどうも」
「下りましょう、すぐに追っ手が来るわ」
ネルファンディアはトーリンの樽にしがみつきながら彼にそう言った。だが、その表情はいつもより余裕が無い。彼は気になって聞いてみた。
「どうしたのだ、そんなに怯えて」
「泳げないの………!正確に言うと泳げるけど嫌いなのよ……!」
トーリンは少し勝ち誇ったように笑うと、手を差し出した。
「……掴がいい。」
「結構です。こ、これくらい大丈夫よ」
彼女はそう言って彼の手をどかしたが、思った以上に底が深かったので、渋々しがみつくはめになった。

川の流れは思ったよりも速く、彼女は流されそうになるのをこらえてトーリンにしがみついた。すぐに水門が見え、一行は脱出できるのではと希望に満ち溢れた。だが、すぐにエルフの見張りにより、門は閉められた。
「閉められた!まずいぞ」
「今度こそ本当に一生牢から出られないかもしれないわね…」
「そなたと離れるなど………嫌だ」
トーリンはそう言うと、ネルファンディアの小さな手を握る手により強く力を入れた。すると、キーリが勢いよく樽から飛び出し、水門のレバーを下ろそうと試みた。エルフたちは慌てて剣を抜いた。だが、その時だった。グンダバドのオークたちが影から躍り出てエルフたちを倒し始めたのだ。
「今日のところは感謝しないとね、アゾグに」
「ああ、そうだな」
エルフたちはすぐに逃げたドワーフどころでは無くなった。エルフとオークとドワーフの乱闘が始まる。武器を持たないドワーフたちは、オークたちを素手で倒してその武器を貰うしかなかった。ネルファンディアは一人で上に上がったキーリを心配して見上げた。彼は足に矢を射られ、うずくまっていた。
「キーリ!」
ネルファンディアは咄嗟にトーリンの手を振りほどいてキーリに駆け寄ると、その周りにいたオークたちを剣で倒した。隙を見て彼が水門のレバーを引いたので、トーリンたちは今度こそ脱出に成功した。
「大丈夫?矢を切るから、しばらく我慢してね」
彼女は矢を剣で切ると、肩を貸しながら彼を樽へ戻し、彼女はトーリンの腕に落ちた。
「無茶なことをするやつだ」
「母譲りなの。許してね」
そして、一行は樽に乗って激流を下り始めた。


オークたちもなかなかしぶとく、トーリンたちを追いかけ続けている。
───このままではそのうちに追いつかれてしまう。
ネルファンディアはため息をつくと、トーリンの名前を呼んだ。
「トーリン!あなた、私が何専門の魔法使いなのか気にならない?」
「ああ、気になっていた。」
「じゃあ、私の体を支えてて。あなたたちを助けてあげる」
彼女は背中から杖を取り出すと、樽の縁に立った。身軽な彼女だったが、流石に激流に圧されて後ろに倒れそうになる。すかさずトーリンが支えた。
「………信じろ、私を」
ネルファンディアは杖を構えると、目を閉じて激流の音に耳を傾けた。
「彼女何やってるの?」
「シャザーラ!(静かにしろ)」
彼女は川の声を聞いているのだ。その流れに心が重なる時、その力が彼女の助けになる。魔法というものは本来自ら作り出すものではなく、こうした繋がりを大切にするものなのだと、ネルファンディアは父から幼い頃ファンゴルンの森で教わった。
────川よ、私に力を貸して
「"フェンディルンアルファドエッラ!"」
そして、父に似て郎らかな声で呪文を唱えると、彼女は慌てて樽から下りた。
「成功したのか?」
「たぶん。成功したなら流されるから御用心ね」
「一体何をしたんだ?」
「流れに乗れるようにしただけ」
トーリンはこれから起こるとんでもないことに身震いすると、一行に声高々に告げた。
「しがみつけ!魔法使い殿の大仕事がくるぞ」
岸で戦っていたレゴラスは、いち早く川の変化に気づいた。彼もまたエルフ語で部下に指示を出した。
「"高台へ逃げろ!急げ"」
何も知らないオークたちは、きょとんとした顔で川を見つめた。その刹那、水位が増したと思うと、せき止めていた力を解き放つようなとてつもない強さでトーリン一行を流し始めた。
「これがそなたの力か!?」
「違うわ、川の力よ」
「どっちでも良い。手を離すでないぞ」
彼はネルファンディアの手の甲に控えめにキスをして何かを言った。
「─────」
「え?何………」
だが、水が流れる轟音のせいで聞き取ることが出来ない。
聞き返そうとしたその時、ネルファンディアの手がトーリンから離れた。彼がまた何かを叫んだようだったが、既に彼女の耳には届かなかった。
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