A tale of Erebor

□八章、最大の敵
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 エレボール内はどれも石で出来ており、所々が破壊されてはいたが、どこをとっても圧巻される壮大な芸術作品のような宮殿の姿はそのまま残されていた。先へ進もうとすると、ネルファンディアは何故かトーリンに止められた。彼は険しい顔でビルボとバーリンだけを先に行かせると、彼女にこう言った。
「そなたは残れ」
「どうしてですか?ビルボとバーリンだけで何をしに行くの?」
「アーケン石だ。あれをビルボが探す。」
彼女は驚いて言葉も出なかった。というよりむしろ、呆れた。
「独りで?あなたは行かないの?」
「忍びの者はこの用途で雇ったのだ。」
彼女は目を細めてトーリンの目を見た。いつもと違う彼の様子に、何か背筋が寒くなるような感覚を覚えた。
「でも、彼を一人で行かせるなんてあんまりよ。私、一緒に行ってくるわ」
「だめだ!」
トーリンが突然剣を抜いてネルファンディアに突きつけた。戻ってきたバーリンが驚きの表情を顕にして慌てて二人を離した。
「トーリン、何をしているのです。彼女はネルファンディアですよ」
「スマウグは女子供をさらっては喰らっていた。そなたがあの場所へ行くということは、奴の餌食となるのに等しいのだぞ!?」
バーリンは一見心配しているように見えるこの言葉の裏に、トーリンの計り知れない独占欲を見抜いた。
───竜の病の兆候か。
トーリンはそれから勝手にしろと吐き捨てるように言うと、そのまま出ていってしまった。残されたネルファンディアとバーリンはスロールの間の近くまで行くと、彼は先程のトーリンの無礼を許して欲しいと深々と頭を下げた。
「あれは、竜の病なのです。トーリン自らの想いではないことをわかって差し上げて下さい」
「竜の………病?」
バーリンはため息をついて、辺りを見回してトーリンが居ないことを確認してから話し始めた。
「トーリンの祖父のスロール大王は、中つ国一の財力を蓄えた方です。ドワーフは元から財宝に対する執着が強いのですが、特にあの方は強かった。そして、不運なことにアーケン石が見つかり、その強欲は増したのです。まるであの石に不吉な力があるように。強欲に加えて猜疑心も増しました。ですから、この山の財宝には呪いがかかっているのですよ、ネルファンディア姫。トーリンも、自分は祖父ではないから大丈夫だと言っていましたが、駄目なようです」
ネルファンディアはトーリンがエスガロスで言っていた意味をようやく理解した。
───ネルファンディア………エレボールに近づいて、もし、もし、私が変わってしまったら、そなたはどうする。
彼女は少し間を置くと、穏やかな表情であの時トーリンに言えなかった答えをバーリンに言った。
「───それでも、私は彼のそばに居たい。いつかは長すぎる時の中に消えてしまう思い出だとしても、私は彼のことが、大好きなの。………それだけのことよ」
「それがあなたのお考えですか………」
そう言うと、彼はスロールの間への道を示すと、軽くお辞儀だけをして戻っていった。
────トーリンも善き方を見初めましたね。
階段を登りながら、バーリンはため息をつきつつも嬉しそうに微笑むのだった。

 スロールの間の近くへ着くと、すぐに緊張しきったビルボの声が耳に入ってきた。ネルファンディアは杖を背中に差して手ぶらになると、恐る恐る部屋に入った。彼女はそこで目にした財宝の数に驚いた。とんでもなく広大な部屋の中に、床が見えない程に置かれた金銀財宝は、目もくらむほどに素晴らしいものだったが、これがトーリンを変えてしまうものの1部だと思うと、彼女は自然と嫌悪感からなる吐き気を覚えるのだった。既に竜は目を覚ましており、ビルボが逃げ惑うたびに財宝が雪崩を起こして崩れている。
「ああ、やめて、ちょっと……まっ……」
「なぞなぞ遊びは飽きたぞ、樽の乗り手よ。燃え尽きるがいい」
彼がもうダメだと目を閉じた瞬間、突然スマウグは鼻をひくつかせて何かを探し始めた。そして彼の視線の先には、財宝に混じって佇む、どんな財宝よりも一際彼の目を惹く白銀の乙女が居た。どこかエルフのような厭世観を漂わせつつも、まだ愛らしさの残る表情に、彼はすっかり吸い寄せられてしまった。大きな振動と共に何かの視線と気配を感じたネルファンディアは、ゆっくりとその方向を向いた。
「────竜………」
「俺はスマウグ。貴様は誰だ?銀の乙女よ」
生まれて初めて竜を目にした彼女はその大きさと恐ろしさに圧巻された。だが、すぐに冷静になるとあっさり名前を名乗った。
「ネルファンディア。ネルファンディアよ、スマウグ殿」
「ネルファンディア…………良き響きの名よ。エルフ語か?」
「灰色港よりはるか西方の土地の言葉で、"静寂の一滴"という意味だそうです」
そう彼女が言うと、スマウグは声たかだかに笑い出した。
「いや、なんと面白い!!静寂の一滴、ネルファンディアに俺は心身共々起こされたということか!うははははははは」
「何を面白がっていらっしゃるの?あなたにとって私など、大した存在ではないはず」
すると、彼は財宝の方に目を向けると鼻で笑ってこう言った。
「ふん。そなたは俺が財宝と共に眠りについていて幸せだと思っているのか?」
「幸せだと思っていましたが」
「違う。俺は全てを手に入れた。だから退屈なのだ!だが、それも今日までのようだな、ネルファンディアよ」
彼はここにある財宝全てと引き換えにしてでも得る価値のあるものを見つけたのだ。
 ───そう、ネルファンディアを。
彼はいかにしてこの無関心そうな乙女を振り向かせようかと悩んだ。もちろん、ネルファンディアの方は元から無関心を敢えて装っているのであり、その隙にビルボがアーケン石を探しているのだ。けれどスマウグは気づいていない。彼女は横目でビルボを確かめると、敢えてスマウグの方に近づいていった。
「お前もトーリンの仲間か?」
「ええ、そうです。」
「さてはトーリンをも堕落させたか。恐ろしい女よ」
「おっしゃる意味が分かりません」
スマウグは勝ち誇ったように笑うと、ビルボがアーケン石を探していることに気づきもせずますますネルファンディアの方へ近づいていく。この距離で火を吹かれては、流石の彼女も人ひとたまりもないだろう。ゆっくり、しかし確実に距離を縮めていくこの邪竜を一体どうしようかと彼女は考えながら部屋の中を移動した。すると、あるものが彼女の目に飛び込んできた。
────鱗が1枚だけ剥がれている!!
バルドの息子が言っていたことは本当だったのだ。だが、黒い矢は今ここにない。彼女はその一点を悔しく思った。
「さぁ、俺は退屈だ。俺は全てを手に入れた!あとはお前だけだ、ネルファンディア」
スマウグはとうとう執着心をむき出しにして彼女を恐ろしい爪のついた手で掴もうとした。とっさに避けた彼女は、本能的に逃げた方がいいと確信した。ふと見ると、ビルボがもう少しでアーケン石に手のの届く距離に近づいていた。スマウグはながい胴体と尻尾でネルファンディアを囲みながらこう吠えた。
「アーケン石はくれてやろう!その石でトーリンの小僧が堕落する姿を見届けてやろう!だが、貴様はだめだ!」
スマウグは怒りですっかり見境を失った。彼女は渋々背中の杖を取り出すと、邪竜に目にもの見せてやろうとしっかりと握りしめた。

ようやくアーケン石を見つけたビルボは、一刻も早くここから出たいと願っていたので外へ出ようとした。だが、彼の目の前の通路はトーリンの剣によって塞がれた。
「石はどこだ」
「トーリン!今はそんなこと言ってる場合じゃ──」
ビルボの話は聞かず、トーリンは持っていた剣を彼に突きつけた。ビルボは後ろに下がるより他なかった。そうしているうちにスマウグがネルファンディアの近くへ迫ってくるのを横目で見ながらビルボはとめどない冷や汗を拭った。
毅然と邪竜の前に立ちふさがるネルファンディアは杖を構えた。彼はそれに対して鼻で笑った。
「そのようにちっぽけな存在に何ができようか。やきつくしてくれるわ」
彼は憤然として喉元に炎を貯め始めた。凄まじい熱気が肌外からでも彼女の頬に伝わってくる。その時、ネルファンディアはスマウグが本気で火を吹くつもりであることに気づいた。それからはほんの一瞬だった。咄嗟に彼女はトーリンの元へ走り出すと、大声で彼の名前を叫んだ。
「トーリン!逃げて!!」
「ネルファンディア!?どうした」
「スマウグは本気で火を吹く気よ!早く逃げて!」
彼がスマウグを見ると、既に火を吹く数秒前といった状態だ。彼はネルファンディアの背中を押して部屋の外へ出した。
「トーリン!」
「逃げろ!」
「トーリンの小僧か。焼き尽くしてくれるわい!!」
凄まじい殺気を感じた瞬間、トーリンは目の前が故郷の木々を焼き尽くした赤い炎で包まれていることに気がついた。そして、反射的に逃れようと部屋の外へ飛び出した。
「トーリン!!!火が!!!」
背中が焼けるように熱かったので、彼は自分の服の背中に火が燃え移ったことを知った。床に転がりながら火を消そうと試みたが、消えなかったので彼は上着ごと脱ぎ捨てた。彼はすぐさま立ち上がると、先頭に立って次の目的地の指示を出した。
「衛兵の詰所へ行くぞ。出口があるはずだ」
こうして一行は炎から逃れるために、最後の望みをかけて歩み始めた。

詰所へ向かう途中、息を殺して歩く一行の耳に、チャリンと落ちるコインの音が届いた。ビルボは慌てて自分の体に付いていたのではと探ったが、何も出てこない。ネルファンディアは息を飲んで頭上を見上げた。なんとそこにはスマウグの体があった。彼の鱗の間に挟まった金貨が落ちているのだ。その様子が彼女には、スマウグの吐き溜まった金への欲望が鱗の隙間の一つ一つから溢れ出しているように思えた。

そのまま彼らはどうにか目的地に到着したが、そこで待っていたのは過酷な現実だった。
唯一の希望であった出口は、無残にも瓦礫に塞がれていた。だが、ネルファンディアが目を背けた理由はそれではなかった。
瓦礫の前に横たわる、炭化した人間の姿が何体も目に飛び込んできたからだ。彼女の心に彼らの最期の叫びと苦しみと痛みが伝わってき、思わずその場に倒れ込みそうになる。トーリンはそんな彼女の体をあわてて支えた。
「トーリン、これまでです。坑道に逃げるという手もありますが、死が数日伸びるだけ」
バーリンの言葉が重々しい現実としてトーリンの心に刺さった。だが、彼は毅然とした表情で振り返った。
「……………そうだな。だが、私はこんな死にざまは御免だ」
彼は目を閉じて、エレボールを奪われたときの惨劇を思い起こした。しかし、忘れたくても決して忘れられない忌まわしい記憶は、今の彼に強さを与えた。
「生にしがみつき、ただ怯えて死を待つのみ。そんな風に死ぬために私は戻ったのではない。」
彼は目を閉じて剣を握りしめると、威厳ある王の声でこう言った。
「─────炎で全てが終わるなら、刺し違えて奴諸共燃え尽きようぞ」
「何か策があるの?トーリン」
ネルファンディアの問に彼は大きく頷いた。
「ああ。精錬所へ行く。」
突然の策に一同は驚いた。最初に反対したのは意外にもドワーリンだった。
「無理です。その前に殺されてしまう。それに、どの炉も冷えています。火などどこに…」
「皆でバラバラになって行く。それに火は……」
トーリンはニヤリと笑うと、ネルファンディアの方を見た。彼女もそれを受けて彼の意図を知ったのか、静かに微笑んだ。


こうして一行の最後の反撃が始まった。
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